贈り物③
すみません。前回更新時、区切るところ間違えました。後半約二千字ほど増えてます。
「ねえ。これはなに? あの人って誰?」
空になった小瓶を突き付けて強要する。パルマコは反論する気力すら奪われ、腰を抜かしていた。地面に黒い染みが広がっていく。
「あの人はあの人よ。知らないわ。本当よ。全部教えてくれて。それもあの人にもらったの。どんな悪いやつでもイチコロだって」
顔面蒼白でガタガタと震えていた。
さらに問い詰めようとしたアニマをシンは片手で制した。
「邪魔しないで。いくらシンでも怒るよ」
「もういいだろう。この子は嘘をつける状態じゃない。それくらい見ればわかるだろ」
アニマはパルマコを一瞥した。
「はいはい。わかりました。わかりましたよ。漏らすほど怖がらせて悪かったです」
パルマコは尻餅をついたまましゃくりあげていたが、ついには大声を上げて泣き出してしまった。その原因を作った張本人はどこ吹く風で、知らないふりを貫いている。あげく「シン、早く何とかして」と、理不尽な要求まで突き付けてきた。
泣く子を前にしてシンは途方にくれた。話しかけようにも、泣き腫らした目でにらみつけられては退散するしかない。意中の人が颯爽と現れてくれれば一発で解決しそうだが、目下指名手配中とあって、望みは薄そうだ。
「だいたいさぁ。濡れ衣の可能性を考慮に入れないあたりガキだよね。まるで同じ穴の貉じゃん」
「アニマ!」
シンが窘めると、アニマは思いっきり舌を出した。。
「ぬれぎぬ? 同じ穴のむじな? 難しい言葉でバカにしないで!」
怒りに顔を赤く染めてパルマコが噛みついた。
「バカにされたのがわかるくらいのお頭はあるんだ。クリーンを犯人扱いして追いかけ回している連中と同じってこと。これくらい簡単に言えば足りない頭でもわかる?」
「ば、ばかにしてーーーっ! あんたたちに何がわかるって言うのよ!」
「少なくともボクらは誰かの言うことを鵜呑みにしてクリーンを犯人扱いしたりはしない」
胸を張って言い切ったアニマは自信に満ち溢れていた。パルマコはきょとんとしている。
「魔法使いは真理の追究者だ。安易でもっともらしい結論に飛びつきたくなる時もあるかもしれない。でも、それは間違った道だ」
アニマは膝を折ってパルマコの涙を拭った。パルマコはしばらく放心していたが、急に跳び上がり、アニマからたっぷり一メートルは離れた。火を噴きそうなほど赤くなっていた。
「ま、マックスが犯人じゃないって、何でそんなことがあんたにわかるのよ」
「何でと言われても……シン、言っちゃっていいかなぁ」
クリーンが違うと断言できるのは、真犯人を知っているからだ。しかし、それを彼女に教えるのは危険が伴う。
「教えて。教えてくれるまで離さない」
アニマの服の裾をひっしと掴んで、睨みつけている。梃子でも動きそうにない。
どちらにしても、粗相を犯した子供をそのまま見捨ててはおけない。目の届く範囲に置いておいたほうが何かと都合も好さそうだ。シンはそのまま連れ帰ることにした。
パルマコはアニマの服でごしごしと汚れた顔を拭ったあとは、文句も言わずについてきた。しかし、どうしたわけかアニマの服の裾を親の仇のようにずっと握りしめたままだった。
「いいのか、それ」
「いいも悪いも……この子の好きにさせようって言ったのは、シンじゃんか」
微妙に白い眼を向けられてシンはたじろいだ。たしかにアニマの言うとおり。間違いない。最終的な決定を下したのはシン自身だ。ほんのさっきまで一触即発状態だった二人が、和解とはいかないまでも、大人しく自分に従っている。いまの状況は望ましいはずだ。けれども何となく面白くなかった。
「……歩くの疲れた」
パルマコは足を止めた。何かを訴えるような眼差しでアニマを睨みつけている。アニマは溜息をついた。
「きみね。人にものを頼むときは、それなりの言い方しなよ。そんなふうに怖い顔してだんまりじゃ、こっちもやる気なくすでしょ。それくらい常識だよ」
「……常識は守ってくれないもの」
ぽつりと呟く。
彼女には常識を守る理由が無いのだ。法と正義は彼女を守ってくれはしない。それが彼女の現実で、おそらく彼女たちの現実だった。シンはかける言葉が見つからなかった。
「あーあーあー。シンだけはいつでもボクの味方だと思ったんだけどなー」
アニマまでやさぐれて喚き始めた。アニマも気づいているのだろう。地雷を踏みつけたことに。感情を隠すのが下手なアニマらしかった。
