<11-5>仕上げ
「最初は……最初は本当に偶然だった」
真壁が語りだした。あの日のことを、あの夕立の日のことを……
「ラーメンを食べていたんだ。最初は気付かなかった。カウンターに座っているのがあの夜の男ってこと。ワタシは何度かあの傘を忘れそうになったが、決まって傘はワタシの手元に戻って来ていた。不思議だとは思ったが、理屈なんてどうでも良かった。その男が席を立って、外に出て、数分もしないうちに、ブレーキ音と悲鳴が聞こえてきた。ワタシは自分の傘がなくなっていること、そしてあの男が、あの日レンタルショップでみた、あんたと見たあの男が、懲りもせず、また傘を盗んだんだ。」
鳴門刑事が手帳を取り出し、中から一枚の写真を真壁に見せた。
「そうだ。この男だよ。車に引かれて、見てすぐわかった。こりゃ助からないって……」
「山本 茂、22歳 無職、不良グループと暴力団の橋渡し的なことをしていたらしい事が、最近わかりましたが、詳細はつかめていません」
後藤刑事がその写真を下駄の男に見せる。
「こいつが、つまり、あんたの傘を盗んだ男で、真壁の傘も盗み、それでおまけに左螺曼蛇の12代目というわけですか?」
下駄の男は沈黙によって答えた。そして語った。
「自分がやったわけではない。悪いのは山本で、自分には責任はない。だが、原因と結果の過程に自分の傘があるのは明白。男の死に顔が目に焼きついて離れなかったのじゃろう。結果的にその強い思いが、魂を呼び寄せたんじゃ。不幸なことじゃ。山本にも、真壁にもそして……」
「そのあとの2人ですか?三河と加藤」
鳴門刑事が更に2人の写真を取り出した。
「不幸?不幸ってなんですか?あんなヤツラが、こうして社会にのさばっている。傘を盗むのは小さな犯罪です。だけど、それだけじゃないでしょう!ワタシは調べた。自分がしてしまったことを悔いて、それで、最初の男のことをいろいろと調べたよ。新聞に名前載ったからね。そうしたらすぐに出てきたよ。あの男がどんな非道な人間なのか……だけどそれすら、あんな男をあがめるような輩がこの世の中にいるってことも知った。だからワタシは、だから、ワタシは……なのに、なんで、なんでワタシがこんなめに、あんな連中に取り付かれなきゃならないんです!逆恨みもいいところだ!」
「妄想じゃ!そんなもの!死んだ人間が化けて出てくるなど、そう簡単にできんわい!主の妄想が具現化しただけじゃ!主も気付いておるじゃろう!真壁直行よ!あれはお主自身の姿よ!」
真壁の顔色が変わる。興奮して大声を上げていたときとは、全く別人のように、力なく、その場にへたれ込む。
「真壁自身って、拝み屋のおっさん、それじゃ、それこそ何のための儀式だか」
「真の姿は真壁自身の妄想よ!じゃが、もはやそれだけではない。妄想に人の命を奪うことなどできんよ。真壁の妄想を依代に、本物の魂が、そう邪心に汚れた魂が集まり、加藤、三河、山本の三人の形を形成したんじゃ。加藤であって、加藤ではない。巷に彷徨う邪心、邪念の塊よ」
「それって、結局どういうことなんですか?そんなものが、あるとして……人の命を奪うことなんかあるんですか?」
「命というよりは魂じゃよ。真壁のアイデンティティを崩壊させ、別の人格が形成される。悪魔憑きとかキツネ憑きといったほうがはやいかもしれん」
「つまり、真壁であって、真壁じゃないものになるところだったと?」
後藤の問いに、下駄の男は再び沈黙によって答えた。
「で、その邪な魂を無邪気な子供の心で弱らせて、あとはここで火炙りにすれば、すべて解決というわけじゃよ」
そういうと、下駄の男は無造作に怪獣のソフビ人形を火の中に放り投げた。
ボー!
一瞬大きな炎が上がる。青白く、不気味な炎は、まるで魂の断末魔のような音を立てながら揺らぎ、そして小さくなっていった。下駄の男は口もとに手を当ててなにやらブツブツと呪文のようなものを唱えているが聞き取れない。日本語ではないような気もする。
ボー!
再び炎が大きく立ち上り、下駄の男めがけてありえない方向に立ち上がる。後藤は一瞬身構えたが、それより早く……と言うよりは、炎が立ち上がるよりも先に下駄の男は、レジ袋の中から一体のソフビ人形を取り出し、構えていた。
「あ、アレはタイラント!」
鳴門刑事の口から、そう聞こえたように後藤は思った。真壁は身を屈め、すっかり怯え切っていた。
「フン!」
下駄の男は、大きな気合のこもった息を吐き、立ち上がる炎を迎え撃った。ありえないことだが、邪悪な炎は下駄の男が右手に構えるソフビ人形に吸い込まれていくように見えた。下駄の男の左手は、何か特殊な構えをしている。拳法なのか、印を切っているのか、後藤にはわからなかった。
「フー、やれやれ、これで終わりじゃ。さて、帰るとするかの」
下駄の男はタイラントのソフビを乱暴にレジ袋にしまうと、渾身の笑顔で一同を見回した。3人はあまりのことに、しばらく声を出すことも、動くこともできなかった。日はすっかり傾き、夜になろうとしていた。