再会
ミレニアの別邸は観光案内のパンフレットにも書かれてあるくらいなので、見つけるのは容易だった。街の中心地に堂々と聳え立っている。
だが、それだけに侵入するのは骨が折れそうだ。昼間は人の目が絶えない上に、屋敷は高い塀で取り囲まれていた。さらに魔術的な警戒網も張り巡らされている。シンでも感じられるほど強力なものは、威嚇用だとクリーンに教えられた。
「つっても俺も中のことまでは全然わからねーんだけど。ミレニアにとっては俺もお前も大差ないってことだ」
クリーンは苦虫を噛み潰したような顔をして不満たらたらだ。
「私だってわかりませんよ。ここ数日で何度か足を運びましたけど、中にお二人がいらっしゃったなんてまるで感じられませんでした。さすがです」
ミレニアの強大さの一端を垣間見ても、耀子は落ち着き払っている。
「ノープロブレム、ですよ。きっとうまく行きます。自信ありますから。それでは、あとは手はず通りに」
耀子に従えられて正門の前に立つと、門は音もなくひとりでに開いた。
そのまま屋敷のほうへ歩いていく耀子の後姿を、塀の内側に入ったところで男二人は見送った。しかし、耀子に付き従う男二人の姿は変わらない。
依り代。
紙型に魔力を宿し、従者とする魔術。
使役される依り代には、その依り代の元となった人間の一部が用いられている。毛髪や爪を使うこともあるが、紙型との相性の良さ、呪術的な結びつきの強さを高めるために、今回耀子から提供を求められたのは血液だった。
血の署名を施した人型を元に二人の依り代は作られている。
「しかし、面会の申し出があっさり通るとは。あの女何者だ?」
「俺も詳しくは知らないんだ」
「よく知らない女に命運を預けるか。なかなか笑えない賭けだ」
クリーンは「燃えるね」と小さく付け加えた。
耀子がミレニアとの会談にこぎつけたルートは不明だが、耀子が与えてくれた時間を無駄にしたくなかったので、シンは詮索しないことにした。
広大な敷地内をくまなく探すのは物理的に不可能だ。幸運なことに、建物の配置はパンフレットに載っていた簡略地図通りだった。だからシンはあらかじめ当たりをつけていた尖塔に向かった。
初めにそこを調べることにクリーンも耀子も反対しなかった。もしアニマと会えなくても、それは全てお前の責任だから、と言外に告げられたような気がした。
意外にも尖塔の入り口に鍵はかかっていなかった。中には螺旋階段が続いていたが、上のほうは薄暗くて見通せない。どのような罠が仕掛けられていないとも限らない。だが、シンは迷うことなく足を踏み入れた。
視界がぐにゃりと飴のように歪んだ。
「おい、手を伸ばせ!」
クリーンの慌てた声に振り向くが、その姿は見ることは既に叶わなかった。
上下感覚の喪失。シンは自分の現在位置を見失った。
徐々に視界が晴れてくる。周囲を確認して僅かに安堵を覚えた。差し迫った危険は無さそうだ。
シンは一面真っ白で真四角な部屋に送り込まれていた。
部屋の中心には木製の机と椅子が置かれている。出口と思しき扉は正面に一つだけ。迷いながらも試しに開いてみると、全く同じつくりの部屋が続いていた。違っているのは、正面にまた扉があることだけだ。シンは入ってきた扉を戻ってみた。
真四角な部屋に扉が二つ。
何度か扉を出たり入ったりしてみたが、同じつくりの部屋を行ったり来たりするだけで、脱出できそうに無かった。
耀子を応接室で迎えた女性は自らをミレニアと名乗ったが、シンから聞いていた印象とはかなりかけ離れていた。
まず年齢が違う。十代後半の少女のようにしか見えない。けれども、冷たい人形のようなたたずまいには覚えがあった。馬車で同行した子供が順調に成長した姿に見えなくもない。何よりアニマにそっくりだ。知らずに姉と紹介されれば信じてしまいかねない。
私も他人のことを言えた義理ではないのですけど。
居住まいを正す耀子に合わせて、後ろに控えたシンとクリーンの依り代も背筋を伸ばした。
依り代について言及してこないので、ミレニアはいまのところ身代わりに感づいてはいないようだ。
「紅茶でよろしいかしら。あいにく人空きでして。私が手ずから淹れたものになりますが」
返事を待たずにポッドからティーカップに琥珀色の液体を注いでいる。
「お気になさらないでください。ご無理を聞いていただいたのはこちらなのですから」
「外交問題になると泣きつかれましては、ね。外賓をロストしたつけが回りまわって、私のところへ来るのですから、全くお恥ずかしい話です」
ミレニアはすました顔で紅茶を口に運んだ。
