<8-3>危険地帯
2台のバイクは並走して真壁と下駄の男に突っ込んでくる。避け切れないか。下駄の男は履いていた下駄を脱ぐとそれを右左それぞれの手に持ち身構えた。
「伏せるんじゃ!」
下駄の男は真壁を体当たりで突き飛ばし、自らは両手に持った下駄を前方に構える。右のバイクはやり過ごせたかもう左のバイクに乗った暴漢は鉄パイプを振りかざしてきた。
ガチン!
下駄を構えた腕をまっすぐ伸ばしたところで鉄パイプの一撃を受け止め、そのまま右にいなすようにこれを交わす。10メートルほど先でバイクはUターンする。真壁は下駄の男に突き飛ばされたまま頭を抱えてうずくまっている。
「大丈夫じゃ、そのままじっとしておけ。下手に動くな!」
下駄の男は思わず下駄を手放した。
「えーい。手がしびれるわい!」
バイクに乗った暴漢はフルフェイスのヘルメットで顔を隠し、ナンバープレートも上に向けられて識別ができない。2台のうち一台がアクセルを拭かせながら奇声を発して突っ込んでくる。
「かすり傷程度じゃ済まんかな、これは」
下駄の男はこの状況にあっても全く慌てる様子がない。作務衣の上着の紐を解く。両手交差させ、わき腹のあたりに手を偲ばせ、何かを掴んだ。が、突っ込んできたバイクの暴漢にはその様子は目に入らないのか或いは老人に何も抵抗ができるはずはないと思ったか、不用意に鉄パイプを振り上げて突っ込む。
カシャーン!
下駄の男は両手に何を握っていた。両腕を左右に少し開き、縄跳びをするような構えから不意に30センチほどの棒が延びる。
「携帯式の特殊警棒か……しかもあれは!」
もう一人の暴漢は冷静に状況を眺めている。二人の格好はTシャツにジーンズを着ていて見た目ではほとんど区別がつかないが、体格は下駄の男を襲おうとしているほうが大きく、もうひとりはやや、痩せ型だ。
先に突っ込んだ暴漢はこれから自分の鉄パイプの餌食になるはずの年寄りが何で両手に警棒を構えて自分を待ち構えているのか?と思いながらもこれからやろうとしている事――老人の頭上に鉄パイプを叩き込み、そのあと道端にうずくまっている男を殴り殺す――ということ以外に何かしなければならない事があるとは考えもつかなかった。
このとき大柄の暴漢がバイクから降りて下駄の男と対峙するのであれば、もう少し下駄の男を苦戦させることもできたかもしれない。だが判断を誤った。大柄の暴漢はバイクに乗ったまま、しかも右手で鉄パイプを持ている以上、おのずと攻撃範囲は限られてしまう。下駄の男はあっさりと暴漢の左側に体をかわし、構えた警棒を暴漢の懐に偲ばせる。
バチッバチッ!
少しはなれてこの様子を傍観していた痩せ型の男には、下駄の男がものすごい力で仲間をなぎ倒したかのように見えた。だが実際はちがう。下駄の男は両手に構えた警棒を襲ってきた大柄の男のわき腹に、軽く当てただけだった。
「ちぃっ、ス、スタンガンかよ」
痩せ型の男はすぐに状況を理解した。無人のバイクは横倒しになり道路を滑っていく。下駄の男はもう一人の暴漢を睨みつける。とても普通の老人の迫力ではない。
「話が違うじゃねぇか、畜生!」
男はバイクのアクセルを吹かしながら、倒れた男が起き上がるのを待った。下駄の男はゆっくりと倒れた男に近づき男を蹴飛ばした。
「夕方とはいえ、こんな日にコンクリートの上でいつまでも寝とったら焼け死ぬぞぃ」
下駄の男は鉄パイプを拾い上げるとそれを両手で握る。
「フンッ!」
大きな気合を入れると、鉄パイプは見事に真っ二つに折れ曲がる。
「くっ、くっ、くっ、くっ、一度これをやってみたかったんじゃい」
その様子を地べたから見上げていた大柄の男は、悲鳴をあげて自分のバイクへと走っていった。その様子を見ると、痩せ型のバイクの男は猛スピードで下駄の男の方へバイクを走らせる。下駄の男は一瞬身構えたが、バイクは下駄の男の前を通り過ぎ、大通りへと姿を消した。その後をもう一人の男が倒れたバイクを起こして後を追いかける。逃げ出したのだ。
「まったく、最近の若いもんときたら、なっとらんなぁ、こういう時は去り際に『覚えてやがれ』とか捨て台詞を言うもんじゃ!」
下駄の男は特殊警棒をジャージの中にしまい、下駄を履いて真壁のそばに歩み寄る。
「まぁ、つまり、こういう事が今後起きないためにも、もう一人の男と会ってもらわにゃぁならんということじゃい」
真壁には未だに何が起きたのか、そして自分の身に何が降りかかっているのか、はかり知ることができずにいた。
「あ、あんたらいったい、何やってるんだ?これってどういうことだよ」
下駄の男は携帯をポケットから取り出しながら応えた。
「ゲームじゃよ、ゲーム。フラグを立てたのはお主じゃよ。一度たった死亡フラグを帳消しにするのは、プログラムをちゃちゃっと書き換えるようなわけにはいかないんじゃよ。こっちの世界ではのぉ」
そういいながら下駄の男は自分の頬を人差し指で上から下へ、ゆっくりと撫で下ろした。それはヤクザを示すサインだということを真壁が理解するまでに、後藤との合流を果たすまでかかるほど、真壁は追い詰められていた。