第十二話 かけがえのないあなたへ
そして、ナイフを振り下ろそうとしていた語り手は、ナイフを振り上げて、一瞬躊躇いました。
その一瞬、一体何が起こったのか、少女には分かりませんでした。
いきなり窓ガラスが割れて、降り下ろす寸前のナイフがどこか明後日の方向にふっとんで、目の前の語り手が人形のような虚ろな目をしてその場に倒れたという一部始終を理解するまで随分と時間がかかりました。
理解したときには、少女の靴が赤くて温かい水たまりに浸っていて、一人の男が息を切らしながら語り手の家へ走り込んでいました。彼は拳銃を持っていました。
男は沈痛な面持ちで足元の語り手を見て、すぐに少女に目を向けました。
「嬢ちゃん、大丈夫か?怪我は?」
少女は男を見上げて一先ず首を横に振りました。
「なら、良かった」
男は心底安心した様子で言いました。しかし、何が良かったのか少女には分かりません。
「俺はコイツの友人で元同業だ。今は転職して爆弾魔なんてのをやっている。要するにたくさん人を殺してるわけだが、」
「どうして、語り手を殺したの?」
少女の言葉が爆弾魔の言葉を遮りました。目の前の爆弾魔が恐ろしいという思いはありましたが、それ以上にその疑問が少女の心を占めていて口をついて出てきたのでした。
「コイツの家を訪ねて来てみれば、外から物騒な光景が見えたんでな」
「そんなことを訊いているんじゃないわ!」
少女はぴしゃりと言いました。爆弾魔は目を丸くします。こんな状況なのに小柄な少女があまりにも強気なので驚いたのです。
「私は語り手が死ななきゃいけなかった理由を訊いてるのよ!」
そして、少女の言葉にすっかり困り果ててしまいました。彼は答えをしっかり持っていましたが、それを少女に言うべきか言わぬべきか判断がつかなかったのです。
それにここで何を言っても、それが理由ではなく言い訳にしかならないことは爆弾魔自身がよく分かっていたのです。
「死ななきゃいけない人間はいないさ、嬢ちゃん」
爆弾魔は少女を見下ろして一先ず優しくそう言ってやりました。
「なら、どうして?」
そして、純粋な目を向けてそう訊ねてくる少女の口を、手で覆いました。
「アンタにも大人になったら分かるかもな」
より正確に言うならば、催眠薬の沁みた布で覆ったのでした。
「悪いな」
爆弾魔は心底申し訳なさそうに言いました。銃を腰のホルスターに差して、すっかり眠り込んだ少女をその両手で抱きかかえます。このまま自宅まで送ってやろうと爆弾魔はそのまま踵を返しました。しかし、また少しだけ振り向いて、地に伏したままの語り手の体を見ました。無論、その体はもう動くことはありません。
「悪いな」
爆弾魔はもう一度言いました。
「けど、俺は自分勝手でずるい奴だから、アンタが人殺しにならなくて良かったって思うんだよ、語り手」
最後にそう呟いて今度こそ踵を返しました。
爆弾魔はもう振り返りませんでした。
End 5『かけがえのないあなたへ』
※
世の中、ずるい大人ばかり。
End 5『かけがえのないあなたへ』へようこそ!
この後、爆弾魔は少女の自宅を調べて無事に送り届けましたとさ。
めでたし、めでたし。
……そんなこんなでまったくめでたくないエンディングになってしまいました。爆弾魔は別のルートでもちょっと掘り下げているので、よろしければ他のエンディングの巡ってみてくださいね!