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賭の虫  作者: おだアール
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七 親子三人ドヤ住まい

   ()の虫





   七 親子三人ドヤ住まい


 春が来た。隆夫は両親に「俺は都会でひと花咲かせるんや」と言い残して大阪に移っていった。家具や衣類のほとんどは質に流してしまっていたため、わずかに残った子どもの衣類を一枚の風呂敷に包んでの旅立ちだった。二年前に結婚式を挙げた神社境内の庭園には、結婚式の日と同じように紅白の梅が満開に咲いていた。

 大阪行き連絡船の二等船室大部屋で、ごろりと横になって、スポーツ新聞をながめる隆夫、なにも知らない息子は、はじめて乗った船で、きゃっきゃっとはしゃいで大部屋の端から端へと駆け回っていた。連絡船は途中、おなご先生の映画の舞台、小豆島(しょうどしま)に立ち寄り、大阪へ向かう客を追加してふたたび海に出た。

 隆夫と正一が眠りについた深夜、連絡船の甲板に出て海風に打たれる幸子の姿があった。幸子の目からは止まることなく涙があふれていた。満天の星々が二十一歳の幸子を見守っている。船は瀬戸内海を東へ東へと進んでいた。


   ―――――


「幸子――。ええ嫁やった――」

 うつぶせなったまま力尽き横たわる隆夫の目、涙こぼれた。涙指でぬぐい口に運ぶ。しょっぱい味。何日かぶり口入れた液体。

 いつの間にか雨は強くなっていた。窓の外を見ることができれば、紫陽花の花びらが大きな雨粒に踊らされているのを鑑賞することができるだろう。雨は窓ガラスを激しく(たた)いていた。

 隆夫力振り絞り起きあがろうとした。両手からだ支え踏ん張って尻持ちあげかろうじて四つん這い姿勢。一歩進もうと手浮かした直後、浮かした手進まずずるっ滑って上半身床倒れ込んだ。もう二度と起きあがれない。隆夫の肉体隆夫にそのこと宣告した。

 ふたたび地獄情景想像した。マンガのような叫喚地獄また浮かびあがった。

「幸子……、すまん」

 あやまる、ただあやまる。これがすべてだった。


   ―――――


 大阪に着くなり隆夫は、隣の県に住む一番上の兄、(きよし)を訪ねた。兄弟のなかでただひとり四国を飛び出していた清は、戦争中陸軍上等兵として戦地に駐留しいずれ日本は太平洋を征服することを信じて、神国日本、天皇陛下万歳を(とな)え、前線で死ぬことも覚悟していたひとりだった。

 実家から事情を聴いていた兄は、訪問してきた隆夫を諭した。

「隆夫、都会はお前の思てるようなとこやない。俺やって、今は食うていくだけで精一杯や。お前みたいな、じょんならん(もん)が生活していけるところとちゃう。悪いことは言わん。帰りの運賃やるからすぐに()ね」

 隆夫は、金だけを受け取って、返事もせずに兄の家をあとにした。


 隆夫たちの大阪での生活がはじまった。三畳一間布団付きの簡易宿泊所に家族三人が住んだ。日雇い労働者が夜寝るためだけの家賃日払いの宿。だが、そんなところでも夫婦者も何組か住んでいた。木造平屋建て、廊下の両側に三畳部屋が並び、部屋の掃き出し窓を出たところには住人共同の洗い場があった。幸子は同じような境遇にいる四、五人の女とともに、朝夕の食事を作ったり洗濯したりする生活をはじめた。

 隆夫は朝早くに起き、日雇い仕事に出て生活費を稼いでくるようになった。隆夫の心にも、今度こそ自立しようとの自覚があったのだろう。稼いできた日当からその日の家賃を払い、残りをその日の三人のめし代にする。雨でも降って仕事にありつけなければ金は手に入らない。ぎりぎりの生活だった。けれども、ともかく隆夫は立ち直ろうとしていた。そのことに幸子も満足していた。