遠目に宿が見え始めた。しかし、様子がおかしい。何やら人だかりができている。青と白の制服も見て取れた。シンは路地裏に身を潜めたまま、様子を窺うことにした。
「アレ? もしかしてこっちが本命だった?」
一人訳知り顔で首を捻っているアニマを問いただしたい衝動に駆られる。だが、パルマコの立ち位置がはっきりしないまま、手の内を晒して良いものか。彼女はおそらく敵と繋がっている。子供とはいえ、あまりにリスキーだ。
「まぁ悪いようにはならないんじゃないかな。やましいところがあるわけでなし」
アニマは楽観的な発言そのままに路地から抜け出してしまう。慌ててシンも後を追った。
正面玄関前でスペンサーに見咎められた。
スペンサーはジロジロとこちらを見ていたが、意外なことに彼の口からついて出たのは謝罪の言葉だった。
「どうもお騒がせしてすみません。ちょっとした小火騒ぎがありましてね。大事には至らなかったのですが、どうやら泥棒に入られたらしいです。貴重品の類が無くなっていないと良いのですが……」
低姿勢で事務的に告げる彼の言葉を裏付けるように、厨房の辺りに何かが焦げたような跡が残っていた。嘘は言っていないようだが、豹変した態度に何かしこりのような引っ掛かりをシンは覚えた。
「誤解されているようなので断っておきますと、我々は善良な一般市民の味方であって、そのように無駄に敵視されましても」
スペンサーはその場を取り繕うように笑ってみせた。
シンは借りている部屋がある程度荒らされていることを覚悟したが、戻ってみればそんなことも無く、綺麗に整理整頓されたままだった。
「あなたたちを信用してみる。もう一度だけ」
部屋に入るなりパルマコが言った。
「スターシュ教会の連中は嫌い。嘘つきだから」
華やかな戦勝式典の影に埋もれるようにして、彼女は生きている。
「ボクも嫌いだよ。仲間だね」
アニマは人懐っこい笑みを浮かべると、パルマコの両手を取ってぶんぶんと縦に振り回した。パルマコは終始迷惑そうな顔をしていたが、あえて振りほどこうとはしなかった。
「仲間じゃないわ。お風呂借りていい?」
仏頂面をしたまま、シンに尋ねてきた。パルマコはアニマを無視することに決めたようだ。アニマは、しかし、それくらいでは挫けなかった。「ああ、そういう。へー」と呟くと、パルマコの後に続いた。
「ちょっと。どういうつもりよ」
「そんな顔したってダメだよ。ボクだって使いたいんだから。誰のせいで汚れたと思ってるの?」
「もう! 本当に頭にくる人ね。いいわ。一緒に入ってやるわよ!」
シンが止める間もなく、二人そろってバスルームへ消えてしまった。
性別不詳のアニマだが、いくら相手が子供とはいえ、一緒に入るのは問題があるような気がする。やけにあっさり引き下がったパルマコの様子から考えて、彼女はアニマの性別を誤解している。けれども、シンの予想に反して悲鳴の一つすら聞こえてこない。うまく隠し通せたのだろうか。
タオルで髪を拭きながらアニマがバスルームから出てきた。下着に薄いシャツを羽織っただけの姿。体から立ち上る蒸気が艶めかしさを助長している。とても男とは思えない色気を発散していた。
「何でもない。この世の不条理について少し思うところがあっただけだ」
「変なシン」
立ち去るアニマの後姿をシンは複雑な気持ちで眺めていた。アニマの体の線は女性的だが、その振る舞いはいかにも男性的だ。白い肌を隠そうともしない。シンはいけないことだとわかっていても、ともすれば目で追いかけてしまう。
シンの隣でパルマコが信じられないものを見る目でアニマの背中を見つめていた。
「あの人、どっちなの? 両方ついてた」
「両方?」
パルマコの質問の意味はわかっていたが、シンはあえて知らないふりをした。
「そんなに大きくないけどおっぱいがあって、だから女の人だとばかり思ってたの。でも男の人のもついてた。小さかったけどついてたわ」
「じゃあ男なんじゃないか? 直接聞いてみたら?」
シンは投げやりに言った。その疑問の答えはシンが教えてもらいたいくらいだ。
「普通の男の人とは全然違う。大人と子供の違いじゃない。それくらい私だってわかる。聞けないわ、そんなこと」
シンはパルマコのことを見直した。もっと幼稚な子供だと思い込んでいた。人は見かけによらない。
「何よ。何なのよ。言いたいことがあるならはっきり言えば?」
「いや、そうだな。ませガキのくせに、いらんところで気を使うのな」
「お気遣いなく」
ぷりぷりと肩をいからせてアニマのところへ行ってしまった。