耀子もできればこんな方法は取りたくなかった。家の者たちを煙に巻いて、気ままな一人旅をぎりぎりまで満喫するつもりだったのだ。それが全部台無しだ。頼りない二人のために動くのは楽しいが、なるべく家の力を使いたくは無かった。けれども、自分の決めたことに後悔も無かった。
「いえいえ。私の家などあなたさまの威光の前では塵芥に過ぎません。我侭を聞いていただいき重ねてお礼申し上げます」
「それにしても……我が家の教育方針にまで口出しされるのは気分が良いものではありませんことよ。非礼には非礼で返しましょうか? あなた、何か混ざっていますね。どこの馬に誑かされたのかしら」
冷笑に射すくめられた。
やはり伝説にまで登りつめる人間はどこか普通の人間とは違うのかもしれない。
耀子はそれを痛感した。
持ちうる限りの魔術的防御を施してきたつもりだった。しかし、それらはいとも容易く看破された。ミレニアは依り代を一瞥すらしていなかった。
「恥じることはないのではなくて? 私も体は多少いじっていますし、才能が乏しいかたならしかるべきことだと思います」
ミレニアは冷たい美貌に酷薄な笑みを浮かべた。
「あなたの仕事は時間稼ぎでしょう? 私はね。待っているのです。あの子たちが羽化するのを。もしかするとシンはアニマを変えてしまうかもしれない。それならそれで良いと思っている私もいます」
全て見通した上で、彼女は今の状況を楽しんでさえいるようだ。
雰囲気に呑まれてはいけない。耀子は気を引き締め直した
「戯れにあなたたちの才能を査定してみせましょうか?」
ミレニアは忍び笑いを漏らした。
耀子には答えられない。才能を断定されるのが怖かったからだ。ミレニアの言葉はまるで呪いだ。魔術の頂から降り注ぐ不可避の刃は、魔法使いの前途を切り裂くのに充分すぎる力を持っている。
「伸び代がわからないのが二人、才能ある魔法使いが一人、十把一絡げの凡人が一人」
才能ある魔法使い、と言いながら耀子を指さしてきたのは、彼女の戯れだろうか。
「現実は残酷ですね。望めば望むほど手に入らない。得てしてそんなものです」
「あなたほどの人でも手に入らないものがありますか?」
耀子は微妙にずれた質問を投げてみた。正面から切り結びたくなかった。
ミレニアは初めて少し意外そうな顔をした。
「それはあなたも知っているのでは? 道は違えど目指すべきところは同じでしょう。違いますか?」
「……万物理論」
それは魔法使いの究極の目標だ。世界を記述する統一理論の完成。しかしそれは空想の産物の代名詞でもある。耀子はその存在を信じていない。
「あの子なら私たちの夢を叶えてくれるかもしれない。老後の楽しみとしては極上だと思いませんこと?」
「さぁどうでしょう。成長を見守りたい気持ちは同じですけれど」
柔和な笑顔を作って見せた。
処世術として身につけざるを得なかった技能だが、耀子は自分の笑顔が薄ら寒くて嫌いだった。けれどもミレニアと本音で語り合えるとも思えなかったので、いまはその仮面を磨くことへと傾注した。
「……嫌な笑いかた。興が殺がれました。あなたが満足するまで好きなだけいてくださって結構です。それまで私もここにいます。それでいいでしょう」
ミレニアはつまらなそうに言った。
「お心遣い感謝いたします」
耀子の役目は終わった。あとはシンとクリーンの二人が首尾良くアニマを連れ出せることを祈るばかりだった。
一方そのころ、シンは途方に暮れていた。
そこは監獄だった。変化に乏しい空間に時間の感覚を奪われ、気が滅入ってくる。アニマを取り戻すと意気込んでいたのが遠い昔のように思われた。
「シン、聞こえる? 聞こえたら返事をして」
だから懐かしいその声を聞いて飛びつかずにはいられなかった。
「アニマ? アニマなのか!?」
「そうだよ。シンも閉じ込められちゃったんだね」
落胆した響きに状況の悪さを悟る。
アニマの姿は見えない。声だけが聞こえてくるのが不思議でシンは扉を開いてみた。そこはまたしても同じつくりの部屋で、当然アニマはいなかった。
「あっ! シン動いたでしょ? 闇雲に動いてもダメだよ」
「わかるのか?」
「ボクとシンは魂で繋がっているからね。ストーキングなら任せて!」
嬉々として話すアニマの声は思ったよりも元気そうだった。
「ここは少し特殊な空間で、簡単には出られないようにできてるんだけど……あのババァのことだから、きっと脱出する方法はあると思う」
