第十一話
「よし、もみじー。着いたぞー」
後部座席のもみじに声を掛ける。彼女は黙って車を降り、バタンとドアを閉めた。同時に、葉子も車を降りる。
「もみじ。ほら、おいで」
彼女が手招く。もみじは俺をチラっと横目で見た後、タッタッタと葉子の下へ走った。
期日まで一週間を切った。俺達三人は近所のデパートまで車を走らせた。万が一、もみじが俺達の娘になることが叶わなかったら、今日が最後の外出になるかもしれない。
並んで先を歩く葉子ともみじに追いつく。するともみじが俺と葉子の顔を交互に伺い、居心地悪そうに俯いた。
明らかに俺達に気を遣っているのが分かる。
三日前の晩のことだ。もみじが床に就いた後、風呂から上がった俺は、リビングで横になり、くつろぐ葉子に尋ねてみた。
「そこのテーブルにあるアルバイト情報誌、どうしたんだ?」
「ああ」
葉子が身体を起こす。「そろそろパートでも始めようかなって」
俺はハァと溜息を吐く。
「お前、何もこんな時に始めるこたぁないだろ」
「だって」
唇を尖らせる彼女。「来年はもみじも中学生になるんだし、何かとお金が必要になってくるでしょう」
「それぐらい」
そう言いながらソファに腰掛ける。「俺の収入だけでなんとかなるし、お前が働きに出たらもみじちゃんが学校から帰って一人きりになるじゃないか」
「中学だけじゃないよ。その次は高校にも行かせてあげたいし、もみじが望めば大学も……」
「大体さ」
彼女の言葉を遮り、言う。「まだもみじが俺達の子になるってうわけじゃないんだぜ」
彼女は眉をひそめ、俺の顔をじっと見つめた。部屋の空気が明らかに変わる。
「何よ? あなた、まさか今更、私達の子がもみじじゃ不満だって言うんじゃないでしょうね」
「馬鹿なこと言うな!」
思わず声を荒げてしまう。「そうゆう意味じゃなくて、もみじ本人が望まない可能性だってあるじゃないか!」
「そんなわけないでしょ!」
彼女も応戦する。「今まで一緒に過ごしてきて分かるでしょ。あの子だってきっと私達の下に来るのを望んでる」
「それはそうだけどさ」
口論はしばらく続いたが、やがて葉子の「夫婦喧嘩なんかしてたら、もみじが居辛くなるからやめよう」という一言により、なんとかその場は収まった。
しかし俺達の喧嘩は一度火がついたら、完全に鎮火するまで時間が掛かる。それは過去の事例からも明らかであった。そして今回も例外ではなかったのだ。
デパート内の喫茶店に入り、珈琲を注文する。葉子ともみじはそれぞれカルピスを注文した。
「もみじ、なにか欲しいものある? 新しい服とか」
俺は両手でコップを支え、カルピスを飲むもみじに聞いた。
「え?」
彼女が上目遣いで俺を見る。「私は別に……。前、買ってもらったし。お母さんは?」
そう言って彼女は隣の葉子に顔を向ける。すかさず俺は言った。
「お母さんは放っておいても、欲しいもんあったら勝手にどんどん衝動買いするから、気にしなくていいよ」
葉子が俺をキッと睨みつける。もみじがおろおろと、不安げな様子で俺と葉子の顔を見比べた。
そんなもみじを不憫に思いながらも、なかなか葉子と距離を縮めることが出来ない。おそらく向こうも同じだろう。結局、喫茶店で俺と葉子が口を利くことはなかった。
三階、カジュアルファッションコーナーを訪れた。普段はあまり立ち寄らない場所だが、一つ一つ、もみじが着用しているところを想像しながら、服を探していると、なかなか楽しい時間を過ごすことができる。
「もみじー。これなんてどう? 似合いそうじゃない」
葉子がポップなアニメーションが描かれたティーシャツを広げ、言った。
「うーん」
もみじがそれを受け取る。「少し子供っぽいような気がする」
「じゃあ、これはどうだ?」
今度は俺がピンクのキャミソールを広げる。
「えー……。キャミソールかぁ」
「キャミソールはまだ早いでしょ」
葉子が目を合わせず、言った。彼女の態度が気に障ったので、俺は思わず反論する。
「お前だってなぁ。もみじ、いくつだと思ってんだよ。子供っぽいのばっか選びやがって」
「何よ、あなたこそ」
こうなったら止まらない。もみじのことを忘れ、俺達はまた口論を始めた。しかし、それはすぐに打ち止めとなる。
「ストップストップ」
もみじが俺達の間に割って入る。途端に俺と葉子は黙り込んだ。「あの……。恥ずかしいから喧嘩は家でやってほしいんだけど」
ふと見回すと、周りの客から注目を浴びてることに気付く。俺と葉子は頬を赤らめ、頷いた。
「ごめん」
「ううん」
もみじが笑って言った。「私のことだし。仕方ないよね」
その言い方がやけに気になった。
しつこいようだが、期日まで一週間を切っている。
―
「それでも私達はなかなか仲直り出来ませんでね。昔からそうなんですよ。結婚前にも何度かありました。ちなみに最長記録は二ヶ月です。ふふ……。いえ、笑いごとではありません。結局、『審判の日』前日になっても、私達夫婦は仲直りできないままだったのですから」