<3-1>この部屋のルール
「邪魔だなぁ」
この街に移り住んで8年になる。住み慣れていた街に比べれば、いくつか気に入らないところはあるが、それはたいした問題ではなかった。ワタシは通勤電車がきらいだった。人ごみ、マナー、雑音、匂い、視線――どれもワタシを不愉快にさせる。それが解消されるだけで、どれだけ平穏が保てるか、わからない。ただ、今はいささか困ったことになっている。いや、かなり困ったことになっている。ワタシの平穏な生活は一本の傘によって壊された。
「そこに立っていられると気になるのだが……」
ワタシの生活はきわめてシンプルだ。部屋の中のものがすべてある一定のルールの下に置かれいる。ワタシの部屋に入ることができるのはワタシのルールに従えるものだけだ。食品であろうが衣類であろうが、嗜好品であろうが消耗品であろうが関係ない。ここはワタシの部屋だ。
「だが、君たちは他人のルールなんかに従う気はないんだろうが……」
ワタシは借りてきたDVDを袋から取り出し、プレイヤーにセットした。コンビニで買ってきたビール――発泡酒は買わない――それがワタシの、この部屋のルールだ。借りてきたのは『シックス・センス』映画公開時は「この映画にはある秘密があります。まだ映画を見ていない人には、決して話さないで下さい」というメッセージが冒頭に流れることで話題になり、そういったあざとい商法を嫌うワタシは懐疑的だった。封切り後、しばらく経ってから見たこの作品には正直かなり驚かされた。「なるほど、確かにネタバレ厳禁だ」以後、この監督のその後の作品を何本か追いかけたのだが……
「キミたちに多少の冗談とか、そういう事がわかるんであれば、どうか、笑ってみてほしんだがな」
ワタシは良く冷えた缶ビールをグラスに注ぎ込んみ、泡とビールの比率、7対3のビールを身体に流し込む。この瞬間がたまらない。
「できることであれば、この映画を観たらさっさと御引きとり願いたいのだが……わかるかい?これは冗談だよ?それもかなりたちの悪い」
酔っ払ってしまったのか、今日は饒舌だ。しかし、酔ってなんかいない。ワタシの目の前には確かに3人の男がいる。いや「ある」とか「見える」とかそういう表現が正しいのかどうかわからない。ただ、ワタシが酔うことによって、彼らの――或いは、『それら』の存在が希薄になっていくということは、逆説的に『それら』が目の前に存在しているのだということを証明している。
「この映画のオチ、先に言おうか?実はね、主人公、すでに死んでいたんだよ」
ビールグラスを口に、泡が口の周りに残らないよう、うまく流し込む。どこか存在が希薄な3人の男の影に向かって、グラスを掲げてみせる。
「キミたちと同じようにね」
どうやらいい、感じで酔いがまわってきたようだ。ヤツらのうつの一人がほくそえんでいるように見える。
「そんなことはどうでもいいさ。俺たちはここにいたいだけだ。生きていようが死んでいようが関係ない」
そんな目でワタシを見ている。だが、ここはワタシの部屋だ。ここに居ていいのかどうか、決めるのはワタシだ……いや、ちがうな。
「そうか、この部屋が、お前たちに居場所を提供したのなら、従うしかないのか」
この部屋のルールには全てのものが従わなければならない。それはワタシも同じことなのだ。
「わかったよ。しかし、どうでもいいが、そのグロテスクな容貌はなんとかならないのかな?」
最近この部屋に現れるようになった三人目の男の首は、見事に反対側に折れ曲がっていた。