第18話 悠太郎の水泳教室(1)
ついにやってきた日曜日。
昨晩用意しておいた、スクール水着と水泳キャップの入ったバッグ。
悠太郎とは現地で待ち合わせ。スポーツセンターって、たしか駅の近くだったよね?
自転車のカゴにバッグを入れて、いざ出発! 今年こそ、私は魚になるんだ!
待ち合わせの時間は、朝10時。
スポーツセンターの入口に到着すると、時間の10分ほど前なのに、悠太郎は既にそこで待っていた。
「おはよう、悠太郎。ごめんね、待たせちゃった?」
「いや、俺もさっき来たところだよ」
悠太郎を見ると、黒いインナーに白いシャツ、スラっと伸びた黒色のジーンズに、胸元には何やら光る物が……ただ泳ぐ練習をするってだけなのに、何でそんなに気合い入れてるの!?
「今日は髪型変えたんだな」
「ああ、これ? 水泳キャップ被るから、ゴムで上にまとめただけだよ」
「そうか。でも、その髪型も似合うな」
そう言って、悠太郎は私の髪の毛に触れた。
あの……今日って、泳ぎ教えてもらうだけだよね? デートとかじゃないよね?
「さ、行こうか」
「う、うん……」
悠太郎に手を差し出されたので、思わず掴んでしまったけど……。
入ってすぐ受付なんで、あんまり意味無いです。悠太郎先生。
***
着替えも終わって、プールサイドへ。
人がいっぱいいるね。学校のプールなんかより断然広いね。
「玲美、こっちだ」
手を振る悠太郎。
普通の水泳キャップと普通のスクール水着の姿。
良かった……水着まで気合入ってたら、私、完全に浮いていたよ。
「さて、まずは軽く体をほぐしてから水に入ろう」
「うん。よろしくね、悠太郎先生」
水泳をなめてはいけない。
準備体操をしっかりしておかないと、泳いでる最中に足がつったりしちゃうもんね。
そもそも泳げないんだけどね。
「うん。まあ、こんなもんだろう。さ、水の中に入るぞ」
「はーい」
片足からプールに入る。
やっぱりちょっと冷たい。そして、近くを泳いでる子供(私も子供だけど……)から水しぶきが飛んでくる。
「顔に水が……」
「本当に水が苦手なんだな……。さて、どうやって教えようか」
困ったように首をひねる悠太郎。私の泳げ無さは筋金入りですぜ。
「まずは、顔を水に浸ける練習からだな」
「いきなりハードル高いっスね……」
「ほら、俺の手を掴んで」
「う、うん……」
悠太郎の手を掴んで、引っ張られながら泳ぐ。
こうやって誰かが掴んでくれていたら、私も泳げるんだよね。
「じゃあ、顔を浸けてみよう」
「え、ええ? もう?」
「怖がらずに。大丈夫、手は持っててやるから。顔を浸けたら鼻から息を吐いてみるんだ」
「うん……」
悠太郎に引っ張られながら、私は意を決して水に顔を浸けた。
鼻から吐くんだっけ……ブクブクー……。
「よし、その調子だ」
ん? 悠太郎何か言った? 水の中だから良く聞こえないよ。
もう顔を上げていいんだよね? 息が続かないよ。
んげ! 鼻から水が! 痛いッ!
「無理ーッ!!」
「うわ、暴れるなって!」
「鼻が痛いよぉ……」
「何で鼻から水飲むんだよ……」
何でと言われても、息を吐ききったら吸っちゃうじゃないか……。
やっぱり、私に泳ぐなんて無理だ……陸上でまったりと暮らして行きたい!
「そういえば、水の中で目を開けていたか?」
「ううん」
「じゃあ、次は開けてみるんだ。目を瞑ってるから余計に水の中が怖いんだよ」
「うう……やってみます……」
悠太郎に再び手を引っ張られ、私は水の中に顔を浸けた。
目を開けるんだっけ……えい!
