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バックスの酒場

 混乱のうちに客で溢れている食堂に連れ込まれた。

 気がついた時にはアニマと二人でテーブルを囲んでいた。

 道筋を全く覚えていない。コップに注がれた冷たい水に口をつけると、思っていたよりもずっと喉が渇いていたのか、一気に飲み干してしまった。

 雑然とした店だった。

 ピアノからは弾けるように明るい曲が流れ、男たちの笑い声がそこかしこから聞こえてくる。

 お世辞にも上品な店とは言いがたい。しかし、活気に満ちていた。変に畏まったりせず、自然体でいられそうな雰囲気だ。

「いい店でしょ?」

 心の中を見透かしたようにアニマが言った。

 シンがうなずくと、まるで自分が誉められたように誇らしげに胸を張る。

 それでわかった。ここは彼のお気に入りの店なのだ。

 テーブルの上に大皿がドンと載せられた。

 丸々一匹豪快に焼き上げられたであろう鶏。黄金色に輝く表面から食欲をそそる香ばしい匂いが立ち昇る。取り分けてかぶりつくと、たっぷりと肉汁が染み出してくる。

 シンに負けじとアニマも続いた。二人で競い合うようにして平らげていく。

 自分と同じ勢いで料理を片付けるアニマを見てシンは安心した。

 大口を開けて頬が膨らむほど料理を詰め込んでは折角の可愛い顔も台無しだ。彼が一瞬でも女だと思ったのは気の迷いだった。

「どしたの? もうお腹いっぱいになった?」

 シンの手が止まっているのを勘違いしたアニマが不思議そうに見つめてくる。そうしている間にも魚料理や山菜、ご飯モノが次から次へと届けられる。あっという間にテーブルは料理で埋め尽くされた。

「いいや。全然」

 シンが食事を再開すると、アニマは嬉しそうに笑った。

 

 テーブルの上には空になった大皿が積み重ねられている。その上にアニマは最後の一枚を重ねた。

「あー、もうダメ。いくらボクでもこれ以上は入らないよ」

 アニマはシンがギブアップした後もかなりの時間食べ続けていたような気がする。自分より一回りは小さい体のどこに入ったのか。シンは本気で不思議だった。

「甘いものは別腹で入りそうな気もするけど。追加で頼もっか?」

 あながち冗談でも無さそうな調子でアニマは言う。苦笑いを浮かべて力なく首を振ると、彼は満面の笑顔を見せた。

「それじゃ行こう」

 アニマは席を立った。しかし出口には向かわない。慣れた様子で店の奥へと進む。外からは死角になって見えない位置で男たちがテーブルを囲んでいた。

 カードとコインが散らばっている。美女の腰を抱いてグラスを回している一人の陽気な男の前に大半のコインが集まっていた。シンはその顔に見覚えがあった。

「クリーン!」

 思わず名前を呼んでしまった。

 隣でアニマが驚いているが、シンの驚きはその比ではない。あの程度でくたばるようなやつだとは思わなかったが、これほど早く再会するとも思っていなかった。

「おおっ! あの時のガキじゃねーか。お互い女連れとは景気のいい話だな」

 クリーンはボトルからグラスに酒を注ぎ、乾杯の仕草をして見せた。

「お前の番だぞ。早くしやがれ」

 クリーンの横で男が歯軋りしている。見ればほとんどチップが残っていない。残った二人は諦観したように首を振っている。

「あん? レイズだよ。レイズ」

 クリーンは男の限度額ぎりぎりまで掛け金を吊り上げた。降りられない男は勝負するしかない。はたしてお互いの手札が白日の元に晒された。

 男の手はエースのスリーカード。対するクリーンはキングとジャックのフルハウスだった。

「クリーンったらお茶目さんね」

「だろ? 他人の金で飲む酒は旨いからな」

 破産した男はがっくりとうなだれて席をはずした。

「今度は俺たちが奢ってもらうさ」

 他の二人も肩をすくめて席を立つと、捨て台詞を残して男のあとを追った。理由はわからないが、クリーンの横にいた女まで店を出て行った。

 何か言いたそうな顔をしてアニマがそわそわしだした。シンはクリーンをアニマに軽く紹介した。もちろんクリーンの無事を労うことも忘れない。

「そんなことどうでもいいよ。ね、おっさん。今度はボクと勝負しない?」

「いいね! 嬢ちゃんはイケる口かい? だが、オッサンというのはいただけないな。俺まだ二十六だぜ」

 二人から返ってきた酷い言葉の嵐に挫けそうになる。

 良からぬ方向で意気投合している彼らの仲を引き裂いて早急に軌道修正しなければ危険そうな雰囲気だ。けれども、そんなシンの思惑を無視してアニマは席に着いてしまった。

「大丈夫だよ。自信あるから」

 テーブルに散らばったカードを集めてシャッフルするアニマの流麗な手さばきは正直見惚れるほどに美しい。だが、そんな彼の姿を目の当たりにしてもクリーンはいささかも慌てる様子が無い。むしろ余裕の笑みを浮かべている。

「なんだ? イカサマでも疑ってるのか? そんな卑怯な真似をするわけないだろ。真剣勝負にチャチな技は使わない。それがギャンブラーってもんよ」

 不審な目を向けているのに気づかれたようだ。先読みするように自ら釘を刺されてはシンとしても強く出られない。

 アニマはカードを置いてトップから一枚めくった。ダイヤの三だ。

「イカサマしないの? こんなに面白いカード使ってるのに?」

 指の間に挟んで一回転させてみせた。

 ハートの七に変化した。

 さらにカードを何度も回転させる。そのたびにくるくるとめまぐるしく絵柄が変化する。目にも留まらぬ早業でカードを抜き差ししているようには見えない。全く同じ一枚のカード。その片面が変化し続けていた。

