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牢獄

 窓から差し込む陽光に急かされるようにして、シンは目を覚ました。

 床で丸まって眠り続けているアニマを起こさないように注意して部屋を抜け出す。

 微妙に頭が重かった。眠りが浅かったらしい。

 一階に下りて泥のようなコーヒーを啜っていると、宿屋の主人に声をかけられた。

「昨夜はお楽しみ……でも無かったようですね。その様子ですと」

 言い返すのも億劫だったので一瞥をくれて無視する。

「若いときは色々ありますよ。そうお気を落とされずに」

 テーブルに朝刊を投げてよこした。一面トップに踊るのは連続殺人事件の記事だ。

 被害者全員が何らかの形でスターシュ教会と関係していることから、犯人は教会に恨みを持つ確信犯に違いないと書き立てられている。

「祭りが近いというのに物騒なものです」

 早朝のせいか、シンのほかに客はいない。

「少しよろしいでしょうか?」

 主人は声を抑えて言った。

「実はシン様に教会から出頭命令が来ています。何をされたかは存じませんが、面倒ごとは困ります。確かに伝えましたから」

 迷惑そうにはしていたが、何食わぬ顔でシンの席から離れていった。

 あとには地図の走り書きが残されていた。

 事件絡みだとすれば、アニマにも伝えておいたほうが良さそうだが……。

 シンは苦いコーヒーをちびちびと啜った。

 クリーンには首を突っ込まないよう釘を刺されている。

 誘惑する蝶のようにひらひらと身をかわし、アニマの安否について言及して消えた少女の存在も気にかかる。

 魔法使い。

 彼らは例外なく魔法使いだった。

 蜘蛛の糸に絡め取られたように四肢を繋がれた。しかもその糸は魔法使い謹製の特注品だった。何も知らずに関わり続ければ、次なる生け贄に捧げられるのは自分かもしれない。

 不吉な想像にさらわれそうになるのを感じて、シンは考えをひとまず打ち切った。

 やはりアニマに相談するしか無さそうだ。なぜなら彼は一流の魔法使いだからだ。

 何でもない友人のように振舞うことさえできれば大丈夫。

「何でもない友人、か」

 思わず漏れたため息に、シンは自分でも驚いた。

 その理由がわからず、驚きは二重に増した。

「最悪だ……」

 ひとりごちると新聞で顔を隠して、アニマが起きてくるまで二度寝することにした。

 飲み干したコーヒーのせいで睡魔は裸足で逃げだしていた。

 