 幸子も衣料修理店に働きに出るようになった。作業場の隅で正一を遊ばせながら一日中ミシンを踏む。幸子にとって張り合いのある生活だった。


 夜になると、ひとり用の布団に三人が川の字になって眠った。

「幸子、あしたも四時には出かけるけんの」

「わかった。朝ごはんできたら、ちゃんと起こしちゃるけん」

「のう、幸子――、きょうはどうなん」

「うーん、あしたにははじまると思うんよ。じゃけん安全じゃと思うけど……」

「なら、こっち、こ」

 隆夫は、すやすやと寝息を立てている息子を抱き、そっと脇にずらして、布団のまん中を空けた。

「やっぱりこわいのう。正一の世話だけでも精いっぱいちゅうに、もしまた、できてしもたら……」

「大丈夫、大丈夫」

「なにが大丈夫なんよ。正一も大丈夫や言うてできた子じゃろが」

「いまさら言うな。大丈夫じゃって」

「のう、隆夫さん、今度薬屋で、あれ買うてきてくれんかの。うち、するとき、いつもびくびくしとんよ」

「あげな高いもん、いらん。俺、出そうなったらちゃんと抜くけん」

 幸子の白いからだに黒く焼けた隆夫の胸がかぶさった。壁一枚隔てた隣室からラジオの音が聞こえる。指が幸子の上半身から下半身に移動する。くっ、いけん、いけんいけん、息を殺さねば。幸子は腕に力を込めて、夫の首筋に鼻と口を押しつけた。


 大阪に来て隆夫は改心したように見えた。ところが、飽きっぽい性格とさぼり癖のついた性根が、そう簡単に直ることはなかった。日雇いの仕事が少なくなってきた梅雨のころ、部屋でごろごろするだけでは退屈がしのげず、隆夫はまずパチンコ屋に出入りするようになった。素人の持つツキがあって、日雇いで稼げば何日もかかる金が半日で儲かった。隆夫は、儲けた金で、息子のためにブリキ製のおもちゃのトラックを買って、意気揚々と部屋に戻り、幸子相手にパチンコの面白さや儲け方を熱っぽく語った。たった一回大勝ちしただけの経験で、パチンコのすべてを知りつくしたかのような口ぶりだった。

 隆夫の凋落(ちょうらく)は今までと同じ経過をたどった。梅雨が明け日雇いの求人が増えても、隆夫は働きに出ようとしなかった。四時に起きていたものが八時になり九時になり、十時を過ぎてもまだ惰眠をむさぼるようになった。昼前にようやく起きて、幸子が作り置きしてくれていた朝飯を食ったあとは、ランニングとステテコに腹巻き、それにサンダル履きで出かけるのだった。

 金のあるときはそのままパチンコ屋に出向き、ないときは金を貸してくれる心当たりをまわった。めし屋、果物屋、古着屋……、「仕事あぶれてもうて……」、「嫁が風邪ひきよって……」。奥さんや子どもさんのことをふびんに思ってつい、という甘い考えが隆夫をつけあがらせて、その後は三日にあげず借りに来る。人の良い店主はみんな金を貸していた。一回あたりの金額が少ないこともあって、最後は隆夫のねばりに負けて金を貸してしまうのだった。

 金を借りるときの隆夫のしつこさは半端ではなかった。「息子に食わすもんないねん」、「あした返す言うとるやろ」、「なあ、五百円でええねん」。「店のじゃまになるから」と追い返そうとすると「この店、客追い払うんか」と居直る。隆夫のあまりのしつこさに警察に通報されたこともあった。しかし隆夫は、借金を申し込んでいるだけで法を犯しているわけではない。警察ができることはせいぜい説教することだけ。貸すほうにすれば、脅されたり暴力を振るわれたりするほうが、まだましだったかもしれない。隆夫はある意味、暴力団よりやっかいな存在だった。