 アニマの行動は謎だらけで、シンには全く理解できなかった。

「……言っておくがな。俺が手品を使えるのはさっきのやつらも知っている。そして俺がそうしないこともな。くだらない正義感を振りかざしたいだけなら余所でやれ」

 クリーンはそう言うと、つまらなさそうに椅子を漕ぎ出した。コインを親指で弾き、握ってはまた弾く。それを繰り返している。

「違うよ。手品ありで勝負しないかって、そういうこと。ボクの相手になりそうな人って初めてなんだ。きっと熱い夜になると思う。シンは全然、興味なさそうなんだもん。早く帰りたいって顔に書いてあるよ」

 畳み掛けるように言ったアニマに、周りから囃したてるように野次が飛んだ。修羅場を期待する声まであがっている。

 クリーンはコインを飛ばすのを止めて椅子に座り直した。面白い生き物に出くわしたような目をしている。待つこと数瞬、クリーンはついに口を開いた。

「いいぜ。勝負しよう。負けたら一晩、俺と過ごす覚悟があるってことだな」

「え!? ちがっ!? シンも本気にしちゃダメだよ! あくまでゲームがしたいだけなんだから!」

 アニマは慌てるが、調子に乗ったクリーンに煽られた観客にそんな言い訳は通用しなかった。すでに外ウマが張られ始めている。アニマに賭ける人間はほとんど誰もいない。

「よ、よーし。負けなければいいんだ。勝てば何の問題もない。よーし」

 そしてアニマ自身は顔を赤くして独り言を呟いている。

 シンは諦めてアニマの横に座った。

「俺はアニマに賭けるよ。ミルク一杯分」

「シン、手品できるの?」

 あからさまに疑わしそうな視線を投げかけるアニマにシンは肩をすくめて見せた。ポーカーフェイスは期待するだけ無駄そうだ。シンはそう思ったがもちろん口には出さなかった。

 カードを手に取って軽くシャッフルして見せる。一枚めくった。アニマのようにカードを回転させても絵柄は変化しない。

「見ての通り手品は苦手なんだ。悪いけど、フツーにやってくれるかな」

「いいぜ、どっちでも。どうせ勝つのはオレ様だからな」

 クリーンは突然の提案にも足を組んで鷹揚にうなずいた。相当に場慣れしている。

 全く自慢にはならないが、シンは特別カードゲームに詳しいわけではない。おそらくまともにゲームをしたならクリーンはおろかアニマにも勝てないだろう。アニマの腕も知らない。ただ勝者と敗者はすでに決まっている。そんな気がした。友達を負け戦に一人で乗り込ませたくない。それだけだった。

 クリーンは手早く一枚のカードを抜き出した。それはクイーンだった。シャッフルを済ませ、一枚ずつカードを配っていく。

「これならお前でもできるだろ」

 配り終わったカードから同じ数字の二枚を抜き出していく。そのあとは順番にカードを引き合ってペアになったカードを捨てていく。最後までクイーンを持っていた人間が敗者となる。クリーンが選んだのは最も単純で簡単なゲームだった。それはシンに合わせたように見せて、実はアニマにぴたりと照準を合わせていたことが、ゲームを開始するとすぐにわかった。

 顔に出ることは無いが、アニマの手札は透けて見えるようだった。

カードに触れた指先がちりちりと焼けるような感じがしたり、妙に冷たかったりするからだ。しかもそのカードを引くと、いつも決まったようにクイーンだった。

「ところで、妙な噂を聞きつけたんだがな……」

 ゲームを続行しながらクリーンが話し始めた。

「二週間の間に二人殺されたらしい。毎週同じように金曜深夜にやられている。緘口令が引かれているのか、表にはあまり情報が出回っていないがな」

 ゲームから注意を逸らすためのトラッシュトークと捨て置くべきなのかもしれない。けれども、それにしては随分と真に迫った言い方をする。アニマに至ってはカードを引くのも忘れてクリーンの話に聞き入っている。

「暴行されたうえ猟奇的な方法で殺された。そのせいで表沙汰にできない……これも噂だがな」

 黙りこんでしまったアニマにクリーンはカードを引くように促した。クリーンの手札から引いたカードでは数字が合わなかったらしい。アニマの手札は減らなかった。

「どうしてそんな話を?」

 クリーンに手札を差し出しながら尋ねた。彼はどのカードを引くべきか吟味するようにシンの手札を指で探っていて、質問には答えてくれない。シンの手に残った三枚のカードの全てに一度ずつ触れると、迷いなく真ん中のカードを引き抜いた。

「カモにするためさ」

 クリーンはにやりと笑った。シンから引き当てたカードと手元に残された一枚をテーブルに並べる。スペードの四とダイヤの四。上がりだった。

「もう一回。もう一回勝負しよう!」

 アニマがテーブルから身を乗り出した。

「いいぜ。勝ち逃げは気分が悪いからな。挑戦されて逃げるようなことはしねーよ。嬢ちゃんはやる気満々みたいだがお前はどうする?」

 カードをトントンと整えながら聞かれ、シンは悩んだ。情報料と割り切って勝負を続けるのはありかもしれない。運が良ければただで色々聞き出せそうだ。

 それからゲームを変えて同じように勝負を続けたが、何度やってもクリーンには勝てなかった。めぼしいと思われる情報も飛び出してこない。

「ボクはもうちょっと続けるよ」

 アニマはそう言って梃子でも動きだしそうにない。クリーンは遊びかたを知っている。あまり酷い仕打ちをするようなやつでも無さそうだ。シンは抜けることにした。

 背中に冷やかしが飛んでくる。夜はまだまだ長そうだ。

 店を出ると、墨色の空には眩いばかりの星々が煌いていた。

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