えーん……目が痛いよぉ……。
でも、視界が明るいから、さっきより怖くないかも。
水の中では、音もゴーとかガーみたいな感じでしか聞こえない。
そうだ……私はこの音が怖いんだ。
幼い頃、浮き輪を付けてプールを泳いでいた私は、何かの拍子でそのままひっくり返ってしまった。
すぐに助けてもらっけど、浮き輪のせいで起き上がれない、水も沢山飲んで、耳にもいっぱい水が入って……。
この、いま聞こえてる音は、その時の音なんだ……。
「玲美、息を吐いて」
悠太郎の声もあまりよく聞こえないけど……息を吐かなきゃ。
鼻から吐いて……。
「よし、一度顔を上げて」
「ブハッ……。また少し鼻に水が…………」
「ん……なんだか顔色が悪いな。始まったばかりだけど、ちょっと休憩しよう」
私達はプールから上がった。
カナヅチでごめんよ……。
***
「……なるほど、過去にそんな事が……」
「うん。その時の恐怖が蘇って、水の中に潜ること自体耐えられないというか……」
「浮き輪付けてて溺れるなんて、滅多にない事だぞ」
「ごめんね……」
プールを見ると、子供達が楽しそうに泳いでいる。
あんな小さな子供でも泳げるのに、私はなんて情けないんだろう。
「ねえ、悠太郎」
「ん?」
「水の中の音さ……怖くない? 耳に水が入るとか、怖くない?」
「あー……そうだなぁ……。俺の場合、もう慣れちゃって怖いとか感じないし、耳に水が入っても片足で跳んで出しちゃったりしてるし」
「私は溺れた時、耳から水が出なくて耳鼻咽喉科まで行ったんだよ」
「そ、それは重症だな……。さて、どうしたものか……」
私が泳げないのは、きっとこの幼い頃のトラウマのせいだ。
言ってしまえば、水の中の音が私の恐怖心を高めているんだと思う。
しばらく悠太郎とプールサイドで話し、私の気分が落ち着いてきたところで練習を再開する事にした。
「ちょっと練習方法を変えよう。玲美さえ良ければ、その……お前の体に触れるけど、いいか?」
「何を今更? 教えてもらってるんだから、どこでも触れていいよ」
「じゃあ……ちょっとだけ一瞬でいいから浮いてみてくれるか?」
「う、うん……」
伏し浮き……だっけ。
大きく息を吸って顔を上げたまま一瞬だけ浮き上がると、悠太郎は横から私の胸元と腿のあたりに手を添えた。
なるほど……これはちょっと恥ずかしいかも。
「こ、これなら、より浮いてる感覚を味わえるし、怖くないだろ?」
「う、うん……」
「じゃあ、顔を浸けて」
「はい……」
怖くても、顔を浸けてみる。
相変わらず音は怖いけど、悠太郎の腕が私を支えてくれているのでなんだか安心感があった。
悠太郎は少しずつ横へと移動し、私の体は前へと進む。
安心感があるせいか、体が軽くなったような気がした。鼻から息を吐いて顔を上げてみる。
「……あれ? 鼻が痛くない?」
「よし、その調子だ! 顔を上げたら、口から息を吸う。それを繰り返してみよう!」
「うん」
顔を浸けて、鼻から吐いて、口から吸う。
これをひたすら繰り返し、悠太郎に移動をしてもらう。
「できた! 大丈夫みたい!」
「そうか! この調子でプールの端を目指すぞ!」
ブクブクー……プハッ!
ブクブクー……プハッ!
息継ぎができる……水の中の音も、安心感のお蔭で少しずつ怖くなくなってきた!
気が付いたら悠太郎の足が止まり、プールの端に辿り着いていた。
「がんばったな、偉いぞ!」
「ありがとう、悠太郎!」
喜び、思わず悠太郎に抱き付いてしまった私。
彼氏だもん。たまには良いよね……。
「れ、玲美……嬉しいのはわかるけど……」
「うん……」
「ここまでは、まだ初歩中の初歩だから……」
「うげー……」
お昼を前に、私達は一度プールから上がる事にした。
午後も、まだまだ悠太郎の水泳教室は続く。
お読みいただいて、ありがとうございます。