 隆夫が無理に金を借りた相手の不満は幸子に向けられた。「お宅のお父ちゃん、きょうも金借りに来よったんやで」と嫌みたっぷりに言われ、「奥さんがちゃんと()(づな)引っぱっとかんと」とくどくどと説教された。

 家賃の滞納も続いた。金が入ったときにまとめて支払っても「あと二十日分残ってますからね」と管理人に釘をさされる。その日の夕飯を作る米もなく、隣家から融通してもらうのも日常になっていった。

 汗を流して働く、ということが頭のなかから完全に消え去っていた隆夫は、毎日毎日、昼間はレース場、夜はパチンコ店に入り浸るという生活になっていった。


 幸子がいくらがんばって働いても、隆夫の遊び金までやりくりできるわけがない。隆夫は、大きい金を求めるときは、電車で一時間、隣の県に住む兄が標的になった。家でくつろいでいる兄を突然訪問し、あることないことまくし立て、奪うように金をせびり取っていく。兄にしてみれば、隆夫が大阪にやってきたこと自体が災難だった。

 兄からもいよいよ金を引き出せなくなると、今度は、連絡船に乗って四国の実家やほかの兄弟の家へ出向いていった。帰りの運賃も持たずに連絡船に乗り込み、夜が明けきらない朝に四国の地に着くと、その足で兄弟の誰かの家を訪問し、突然起こされて眠りから覚めきらない兄弟にいきなり「金貸してくれ」とまくし立て、とりあえず場を収めようとする心理につけ込んで、まず相当額の金を手に入れ、つぎにほかの兄弟の家に向かうのだった。はじめのうちは、幸子が病気だの正一が怪我(けが)をしただのと口実を使っていたが、それも使えなくなると金を落としただの、家が焼けただの、すぐにばれる(うそ)を平気でついて、嘘の矛盾を追及されるとさらに嘘を塗り重ね、あきれかえっている兄弟に、さらにしつこくしつこくとにかくしつこくねばり、最後は狙った額の金を手に入れていくのだった。なかでもせびられる金額が多かったのは姉の和子だった。資産家に嫁いでいる和子の寝込みを襲い、出勤前のあわただしいときを攻め、ついには勤め先にまで出向いて思うままの金を手に入れていった。


 とりあえずめし代ほどの金を手に入れる手段として血液を売ることもあった。隆夫は幸子とともに大阪環状線に乗り、七つ目の駅で下りて、(ひん)(ぱん)に売血を続けることがいかに危険なことかを知らしめるポスターをながめることもなく、一人分五百円の血液の代金を求めて、陰湿な空気が漂う、うす暗く味気ない灰色コンクリート造りの血液センターへ出かけるのだった。そこにはすでに、隆夫と同じ地に住む多くの日雇い労働者が、冷たいコンクリートの階段にしゃがみ込んで、採血されるのを待つ光景が見られた。一緒に連れていかれた正一は、両親がなにをしているのか知らぬまま、階段に敷いた新聞紙の上に座って、粉末を溶いただけの飲み放題のジュースを飲み、売血する人に支給されるふたり分のビスケットを食べていた。


 東京の日雇い労働者の町で三千人の人々が暴動を起こした翌年の夏、大阪のこの地でも暴動が起こるのは必然だった。警察署の前に五千人もの群衆が取り巻いた。商店街では何百人もの労働者がいわしのように群をなして走り回り、パチンコ屋を襲い、質屋を襲い、酒屋や食料品店を襲った。暴動にまで発展したもともとのきっかけはなんだったか、労働者の大半はそんなことどうでも良かった。金や権力を持つ者への憂さ晴らしから、おもしろ半分で商店を襲っていた。

 隆夫も面白がって商店街を走り回ったひとりだった。幼い息子は幸子とともに、勇壮な祭りでも観るようにその光景をながめていた。暴徒は警察や商店を襲撃したが、見物している幸子や息子に(やいば)を向けることはなかった。金のないものは襲わない、という暴徒の論理により安全が保証されていた。


(つづく)



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