 シンから遅れること一時間。

 アニマは眠そうに目元を擦りながらロビーに下りてきた。

 シンが教会に行くことを告げると、何事も無かったように一緒に行こうとする。玄関で振り返った。

「なに? 忘れ物でもした?」

 アニマの切り替えの早さに唖然とする。あれこれ思い悩んだのが馬鹿らしく思えてくる。

「そういうわけじゃ……いや、忘れ物あった。ありがとう」

 そのまま部屋には戻らずに外へ出た。

「どういたしまして」

 アニマもそれ以上は突っ込んでこなかった。

「それにしても、シンだけ呼び出されるなんて妙だと思わない?」

 向かう途中で買ったサンドイッチを頬張りながらアニマが言う。ちなみに代金はシンが払った。出世払いだと本人は言うが、期待はしていない。

「あの場にはボクもいたのに。絶対ボクの方が役に立つよ。犯人は魔法使いなんだよ」

 むくれて言われても、シンには答えようがない。責任は教会の担当者にあるのだから、苦情を押しつけるならそちらへどうぞ。とは口が裂けても言えない。

「見せつけてやるんだ」

 どうやら魔法使いとしてのプライドを傷つけられたらしい。

 しかし、彼の怒りの矛先には全く別の方向から横槍が入った。

 到着したシンたちを待ち受けていたのは、尋問の類では無かったからだ。

 二人を出迎えたのは私兵団の青年だった。

 仕事を割り振ってもらったので一日ぶりの再会だ。名前はスペンサーというらしい。

「怪しい人物を捕まえたところ、身元引受人としてあなたの名前を出しましたので」

 スペンサーは困り果てたといった様子でため息をついた。

「人手不足のせいで、何でもこちらに回されるんですよ」

 余裕の無い疲れた顔をしている。目の下にはうっすらと隈ができていた。

「この奥に閉じ込めておいたので、もしも知り合いなら勝手に連れて帰ってもらって結構です。それと容疑者の手配書はこちらになります。ピンと来たらご一報ください」

 忙しく事務的に告げると、そのまま踵を返した。

 手配書の似顔絵を確認して顔が強張った。スペンサーに見られなかったのは幸いだった。

「これ……」

 どうやらアニマも同じ人物を思い浮かべているようだ。

 年齢、身体的特徴の説明文も的を射ている。

 シンはスペンサーを追いかけようとしたアニマの腕をつかんだ。

「シン! どうして止めるのさ。彼は違う!」

「わかってる。しかしどうやって説明する? アニマは知らないだろうけど、助けてくれたのは彼なんだ。その彼が言ったんだ。俺たちは嵌められたって。だから説明しないほうがいい」

 唇をかみ締めて睨まれる。つかまえた腕は怒りで震えていた。

「恩人ならなおさら!」

 振り払われた。しかし、アニマはスペンサーを追おうとはしなかった。

「シンはいいよね。魔法使いじゃないから。シンにはわからないんだ。魔法使いがどんな気持ちで毎日を過ごしているか」

 シンは伸ばしかけた腕を力なく下ろした。

「……ごめん。言い過ぎた。正しいのはシンだ。彼がそう言うならここで争っても仕方ない。行こう」

 シンは叫び出したかった。

 何を叫びたかったのかはわからない。それは意味のある形を成していなかった。だからこそ叫びたかったのかもしれない。

 そんな自分の気持ちに無理やり蓋をしてシンは平静を装った。

「わかってくれたならいいんだ」

 不協和音で軋む心臓の音を聞いた。

 異様に長く感じる通路を抜けて地下牢に入った。

「シンさーん。助けてくださいです」

 鉄格子を挟んで、いかにも哀れっぽい声を出して泣きついてきた顔には確かに見覚えがあった。けれども知り合いと言えるほど付き合いが長いわけでもなかった。

「誰?」

「葛ノ葉耀子さん……で、あってる?」

 アニマに聞かれてなんとか思い出した。特徴的な赤と白のコントラストは覚えていても、名前までは自信が持てない。

「そうです。そうです。耀子です。やっと知っている人に巡り会えて耀子は感激です」

 門番が来るのを待たずに内側からガチャリと鍵を開けて耀子は牢の中から抜け出してきた。どこにも鍵を持っているようには見えない。

「ああ。不思議そうな顔をされていますね。わかります。わかりますとも。いつでも出られるならどうして? そうおっしゃりたいのですね」

 耀子は芝居がかった様子で袖をたなびかせ歌うように囀る。

「心象が悪くなるからです。異国の地で頼る人もおらず孤立するのは避けねばなりません。袖振り合うも他生の縁というではありませんか。私のような日陰者は人の情けに縋るしか生きるすべを持たないのです。あれ? どうされました?」

