<3-2>この街のルール
「後藤さん、ありました」
鳴門刑事はビデオテープを片手に後藤のデスクに駆け寄ろうとしたが、躊躇した。後藤は誰かと電で話をしている。旗色が悪そうだ。
「あー、どーもすいません、はい、はい、立て込んでいたもので、えー、えー」
どうやら電話口の相手に攻め立てられているようだ。離れた場所からでも受話器から怒号が聞こえてくる。
「えー、ですからその件でしたら……はぁ、はぁ……えー、わかりました。必ず。はい、では失礼します」
後藤は右手で頭をかき、口には火をつけていないタバコをくわえ、所在無いといった感じでデスクの上の電話機を見つめていた。
「あー、後藤さん、どーしました?えらく旗色が悪そうですけど……」
後藤は不機嫌そうに鳴門刑事を見ると胸ポケットやズボンのポケットを触りライターを探しながらため息をついた。
「ふー、お偉いさんは無理難題をおっしゃる……現場はそんなにホイホイと行かんのだがなぁ」
そういうと後藤は目をつぶり、考え事をし始めた。鳴門刑事はしばらく後藤の次の言葉を待ったが、どうやらそれ以上は何も出てこないのだと悟るとビデオテープを後藤に差し出した。
「ありましたよ。後藤さん、例のもの」
後藤は方目だけを開けて鳴門刑事の差し出したビデオテープを見ると不敵な笑みを一瞬見せると再び目を閉じた。
「おー、なかなか仕事が速くなったなぁ。俺もそろそろ引退かぁ」
「何言ってるんですか、後藤さんに居なくなられたら困ります」
鳴門刑事は少し慌てた。後藤が今の仕事に嫌気がさしているという噂は署内では既成事実のようなものだった。だが、その言葉を後藤の口から聞いたのはこれが初めてだった。
「それ、シャレになってないですよ」
後藤は意地の悪い目つきで鳴門刑事を見た。
「冗談はよしてください」
鳴門刑事には噂を噂で済ませられない理由があった。それはかつて後藤の上司だった岡島警部補がどういう経緯で交通課に異動したのかということに関わりのある話なのだが、それこそ当の本人から聞くわけにはいかなかった。
「よし、で、なんか出たか?」
「えーえ、出たというより、やはりなかったです」
「そうか」
「傘が……ありませんでした」
6月11日、午後4時35分、東京都江戸川区在住 三河剛 21歳 道路を横断しようとして、都内の運送会社の会社員の運転する4tトラックに跳ねられ死亡。現場は当日夕方未明から雨が降り、視界が悪くなっていたこと、そして三河が急に飛び出したという目撃証言も多数ありました。それによれば、先日死亡した加藤の時と同じように視界が見えなくなりそうな傘のさし方をしていたと……しかし現場の遺留品に傘は見つかっていません。これは現場近くの書店の防犯カメラに写った事故直前の三河の映像です。入店時、傘は持っていません。
画面には書店に出入りする客の様子が映し出されていた。画面の右奥、入り口を出た横に傘置き場がある。入り口そばには週刊少年漫画雑誌が置いてあり、三河はそれを立ち読みしていた。
ここです。三河は5分ほど立ち読みをした後、三河は傘を持って行きました。
「やはりパクったな」
後藤の目は鋭さを増した。それは獲物を狙う獣のような目だった。
「こいつか」
後藤がそういうと鳴門刑事はビデオの一時停止ボタンを押した。
「こいつ、傘を取らずに三河を追いかけるように出て行ったな」
「残念ながら、この映像の人物と対象者リストを照合してみたのですが……」
「なにも出なかった?」
「はい、特にマエやこちらがマークしているリストとは……」
「山本の件はどうだ?」
「あー、山本のほうは残念ながら映像などは残っていないようです」
「調書のほうは?」
「傘に関する情報はないです。ただ事件当日の天候は他の2件と同じ――」
「午後からの雨、それも傘がないと困るような……」
「はい、ですから、山本が同じように傘をパクった可能性は高いかと……」
「人を見た目で判断しちゃー、いけねーな。そう、学校で習わなかったか?」
後藤はまた、あの意地の悪い表情で鳴門刑事を見つめた。
「はぁ、ですが、こっちの世界では違うように教わりました」
「人を見たら泥棒と思え……か?」
後藤はいよいよ意地悪な顔をしながら天井を見つめた。
「そうだよ。それがこの街のルールだ」