シンは耀子からの手紙を取り出した。実を言うと、シンも本心では手紙の続きを見てみたかったのだ。
もしアニマが暴走しそうになったら、その時はシンが体を張って止めれば良い。アニマを呼び寄せると、パルマコもついてきた。
「いいの? この子も一緒で」
「ああ。最後まで見てみよう」
シンの答えにアニマはご機嫌だ。飛び跳ねるようにしてシンの隣に座った。
肩が触れ合いそうなほどに近い。甘い香りがシンの鼻腔をくすぐった。嗅ぎなれた薔薇の匂い。アニマの匂いだ。
むき出しの鎖骨や胸元が目に痛かった。耐えられなくなって下を向けば、今度は無防備な太ももが飛び込んでくる。シンは気づかれないようにじわりとアニマから離れることにした。
「いまは半分女の子だからだいじょうぶー」
「大丈夫じゃないだろ!」
アニマは前にも増して密着してきた。腕を取られて逃げられない。
「シンは免疫無いなぁ。要は慣れだって。ボク相手に緊張してたら、本当の女の子を相手にする時困るよ」
そう言って花が綻ぶように笑うが、シンはアニマより可愛い女の子など見たことが無かった。「あんなに可愛い娘が女の子のはずが無い」とはよく言ったものだ。流石レリックは長生きしているだけあるな、とシンは他人事のように思った
「あなたたちといると疲れる」
見ればパルマコは床に座りこんでいた。突き刺すような視線が痛い。
シンは気を取り直して耀子からの手紙を開いた。
舞うようにして紙面に降り立った耀子の似姿にパルマコは興味津々だ。すぐにぽこぽこと頭を叩いたりほっぺたを引っ張ってみたりと、暴虐の限りを尽くし始めた。
耀子の似姿はパルマコに反応しない。手紙だから当然だ。
「最初からですか? それとも続きから?」
「最初からで」
耀子は左回りに一回転。本日、二度目となる手紙の中身を一字一句間違えることなく語り終えた。シンは耀子の頭を撫でた。
「仕方ないですね。それでは心してお聞きください」
耀子の似姿は筆を取り出した。自分が飛び出した手紙の上にさらさらと筆を走らせる。瞬く間に人相書きが出来上がった。その顔はシンとアニマが地下道で敗北した男に驚くほど似ていた。
「私が独自に調べ上げたところ、容疑者として浮かび上がってきた人物です。先の戦争で従軍した記録が残っていました。名前はデッド……とありますが、おそらく偽名でしょう。戦争の終結までめぼしい戦果を挙げることは無かったようです。表向きは」
耀子の表情に険しさが増した。
「そう表向きは、です。彼の所属していた部隊は常に最前線に配置されていました。また彼の入隊と戦地で奇病が流行り始めた時期が重なっています。死者が蘇り、人を襲う奇病です。そして部隊の移動とともに奇病は広がっていく」
虚ろな目をした死者たちが枯葉のように踊り狂うさなか、ひとり哄笑を轟かすデッドの姿をシンは思い浮かべた。
奴こそが全ての元凶。不吉の王。疫病の主。夥しい死体の山の上に築かれた楽園。背筋が凍る思いがした。
「おそらく、彼が戦場に奇病を持ち込んだと考えて間違いありません。結果だけをみれば、戦争を勝利に導いた英雄と言えるかもしれませんね」
「ばあちゃんは、このことを知っていたのかな」
あるいは何らかの形で深く関わっていたかもしれない。
アニマの手前、あえて口には出さなかったが、シンはミレニアのことを完全には信用していない。シンに魔術の手ほどきを施したかと思えば、アニマを軟禁したりもする、彼女の行動には一貫性が感じられない。いったい真意はどこにあるのだろうか。
「彼にとって戦場は大きな実験場に過ぎなかったのかもしれません。なぜ今になって実験を再開する気になったのかはわかりませんが、大勢の人間が集まる式典は実験にはうってつけの場と言えるでしょう」
耀子の淡々とした口調からは突き放した印象を受ける。大量虐殺計画を聞かされて、シンは彼女のように冷静ではいられなかった。彼女の話が正しければ、式典は血の海に染められる。絶対に阻止しなければならない。
「私の話を聞けば、あなたたちは計画を止めようとしますよね。けれど、あえて言わせてもらいます。決して単独で動かないでください。理由はミレニアから説明されるはずです。どうも部外者の私には聞かせたくない話のようで。それでは失礼します」
耀子の似姿はぺこりとお辞儀をした。すると、輪郭はぼやけ、あっという間に別人の輪郭をかたどった。
「馬鹿弟子二人に告ぐ。死者の書を守り通せ。以上!」
幼女の姿をしたミレニアは一方的に命令を下し終えると、現れた時と同じく、煙のように一瞬で姿を消した。