 スペンサーの心労の一端を垣間見た気がした。

「シンの知り合いなの? この変な人」

「随分な言われようです。あなたのほうがよほど変ではありませんか」

 耀子はアニマに抱きつくと丹念に体を撫で回した。執拗に胸の辺りや腰周りに指を這わせている。アニマは目を白黒させて声にならない悲鳴を上げた。

「いい匂いがします」

 髪に顔をうずくめられてようやく我に返ったらしく、アニマは耀子を引っぺがしにかかった。押しのけられれば抵抗する気はないようだ。彼女はあっさりとアニマを解放した。

「へ、変態! 変態だ。この人、頭がおかしい!」

 シンの影に隠れるようにしてアニマが叫んだ。

「あらら。どうやら嫌われてしまったようです。あまり邪険にされると、あなたの体の秘密をうっかり漏らしてしまうかもしれません」

 耀子はお日様のように微笑んだ。

「秘密、ですか?」

「ええ。お連れの方があまりにも珍しい体をしていたので、知的好奇心を刺激されてしまいました。ちなみに私は変態ではありませんし、頭もおかしくありません。なんなら証拠を開陳してみせましょうか?」

「ああっ! ストップ。ストーーーーーップ! ダメ。絶対。それはやめて!」

 慌てて止めに入るアニマに耀子はにっこりと微笑みかけた。アニマは何か言いたそうな顔をしていたが、結局は顔を背けるだけだった。

「あらためまして。私は葛ノ葉耀子と申します。趣味は観光地巡りです。仲良くしてくださると嬉しいです」

「……アニマだよ」

 渋々差し出されたアニマの右手を耀子は両手で包み込んだ。アニマは何ともいえない顔をしている。耀子は小首を傾げた。

 事件現場の近くを意味も無くうろうろしていたら、尋問されて任意同行を求められたと耀子は冗談めかして言った。

「魔力場の乱れが気になったと言っても誰も信用してくださらないんです。この国の人間はもしや魔術音痴なんですか? アニマさんやクリーンさんを見る限り、とてもそうは思えないのですが……」

 道すがら話を聞くうちにわかってきたことがある。

 どうやら観光地巡りというのは表向きの理由で、彼女の本当の目的は別にあるようだ。

 話題が魔術に関することに偏っている。

 最初、アニマは話しかけられるのを露骨に嫌がっていたが、魔術談義に花を咲かせるうちに普段の調子を取り戻してきていた。

「私たちの国には四神相応という考えかたがあってですね。ケートの都はまさにその条件を満たしているのです」

「それは多分、街づくりに魔術師が関わっていたからだよ」

 意気投合して二人で話を続けている。

 シンには入りこめない世界の話だ。

「っと、すみません。何だかアニマさんを横取りしたみたいになってしまって」

「シンのことは気にしないでいいよ。ボクも耀子と話しているほうが楽しいし」

 返事を横取りされた。

「しかし、お二人は逢引中だったのでしょう?」

「あ、逢引!?」

 アニマは金魚のようにパクパクと口をわななかせる。

「あれ? もしかして言葉が間違ってます? えーっと……デート中だったのですか? これで通じますよね」

「いや、そのなんというか……」

「違うよ! なんでボクとシンがデートしないといけないのさ!? シンとは全然そういうのじゃないから! シンは全然魔術のことも知らないし、一緒にいてこんなにつまらない人もいないよ!? 耀子の目は節穴!?」

