第11話 止まった時計の針(1)
僕が前世の事を思い出したのは、小学校五年生の時。
その日、母と一緒に来ていた花屋で、僕は暇を持て余していた。
「それでね、うちの亭主ったら──」
「あら、そうなの。うちの旦那もね──」
母は、そこでばったりと会った近所のおばさんと世間話に興じていた。
いつになったら帰れるんだろう……。
退屈で退屈でしかたのなかった僕は、花屋に置いてあったオジギソウの葉っぱを触って気を紛らわしていた。
「お母さん、まだ帰らないの?」
「もうそろそろ帰るから、もうちょっと待っててね。……それでね、奥さん──」
まだ帰れないな……。改めてそう覚悟をした僕の目の前に、信じられない光景が飛び込んできた。
近くの保育園児だろうか。花屋の前の横断歩道を渡ろうとする男の子。
その子は周囲も見渡さずこちら側へ向かって歩き出していた。
鳴り響くクラクション。運転手の目に男の子は映っていない。
僕は瞬間的に走り出していた。
周りからの叫び声、泣き叫ぶ子供の声。
良かった、あの子は助かったみたいだ。
意識がだんだんぼやけていく。
この感覚……ああ、僕はまた死ぬのか……。
◆◇◆◇
目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
僕は助かったのか……? 体中が痛い……。
「一哉! 良かった……!」
母は僕を見て泣いていた。
何が良かったなものか。今だってこうして満足に体が動かせないじゃないか。
「心配掛けたね、母さん」
僕のその言葉に、母は一瞬ギョッとした目をした。
そうか、今までの僕の言い方じゃ無かったな。
「ちょっと一人にしてくれる?」
急に態度の変わった僕を見て、母は黙って病室を出て行った。
事故の衝撃で、僕の中に眠っていた前世の記憶が全て蘇ったのだ。
━・━・━・
前世の僕は、いわゆる引きこもりと言うやつだった。
中学校に進学してすぐ、僕はある不良達に毎日苛められるようになった。
苛めが怖くなった僕は、やがて登校拒否を繰り返すようになり、高校にも進学できず、大人になってからも親に養ってもらっていた。
僕がこうなってしまったのは苛められたからだ。
暗い部屋の中に閉じこもり、僕はひたすら自分を苛めた不良達の事を恨み続けていた。
このままではさすがにいけないと、外に出る努力をしてみた事もあった。
まずは近所を歩く事から馴れていこう。そう思って、玄関を出た時の事だった。
人が道を歩いていた。ただそれだけで、僕の体は震えが止まらなくなった。
ああ……駄目だ。
長い間引きこもっていた僕の心は、とっくに壊れてしまっていたんだ……。
・━・━・━
世間の目を恐れ、部屋のカーテンも閉め切って、真っ暗な部屋の中でひたすらネットだけを楽しむ。
食事は母が部屋の前に運んでくれていたので、この部屋を出るのはトイレの時くらいか。
両親には悪いとは思っていた。こんなはずじゃ無かったとも何度も考えた。
その度に頭の中に出てくるのは、中学の時、僕を苛めた不良達の嘲笑う顔。
悔しくて、恨めしくて、僕はその度に涙を流した。
あいつらのせいだ……あいつらさえこの世に居なければ……!
ニュースサイトを見ていた僕の目に、見知った名前の入った記事が表示されていた。
そこにあったのは、不良達の中でもリーダー格だったあいつの名前だ。
僕は思わず、その記事をクリックした。
名前だけじゃ無い。その容姿にも当時の面影があり、年齢的にも間違い無くそいつだった。
驚くべき事にそいつは、大企業の社長に就任していたのだ。
嘘だろ……?
僕が当時の幻影に今も苦しめられているというのに……お前はのうのうと幸せな人生を歩んでいたというのか……!