「死者の書? 何のことだろ。わかる?」
こと魔法に関して、アニマにわからなければ、シンにわかるはずもない。名前からして魔導書のようだが・・・・・・と、そこまで考えて、はたと気づいた。物々しい装丁に、内容がさっぱり読みとれない分厚い本をミレニアから手渡されていた。たしか、テーブルの上に出しっぱなしにしていたはずだ。
「・・・・・・やられた」
部屋中をひっくり返して探すが見つからない。シンは天を仰いだ。小火騒ぎに紛れて盗みに入られた。しかし落ち込んでばかりもいられない。アニマにかいつまんで事情を説明した。
「それが本当なら大変なことになりそうだけど・・・・・・」
アニマは微妙な顔をする。
「何か気になることでも?」
「死者の書には何が書かれてあったのかって。ばあちゃんが守れって言うくらいだから、きっと凄い何かが隠されている。そんな気はする。実際盗まれたみたいだしね。でも、何でそんな大切なものをよりによってシンに、とか」
言われてみればその通りだ。情報の洪水に流されて気が動転していた。肝心の中身について、ミレニアは何も触れていなかった。
「アニマには知られたくなかった。アニマだから知られたくなかった?」
もしそうなら身内には隠しておきたいことだろうか。それでいて、万が一にも、シンの口から伝わるおそれがないとしたら。
ネクロマンシー。
導き出される答えは必然だ。戦争末期の惨状と軍上層部の繋がりをクリーンは示唆していた。仮に、もし仮にミレニアが先の戦争と積極的に関わっていたなら、アニマに知られたくないと考えても不自然ではない。
シンはアニマに伝えるべきか迷った。全ては憶測の域をでないし、アニマは隠し事が得意なタイプには見えない。それに、下手に話すと、ミレニアとの微妙な関係に緊張が走りかねない。何一つ確信が持てなかった。
「シン、ボクってそんなに頼りなく見える?」
落雷に打たれたような衝撃がシンの体を走り抜けた。シンはぶんぶんと頭を振って、頬を両手で叩いた。何一つ持っていないシンが唯一頼れるものがあるとすれば、それはアニマしかいない。それすらも手放すところだった。友人を信じられなくなったらおしまいだ。
「いまからする話は全部俺の思いこみかもしれない。何しろ材料が少なすぎる。それを踏まえた上で冷静な意見を聞かせてほしい」
シンは思考の道筋に沿って、自分の辿った経路を順番に説明した。アニマは、そしてパルマコも神妙な面もちで話に頷いていた。
「それは、ありうるかもしれない。一応、筋は通っているように聞こえる」
アニマは肯定しつつも、どこか納得はしていないように見えた。
「気になるところがあるなら教えてくれ。俺も自信は無いんだ」
「ボクもほぼ同じ情報をもっていたはずなのに気づけなかった。ちょっと悔しい。正直嫉妬」
アニマは口をへの字に曲げた。
「それにしても、あったまくるなー。全部ばあちゃんの手のひらじゃん。そもそもネクロマンシーは存在しないって豪語してたのは誰だよ」
アニマは長い髪をひと房指に巻きつけて弄んでいる。
「しかし、何だろね。ネクロマンシーが存在するとして、デッドが犯人なら、いまさら死者の書を欲しがる理由って」
「それは・・・・・・何だろうな」
魔術は十年前に完成し、戦争は終結を迎えた。そして今、同じ男の手によって、再び惨劇が繰り広げられようとしている。何か見落としがあるのだろうか。
「あの人、そんなに悪い人には見えなかったわ」
パルマコが誰ともなしに呟いた。
「優しい、でも凄く悲しい目をしてた。だから信用したのよ。・・・・・・利用されたみたいだけど」
二人の注目を浴びて、ばつが悪そうに付け加えた。
めぼしい情報はあらかた出尽くしたが、結局のところ八方ふさがりだった。死者の書は奪われ、手元に残ったのは身元不明の子供がひとり。事件解決の糸口すら見えてこない。全てにおいて後手に回らされていた。
「よし、決めた! いまのボクたちにできることをしよう!」
アニマは宣言とともに勢いよく立ち上がった。
「できること?」
シンが問いかけると、アニマは拳を握りしめて頷いた。
「修行しよう! ついでだからその子も一緒に」
「は? やらないわよ。バカじゃないの? 仲間になった覚えもないし」
「じゃあ今から仲間ね。ボクの大事なところもばっちり見たでしょ」
アニマの大胆発言に、さすがのパルマコも顔を赤くし、口を大きく開いたまま、しかし次の言葉が出てこず、固まっていた。
「そうだな。それもいいかもしれない」
シンは同意した。