アニマによれば、各階には全部で九つの全く同じ造りの部屋が正方形に敷き詰められていて、それらが全部で三階分重なっているらしい。アニマは二階の真ん中にいて、シンは一階の角部屋にいる。階段が無いのは各部屋の扉同士が不規則に繋がっているせいで、正しい手順を踏めば、好きな部屋に行くことができるということだ。
「そこまでわかっていて出られないものなのか」
「毎回、お仕置きされるたびに条件付けが変わって。今回、ボクは今いる部屋から一歩も進めてないから、シンに期待してるんだ」
「そんなこと言われてもさっぱりわからないぞ」
「そうなの? シンは部屋と部屋を行き来できているから何か掴めてるのかと……」
自信が無さそうに言いよどむ。
困難な事態に直面してはいるが、アニマの無事は確かめられた。
それで目的は半分以上達成したのも同然だ。
ミレニアから教えられたこと、クリーンから教えられたこと。
シンは自分にできることを一つ一つ確認していく
ミレニアの閉鎖空間は魔術的なものだ。だからそれを打ち破るのも、また魔術に違いない。
まずは元素を体内に取り込むことから始めた。
火十パーセント、水二十三パーセント、風二十三パーセント、土四十四パーセント。
それがシンの部屋の元素の構成だ。非常に体に馴染み、取り込みやすい。
次は元素の流れを読んでいく。
自分の体の中心から徐々に感覚を拡張する。淀みなく流れている。全く何の問題ない。しかし、あまりに滑らかに流れすぎていて、シンには不自然に思えた。これほどうまく魔術を扱えた試しはかつて一度も無かった。
「アニマ、魔法は使えるのか?」
「いつも通りだよ。完璧に使えすぎて惚れ惚れするけど?」
「部屋の元素構成は?」
「ちょっと待ってね。四元素がほぼ二十五パーセントずつで均等だね」
シンは扉を開けて部屋を移った。
室内の元素構成の比率が微妙に変化した。
火十五パーセント、水二十五パーセント、風二十一パーセント、土三十九パーセント。
しかし、それらは揺らぎのようなもので、すぐに元いた部屋と同じ割合に戻った。
シンはカード占いの数字を記憶の戸棚から引っ張り出してきた。
火の三、水の七、風の七、土の十三。
それらを百分率で表すと、ちょうど部屋の元素構成とほぼ同じになる。
アニマは火の七、水の四、風の六、土の三だったが、通常はオールエースと言っていた。
「いけるかもしれない」
シンは扉を押し開けた。
室内の元素構成の比率が揺らぐ。元に戻ろうとする流れに介入する。
火十八、水二十四、風二十三、土三十五。
続けて突破しようとしたが、その前にシンの集中力のほうが先に途絶えた。瞬く間に部屋の元素構成は元通りに変化した。
「凄いよ! いま結構近くまで来たでしょ。どうやったの?」
自分の体を媒介に揺らぎを調整して元素構成を均等にすればアニマの部屋に。そのあと外界と同じにできれば、脱出できそうだ。
アニマならもっと要領よくやれるかもしれない。
「なるほど。やってみるよ。集中しないといけないからしばらくお別れだね」
シンはアニマの移動状況を知りたかったが、やり方を聞きそびれていた。大人しく連絡を待つことにした。
「あーーーっ! 無理だーーーっ!」
しばらく経って届いたのは残念なアニマの叫び声だった。
「あったまくるなぁ。あのババァ。ボクの部屋の周りは念入りに調整してるみたいだ」
淡い期待は粉々に打ち砕かれた。
「それとわかったんだけど、この方法はボク向きじゃないね。なんか繰り返してると女の子になっちゃいそうだもん。理由はよくわからないけど」
シンは意識を集中して、元素を限界まで取り込んだ。
扉を一枚、二枚、三枚、四枚と押し破り駆け抜ける。何度か繰り返したことで要領を掴んできた。しかし、元素の貯蔵量が圧倒的に足りない。
「試してみるか」
シンはクリーンから習ったばかりの技法を応用してみることにした。
土の元素の表面を火で包む。同じように水や風で包む。いわばメッキだ。本質的には何の意味も無い行為だが、それだけに体への負担も少ない。
「うまく騙されてくれよ」
シンは扉を開いた。
他の元素でメッキされた土の元素は思った通りの働きを示した。
次々と扉を突破していく。
自分でも怖いくらいだ。クリーンは詐術の天才かもしれない。
最後の扉を容易に突破した。
「久しぶり」
タンクトップに緩いズボンを穿いたアニマは少年らしい体つきをしていた。シンはアニマに女の子になって欲しくなかった。女になったアニマは無防備すぎて、どう接すればいいのか、わからなくなってしまうからだ。
「そんなに待ってないよ。前は十年ぶりだったんだから」
「それもそうか」
シンとアニマは笑顔を交わした。




