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第三話

 院長室に入り、まず目に付いた物は中心にどっしりと置かれた応接セットであった。ガラス製の小さなテーブルを挟み、立派な茶色のソファが二脚ずつ向かい合っている。どうやら此処は応接室も兼ねている様だ。


「どうぞ、お座り下さい」


 池内先生に促され、俺達は扉側のソファに腰掛ける。「暑いでしょう。今、冷房を入れますね」


「あ、いえ。お構いなく」


 俺の言葉を無視し先生はピッ、とリモコンのスイッチを押した。やがて部屋の隅にあるエアコンがゴォォと低い音を立て始めた。彼女も俺達の向かいのソファに腰掛ける。


「よく話し合いされましたか?」


 そう言って彼女はニコッと笑顔を見せる。つまり俺達が養子に取る子供についてだ。


「はい」


 答えたのは葉子だった。「お互い色んな意見を出し合いました。それなりに大きな―中学生ぐらいの子より、まだ赤ん坊に近い子の方がいいだろうとか」


 先生はうんうんと頷く。


「確かに……自分の境遇がよく分かっていない子の方が育てやすいかもしれませんね」


「でも、いつかはその境遇について私達から告げなければならない、って考えると、逆に大きな子の方がいいのかも知れませんし」


「うーん」


 先生が難しい顔で唸る。「答えは出ませんか?」


「いえ、答えは出ています」


 葉子の言葉に先生は目を丸くする。


「と、言いますと?」


「どんな子でも良いんです」


「は?」


 再び話そうとする葉子を制し、俺が補足する。


「何もおかしな話ではありません。もし普通に―葉子がお腹を痛めて子供を産んだとしたら、その子は紛れもなく俺達の子です。選ぶ余地なんてありません。それと同じなんです。俺達は神様に全てを委ねようと決心したんです」


「お、落ち着いてください」


 そう言いながら彼女の方が明らかに動揺していた。「気持ちは分かりますが、実子と養子では全く話は別です。そもそも実子なら元から赤ん坊だし、境遇について話さなければいけないなんて悩みも無いじゃないですか」


「とにかく」


 俺は小さく首を振る。「大勢の子供達の中から、『この子となら上手くいく』『この子となら上手くいかない』なんて言ってるようじゃ、結局誰を選んでも上手くいかないんじゃないかと思います」


 先生は眉間に皺を寄せながら、しばらく沈黙した後、フゥと大きな溜息を吐いた。


「分かりました……。じゃあ、どうやって貴方達のお子さんをお選びになるんですか?」


「ええ。実は話し合って既に決めてあります。この『夢見の里』で最初に出会った子を養子に取ろうって」


「最初に出会った子?」


 先生はそう呟き、やがてハッとした顔を見せた。


「はい」


 俺は彼女の目をじっと見据えた。「池内先生。一度もみじちゃんとお話をさせて頂けませんか?」



「紅葉の名前が出た時、先生は困惑したような微妙な表情をなさいました。私は不思議に思いましたが、先生の話を聞いているうちに、彼女が何故あのような表情をしたのかが理解出来ました」



「率直に申し上げますと、あの子に親はいません」


 それを聞いて俺は素直に嬉しかった。少女に親がいないと分かって嬉しい、というのはどうにも不謹慎だが。


「十二年前の秋でしたか、置手紙と一緒に此処『夢見の里』の門の前に捨てられていたのを、児童の一人が発見しました。乳母車に乗せられたままワァワァ泣いてましたよ」


「そうでしたか……」


「あの子を養子に取るならば、普通養子縁組として家庭裁判所に申請する必要があります。まあ、それは問題ないでしょう。ただ、一番の問題は……」


 一番の問題は?

 俺達は先生の次の言葉を息を飲んで待った。「あの子自身の意志です」


「あの子の……もみじちゃんの意志ですか?」


 先生は深く頷く。


「当然ながらもみじちゃんを養子に取るには、当人の意志も尊重されます。あの子はもう十年以上此処で暮らしていますから。今更環境を変えるということに抵抗があるかもしれません」


 俺は葉子と顔を見合わせる。

 確かにそうだな、と思った。あの子にとっては幼年期を過ごしたこの施設こそが故郷といえるだろう。そろそろ思春期を迎えようとする少女に家族など必要ないのかもしれない。


「もみじちゃんは幾つなんですか?」


 葉子が再び先生に視線を移し、聞いた。


「一応、十二歳ということになっています」


 捨て子ということで、正式な生年月日は明らかじゃないのだろう。


「十二歳……か」


「どうなさいますか?彼女と話してみます?貴方達が良ければ私から話しておきますよ。今日は彼女……朝から体調不良なので、後日改めてという形になりますが」


「うーん」


 はっきり言って俺の心は折れかかっていた。もっと小さな、別の子を探した方がいいんじゃないだろうか。

 しかし次の瞬間、葉子がはっきりとした声で言った。


「はい、お願いします」


 俺は驚いて彼女を見る。


「葉子……」


「何で驚いてるの?」


 彼女はキョトンとした顔を見せた。


「だ、だって……」


「私ね」


 俺の言葉を遮り、彼女が話す。「先生があの子を『もみじちゃん』って呼んだ時から、すごく運命的なものを感じたんだ。きっと神様が巡り合わせてくれたんだと思うの」


「どうゆうこと?」


「『もみじ』って『紅葉』って書くでしょ? ほら、私の名前が入ってる」



「しばらくして子供達が散歩から帰ってきましたが私達は誰とも会話することなく、すぐに『夢見の里』を後にしました。『もみじ』という名前は、紅葉が拾われた当時の職員さんの一人が、季節に因んで名付けたんだそうです。予断ではありますが『楓』という候補もあったそうです」


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