<9-3>ペルソナ
鳴門刑事が下駄の男の使いに行っている間、真壁の面倒を見ることになったことを、後藤は少しだけ鬱陶しく感じていた。どうにも真壁は後藤の肌に合わない。直感的に後藤はそう思った。
「えーっと、拝み屋のおっさん、少々詳しく話を聞きたいんだが……真壁と、あんたに」
後藤は下駄の男をどう呼んでいいのかをずっと考えていたが、結局『拝み屋のおっさん』ということにした。真壁はどこか表情がうつろでまともに会話ができる感じではなかった。下駄の男は真壁に近づき、顔を覗き込んだ。そして険しい表情をした。
「そんなに酷いのか?」
「いや、大丈夫じゃよ。ワシらがついていればどうということはないだろう」
「命に関わるとか言っていたのはアレの影響か?部屋の奥の――」
後藤にはその後の言葉が思い当たらなかった。幽霊とか、魂とか、呪とか、そんなことだろうとは思ったが、何が適切なのか、後藤にはさっぱりわからなかった。
「アレはな、俗に言う幽霊とか悪霊とか、そういうものだと言ってしまえば簡単じゃが、それほど単純なものではないんじゃよ。言うなればこの男、真壁直行の『拘りと懺悔の念』のようなものが具現化した――影のようなものじゃよ」
「影……ですか?確かに影といわれれば、影のようですが」
「もちろん『影』というのにはいろんな側面がある。真壁という『ペルソナ』が強ければ強いほど、影すなわち『シャドウ』もまたより実体化しやすくなる」
「なんですか、その『ペルソナ』……とか『シャドウ』……とか」
「ふーむ、19世紀末から20世紀にかけて精神医学が急激に発達したんじゃが、『夢判断』とか聞いた事があるかのぉ?」
「えーと、確かフロイト……でしたっけ?」
「そうじゃ。その弟子というか、まぁ、途中でフロイトとは決別したんじゃが、ユングという学者がおってのぉ、そのユングの言うところの『ペルソナ』、つまり『人格の仮面』じゃ。表向きのな」
「人格の……仮面?」
「二重人格とか多重人格とか聞いたことあるじゃろう?犯罪の世界でもよく出てくる話だと思うがの?」
「あー、多重人格者、確かビリー・ミリガンとか」
「そうじゃ。その一つの人格をペルソナと考えて、まぁ遠くないのぉ。社会との摩擦に自分の内側の心を守るための仮面、それがペルソナじゃ。そして仮面の裏側を影=シャドウというんじゃが、まぁ、強烈なストレスの中で、その影が暴れだして社会的、道徳的規範を超えて行動する――つまり犯罪を犯すというのは良くあることじゃな。しかし、もちろんこれは、たとえ話じゃ。本来それで言えば真壁自身の内側の話。それがこうして外側で、お主にも感じられるほどのものになっているというのは、まぁ異常なケースということになる。そして、そのきっかけを与えたのは、このワシなんじゃよ」
「なんですか、その『きっかけ』ってヤツは?」
「ふーむ、それは……」
下駄の男は真壁の部屋の周りを見渡し、玄関においてある、一本の傘に目が留まった。
「これじゃよ、この傘じゃ」
下駄の男は玄関から一本の黒い傘、それはどこにでも売ってそうな、1000円から2000円くらいの傘である。後藤は本屋の防犯カメラに移っていた映像を思い出していた。
傘……そうだ、傘だ。
後藤は下駄の男を見つめた。下駄の男は後藤を無視するかのように傘を見つめ、そして語り始めた。下駄の男が始めて真壁直行に出会った日の事を。
「あれは5月、午後から急に雨が降り出してのぉ、ゲリラ豪雨というやつじゃな。天気予報をみてなければ雨が降るなどとは思えないような、そんな天気じゃった……」