 またしても返事を横取りされた。

「人を見る目には自信があるのですが……」

 耀子は腕組みをして小首を傾げた。そしてポンと手のひらを打ち鳴らした。

「アニマさん、私とデートしてみませんか?」

「はい?」

 目を丸くしたアニマに耀子は畳みかけるように言葉を重ねる。

「だからデートですよ。デート。二人で街歩きしましょう。それでシンさんがつまらないかどうかわかるはずです。もちろん、シンさんが許してくだされば、の話ですが……」

 突然水を向けられて、シンは答えに窮した。

 再三、返事を横取りしてきたアニマだったが、今回ばかりはシンの顔色をうかがうばかりで答えそうにない。そればかりか何かを期待するような微妙な視線を投げかけてくる。

 シンには耀子のように魔術の知識はない。それに、どうやら耀子はアニマのことを気に入っているようだ。先日、耀子の誘いを断った件の埋め合わせをするチャンスだった。

「俺のことは気にしなくていいよ」

 だから、それは自然とたどり着いた答えだった。

「ありがとうございます」

 耀子は深々とお辞儀をすると、アニマの手を取った。

「シン。本当にいいの?」

 殊勝に確認してくるアニマはどこか浮かない顔をしている。一人で放置することに罪悪感があるのかもしれない。

「耀子さんに街を案内してやってくれ。俺よりもアニマのほうが詳しいだろ。実は俺も一人でやりたいことがあったんだ」

 嘘だ。

「……そう」

 アニマはしばらくの間、じっとシンを見つめていたが、やがて短く返事をした。

「それでは話はまとまりましたね。ふつつかものですが、一日の間、どうぞよろしくお願いいたします」

 まるで三つ指をつきそうな勢いだ。耀子は一人、誰よりも元気だった。

 後ろ髪を引かれるように何度も振り返るアニマをシンは笑顔で見送った。

 二人の姿が見えなくなって、初めてゆっくりと息を吐いた。それは予想外に大きなため息だった。

「……重症だ。みんなどうかしている」

 ひとりごちた。

 胃の中に沈殿した澱のようなものは消える気配を見せなかった。

シンは一路孤児院に向かうことにした。

 特に用事があるわけではないが、妙な引っかかりを覚えていた。何かを見落としている気がしている。違和感がつきまとっていた。

 事実を整理してみる。

 教会の斡旋で訪れた孤児院で不意の襲撃。銃弾が飛来した。

 連続殺人事件の容疑者としてクリーンは指名手配されている。

 彼自身は「嵌められた」と言っていた。

 地下で遭遇した連続殺人鬼シリアルキラー。一連の事件の首謀者。

 断片的な情報を繋ぐ糸は見えてこない。

 クリーンの忠告を無視する形になるが、黙って引き下がりたくない気持ちのほうが勝っていた。

 孤児院から子供たちの歌声が漏れ聞こえてくる。

 目の見える範囲に事件の生々しい傷跡は残っていない。シンは安堵の吐息を漏らした。

 敷地の外で立ち尽くしていると、まるで不審者そのものだ。耀子の二の舞にはなりたくない。あれこれ考えるのはやめて中へ立ち入り扉をノックした。

「はい。あなたは……」

 奥から現れた女性はシンの姿を認めるなり眉をひそめた。

「その……怪しいものではありません。教会の関係者でもありませんし、レリックとは初対面でした」

「そうですか。それで?」

 物静かに問い返した女性の眼差しは幾分和らいだように見えたが、完全に警戒心が薄らいだようにも見えなかった。

 シンは誤解されないように言葉を選ぼうとして、しかし聞きたいことは特に思いつかなかった。明確な目的があって訪れたわけではないからだ。

「まぁいいでしょう。あなたもあの人に騙された口でしょう。どうぞお入りになって」

 女性は深々とため息をついた。シンが入るのを見届け静かに鍵を閉めた。

 廊下で走り回る男の子とすれ違った。注意されて「わかりました」と元気に返事だけをして、そのまま走り去った。

「すみません。何度も言って聞かせているのですが」

 女性は皺が目立ち始めた顔に苦笑を浮かべた。

 奥の部屋では修道服に身を包んだ若い男が子供たちに囲まれていた。心なしか女の子のほうが多い気がする。包装された小包が床にいくつも転がっていた。

「どうも。小汚いところですが、ようこそお越しくださいました」

「小汚いとはなんですか。あなたはいくつになってもそんなことばかり言って」

 子供たちの輪から抜け出した男は、皮肉めいた笑みを浮かべて一礼した。

 シンは思わず目を見張った。

 髪をオールバックにして眼鏡をかけているが、変装というにはそれはあまりにお粗末な代物だった。相手もシンの様子に気づいたらしく、ばつの悪そうな顔をした。

「あなたのお客さま?」

「違いますよ。シスター」

 クリーンは真面目くさって即座に否定した。



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