<7-4>らしくなること
「さ~て、どうしたものかのぉ、どうするべきかのぉ」
下駄の男――今は下駄の代わりに白の革靴を履いている『尾上弥太郎』と後藤に名乗った男は迷っていた。
「ここは直接あたってみるかよ。まぁ、知らん仲でもないわけじゃがぁ……さて、ワシはどの名前を名乗ったかのぉ?尾上弥太郎じゃったか、それとも屋久中じゃったかのぉ」
下駄の男はその都度、相手に合わせた勝手な名を名乗っている。『勝手』と言っても下駄の男には『それなり』の理由をつけて名を名乗っている。己の名=本名を相手に告げることは、大きなリスクである。下駄の男の職業柄、それはやむを得ないことである。敵に本名で縛られれば、苦戦をする。負けるとは思わないが、面倒は困る。
「もしもし、あー、すいません、そちらに真壁さんいらっしゃいますか?実はワタシ、真壁さんの忘れていった傘を預っているものなのですが」――ふん、我ながらたいした出任せじゃワイ。
「あー、真壁でございますか、真壁は本日体調を崩しまして、午後から早退いたしております」
なんと、まぁ、こりゃ……
「あー、そうですか、では、また改めて御電話いたします。真壁さんにくれぐれもお大事にと、お伝えください。あー、ワシの名前ですか、いやぁー、名乗っても覚えてらっしゃるかどうか?傘のことといえばお分かりになると思いますので、そうお伝えください。では、失礼します」
尾上弥太郎は黒のハンチングを取ると禿げ上がった頭を何度も右手で撫でた。頭は毎日手入れをしている。髪の毛もまた大きなリスクである。髪の毛一本で何かに縛られることもある。負けるとは思わないが、面倒なことは嫌いだった。
「しまった、さて、どうしたものかのぉ、どこにいくべきかのお」
尾上弥太郎は迷っていた。だが一つの考えが頭をよぎった。
「このさい、少々乱暴だが直接出向くかのぉ。あまり悠長なことはやってられんか」
そういって両手でパンッ!とヒザの上を叩くと街の雑踏の中に消えていった。
やがてどこからともなく下駄の音が日がかげりかけた街の中に響く。
カラン、コロン、カラン、コロン
「まぁ、こっちの格好のほうがワシらしいし、真壁にどちら様ですか?と聞かれることもないじゃろうからなぁ」
下駄の男――真壁の傘に特別な力を与えた自称拝み家、尾上弥太郎と名乗ることもあれば、警察のデータベースにアクセスするほどのハッキングの技術を持つ男、真田五郎と名乗ることもある。下駄の男は真壁と出会ったときの格好、作努衣に下駄という井出達で再び笠井町に現れた。
「さて、後藤のほうはうまくやっとるかのぉ」
下駄の男は上着のポケットからiPhonを取り出し「いかんいかん、こっちじゃない」とブツブツとつぶやきながら、別の携帯電話をズボンのポケットから取り出し、電話をかける。
「あー、ワシじゃ、ちと問題がおきてのぉ、真壁の奴、ワシらが公園で話し込んでいる間に、どうやら体調が悪いとか言って早退したようなんじゃ。いやなーに、心配はいらんわい。奴の居場所は大体検討がついておる。その場所へ向かうが、そっちはどうじゃ。あ……あ……そうか……じゃぁ、そうようのぉ……なるべく早く片付けて、こっちへ来てくれんかのぉ。あー、問題ない。お前さんが来る前に手は出さんよ。あー、それじゃぁー」
下駄の男は電話を切ると舌を出してつぶやいた。
「真壁には手を出さんよ。しかし、それ以外の問題は、こっちの領分じゃからのぉ」
まるでイタズラを企む子供のような目をしながら、しかし、一つの大いなる決意を持った目をしながら、下駄の男は足を速めた。
「悠長なことを言ってられる状況じゃぁないもんでのぉ、このままでは命に関わるわい」