気が付くと僕は、パソコンのキーボードを思いっきり殴りつけていた。
飛び散るキーボードのキー。殴った手が、ジンジンと痛んだ。
━・━・━・
その日の夜中、あまりの煙たさで僕は目を覚ました。
家の中が真っ赤に染まり、火事だとわかった僕は慌てて部屋を飛び出した。
「お……おあ……」
お母さんと言おうとしたが、長い間声を出していなかった僕の声帯はすっかり退化していたようだ。
一階に下りると、リビングにぶら下がったものを見つけた。
それは、首を吊っている両親だった。
「うわぁぁぁあああ……!!」
声が出なかったはずの僕だったが、思わず叫び声を上げてしまった。
何とか両親を助けようとしたが、正面からの二人を見て、もう手遅れなのだと悟った。
テーブルの上には紙が置かれていた。
それを見て、この事態は僕のせいなのだとわかった。
『もう、耐えられない……』
手紙には、それだけ書いてあった。
煙は既に全部屋に回っていた。でも僕は、逃げる気は無かった。
これでこの苦しみから解放される……そう思ったからだ。
違う……そうじゃない……!
なんで僕ばかりこんなに苦しまなくちゃいけないんだ!
悔しい……僕の人生を無茶苦茶にしておいて、幸せに過ごしているあいつらが憎い……!
どうせ死ぬなら、あいつらに復讐をしてやりたかった……!
その後すぐ意識を失ったのか、僕の前世の記憶はここで途切れていた。
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────
──
全てを思い出した僕は、まずは状況を確認する事にした。
まず、今の僕は、僕であって僕では無かった。
名前も容姿も全然違う。住んでいる場所も違う。
転生……というやつだろうか。
それにしてはおかしい事もあった。
カレンダーを見ると、そこに書かれた年号は前世の僕が生きた時代のものと同じだったのだ。
僕は、同じ時代に……過去に他人として転生してしまったのか?
幸いにも事故の後遺症は無く、骨折も無事に治り、僕は退院する事ができた。
家へ帰った僕は、机の上に地図を広げた。
そこに書かれた地名を見る限り、前世の僕が住んでいた町は今住んでいる町から少し離れたところにあるようだ。
一体なぜ、こんな事に……?
◇◆◇◆
前世の記憶を取り戻した僕だったが、幸いな事に今世を生きた経験や記憶も残ったままだったので、あの頃のようにコミュ障になるような事も無かった。
中学に入ってから引きこもっていたとはいえ、小学校の勉強は楽なものだった。
急に態度の変わった僕を怪訝に思っていた母も、それと同時に成績が上がった事を喜び『事故に遭って良かった』などとまで宣うようになっていた。
そのまま順風満帆に小学校を卒業した僕に、両親も期待を掛けるようになっていた。
私立の中学へ進学とまで言い出した時は流石に止めたが、そこは地元を離れたくないと言ってうまく誤魔化しておいた。
冗談じゃない。私立になど進学してしまったら、今世で僕のするべき事ができなくなってしまうではないか。
部屋に戻った僕は、再び地図を広げた。
前世に住んでいた町の周辺、中学校のある場所などを確認し、それを頭に叩き込む。
優等生を演じるのはここまでだ。
僕が過去に転生した理由、それはわかっている。
“前世でやり残してしまった復讐を完遂する為────”
同じ時代をやり直しているのだ。
あいつらも、この時代に生きているはず。
必ずやり遂げてやる……。それさえ済めば、その後の僕の人生などどうでもいい。
なんなら、自殺したって構わない。
そのまま生きていたって、今の両親に迷惑を掛けてしまうだけだからな。
机の引き出しを開けると、そこには鋭利なナイフが入っていた。
このナイフで、前世の僕を苛めた不良グループを、一人残らず殺してやる。
学区が違うので、あいつらが日頃どこにいるのかまではわからないが、どうせ前世と同じように、その辺の不良達と一緒にいる筈だ。
全ては中学校へ入学してからだ……。
前世の事を思い出すと、相変わらず胸の動悸が騒がしくなった。
ベッドに寝転び、気を落ち着ける為にナイフを眺める。
この復讐を完遂しない限り、僕の時計の針は、あの日から止まったままだ────。
お読みいただいて、ありがとうございます。
ようやくタイトル回収です。
※キーワードに、『過去転生』と『復讐』が追加されました。




