第八話
日曜日。葉子ともみじちゃんを連れ、午前九時に家を出る。最寄りのインターから、高速道路に上り、一時間ほど車を走らせ、下りる。そこから更に五キロほど行ったところに、目的地『レンジャーランド』はあった。
「ふー、やっと着いたか」
助手席に座る葉子が『伸び』をしながら言う。俺は後部座席のもみじちゃんに目を向けた。彼女は眠たそうに目をこすっていた。
「降りていいよ」
俺がそう言うともみじちゃんは「ハイ」と、ゆっくりした動作で車を降りた。葉子がそれに続くのを確認し、俺は車をロックさせる。
『レンジャーランド』は面積三万平方メートルほどの小さなテーマパークで、安い割には楽しめる、と評判が良いらしい。今日の目的地にここを選んだのも、会社の同僚たちに勧められたからである。
「けっこう人が多いね」
俺たちが車を止めた『レンジャーパーク』専用の駐車場を見回しながら、葉子が言う。人の姿はあまり見えないが、かなりの車の数だ。
「日曜日だしな。早いとこ中入ろうぜ」
「そうね。もみじ、行くよ」
葉子が振り向き、もみじちゃんを手招く。彼女は既にもみじちゃんのことを『もみじ』と呼び捨てで呼ぶ。俺にはまだ出来ない。もみじちゃんは足元を気にしながら、小さな歩幅で俺たちに並んだ。葉子がフフと微笑む。
「スカート、気になる?」
「……少し」
もみじちゃんは昨日葉子が購入した、膝までの丈のスカートを履かされていた。彼女はスカートを履き慣れていないそうで、朝から歩き方がぎこちない。
「そんなんじゃ、ジェットコースターなんて乗れないじゃんか」
「ジェットコースターは」
もみじちゃんは恥ずかしそうに俯いた。「スカートじゃなくても乗れません」
どれぐらいの時間が経過しただろうか。俺は息絶え絶えになりながら、テーマパーク内のベンチに座り込んだ。
「ちょっと休憩しよう」
「だらしないよー。年寄りじゃないんだから」
葉子は呆れたように腕を組む。彼女はなぜこんなに元気なんだろう。
「そんなこと言っても、ジェットコースターばかり何度も何度も乗ってたら、本当に寿命が縮んじまうよ」
「仕方ないな。そろそろお昼にしよう。さ、レストラン行くよ」
彼女はもみじちゃんの手を引いて歩き出そうとする。
「ちょっと……待ってくれ。もう少し休憩を……」
もみじちゃんは俺たちのそんなやり取りを笑いながら見ていた。
もみじちゃんにとってジェットコースターは初体験だったそうだが、一度乗っただけですっかり虜になってしまったようである。コースターから降りた途端「また乗りたい」と言い出した。初めのうちは良かったのだが、それを三度、四度と繰り返すうちに、俺はすっかり参ってしまったのだ。
「もみじ、お父さんの手を引いてあげなさい」
もみじちゃんがタッタッと走り寄ってくる。もうスカートの違和感など完全に忘れてしまったらしい。
「ありがとう」
もみじちゃんに片手をあずけながら、立ち上がった。そして、彼女と手を繋いだまま、重い身体を引きずり、葉子に追いつく。葉子がもみじちゃんのもう片方の手を握る。もみじちゃんを中心に三人が横に並んだ状態でレストランを目指した。
他人からすれば、どう見ても家族にしか見えないだろうな、と俺は思った。
レストランでは三人ともエビピラフを注文した。全体的に値がはるメニューばかりの中、比較的安価だったからだ。
「評判通り、楽しい遊園地だね」
俺の向かいに座った葉子がスプーンでピラフをすくいながら言う。
「楽しいって言っても、ジェットコースターしか乗ってないだろ?他にもティーカップとかメリーゴーランドとかたくさんあるぜ」
「カップルの初デートじゃないんだから」
葉子は笑う。「もみじはもう十二歳だし、もっとスリルがあった方がいいよね」
口にピラフを含んだまま、もみじちゃんは首を振った。彼女は葉子の隣に座っている。
「ティーカップもメリーゴーランドも乗ってみたいな。お化け屋敷にも入ってみたい」
「ここ、お化け屋敷はないぞ?」
「え?」
もみじちゃんが俺を見て、目を丸めた。やがて残念そうにうなだれる。「そうなんだ」
「お化け屋敷なら凄く怖いところ知ってるよ」
葉子がもみじちゃんの肩に手を置いて言った。「あ、でもあそこ……夏休みしかやってないんだっけ? じゃあ、来年一緒に行こうね」
俺は心の中で、『上手い』と叫んでしまった。その『来年』の有無はもみじちゃんが握っているのだ。
もみじちゃんはニッコリと頷いた。
それから、ジェットコースターを挟みつつ、様々なアトラクションに乗り、次第に日が傾き始めた。そろそろ夕方六時を回ろうとしているが、もみじちゃんは全く疲れを知らないようだ。本日十度目のジェットコースターを乗り終え、走って戻ってきた。俺と葉子は既にバテており、ベンチで彼女を待っていたのだ。
「飽きないね。本当に」
勢い良く隣に座るもみじちゃんに葉子が言った。
「まだまだ乗り足りないぐらい」
「もう! いい加減にしなさい」
葉子は笑いながら立ち上がった。「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
「ふー、今日は疲れたなぁ」
俺は両手を高々と上げ、『伸び』をした。
「でも、楽しかったよね」
葉子はもみじちゃんと手を繋ぐ。もみじちゃんは葉子の問いには答えず、少し顔を曇らせて、呟いた。
「また来たいな」
今度は俺が、もみじちゃんの開いた手を握った。
「ああ、また来ような」
三人は、並んで出入り口に向かい、歩き出した。
確かに楽しかった。しかし、もみじちゃんと遊園地に来るのは、ひょっとしたらこれが最初で最後かもしれない、と俺は思った。例え、一ヵ月の試験生活を終え、彼女が俺たち夫婦の本当の娘となったとしても、彼女は既に十二歳である。そろそろ親と一緒に遊園地に行くのも卒業するような年齢じゃないだろうか。
『レンジャーランド』を出ても、もみじちゃんは名残惜しそうに、後ろを振り返っていたが、一番名残惜しい気持ちでいたのはきっとこの俺だろう。