<6-1>真壁という男
笠井駅近くのビルの出入り口を眺める二人の男。このビルには『笠井情報システム』という会社が入っている。二人はその会社に勤める真壁直行と言う男がビルから出てくるのを待っていた。一人は組織犯罪対策課――いわゆる『マル暴』の刑事、一人は自称『拝み屋』という謎の老人だ。
「その真壁という男は何をしでかしたんです?」
後藤は尾上弥太郎と名乗る老人から、自分がマークしている人物の名前を聞きだした。
「いやー、別に真壁はな、なにもしておらんぞ。むしろそう、お前さんたちの分野で言えば被害者じゃ」
後藤には一つ思い当たる節があった。
「傘ですか?」
尾上弥太郎と名乗る老人は目を細めてうなずいた。
「おー、おー、流石じゃのぉー、そこまで突き止めていたとはたいしたモンじゃのぉー」
「しかし、わからないですなぁ。傘が盗まれた。そして盗んだ人間が事故にあって死亡する。俺たちの分野じゃ立派な容疑者なんですけどねぇ」
尾上弥太郎と名乗る老人は、目を閉じながら語り始めた。
「そうさのぉー。お主たとえば雨が降っているときに自分の傘が盗まれたら、盗んだヤツのこと恨むか?」
「えー、まぁ、そりゃー、困りますからね。畜生とは思うでしょうね」
「盗んだヤツなんか死んでしまえばいいのに……なんて思ったりはせんかのぉ?」
「いやー、流石にそこまでは、まぁ、バチが当たれば位は思うかもしれませんが」
「じゃろう?しかし、最近はネットを見ててもすぐに死んでしまえばいいのにとか書き込むやからが多くてのぉー」
「はぁ……ネット、ですか?」
尾上弥太郎と名乗る老人は、おもむろに胸の内ポケットから何かを取り出した。携帯端末のようだった。男は人差し指で端末の画面を何度かタッチすると後藤にそれを差し出した。
「ほれ、こんな具合に」
後藤が受け取った携帯端末の画面には掲示板らしきサイトが表示されていたが、そこに書かれているのは、今話題になっているタレントに対する誹謗中傷の数々だった。
「ひどいなぁ……いやー、しかし、これが今回の件と何か関係が?」
「その言葉に力があって、実際に相手を傷つける事ができたとして、それはお主らの分野かのぉー?」
後藤は狐につままれたような顔をしながら老人の顔をまじまじと見た。信じられない。しかし、この男の言うことには妙に説得力がある。
「つまり真壁という男は、そういう力を持っている……と?」
尾上弥太郎と名乗る老人は、初めて表情を曇らせた。
「まぁ、そんなところじゃが、奴自身、最初からそんな力を持っていたわけではないし、奴は死んでしまえばいいのにと望んだわけではない」
尾上弥太郎と名乗る老人は、今までにない真剣な趣で語り始めた。
「もとはワシの戯れじゃ。誤算じゃったのは奴がとんでもなく拘りの強い人間じゃったこと。そして世の中がかくも乱れてしまったことかのぉ」
「拘り……ですか?」
「あー、そうじゃ。もっと言えば『執着』といっていい。大事なものを奪われたら取り返したい。それだけじゃ。何の罪もない。ただ少しばかり術が効き過ぎた。過剰に反応し、このような結果を生んだ。まぁ、死んじまった奴らには申し訳ないが、運が悪かったと言うことじゃが、まぁ、それ以上に日ごろの行いが悪かった。そして盗んだ相手が悪かったと言うことじゃ。しかし、このままではなぁ、あの男の……真壁の命に関わる」
後藤には理解できなかった。しかしこの老人はどうやら自分自身の誤算のために一人の男の命を危険にさらしてしまい、それを助けようとしていることはなんとなく理解した。そしてそのこととは別に、真壁の命が危ないことは理解できた。後藤の分野、どんな方法にせよ、真壁が一連の事故に関係があるということが『あの連中』の知ることとなれば、黙って見ているはずがない。真壁の社会的な安全を担保するとは、すなわち秘密裏に事を運び、再発を防止すること、そして騒ぎを大きくしないことだろう。
それにしても、真壁はどうやって三人もの人間を死に至らしめたのだろうか?
しかしそれがわかるのも、時間の問題だろう。
この男についていれば、いずれそれはわかることだろうと後藤は腹を決めた。だがしかし、ここにも誤算があったのだった。