<4-4>闇の中
「旦那様、なにかご心配なされていることでも?」
闇の中に囁くというよりは、小さな声――それは見事に闇に調和し、ろうそくの火も揺らがないような静かな口調であった。美しく妖艶な美青年の声。
「いや、案ずることはない。こういうことは専門家に任せておくのが何よりだ。それにあの男に依頼して悪い結果が出た為しがない」
声の主は、少ししわがれた声――その声はどんなに静かに、小さく語ろうとも周辺の空気をすべて支配するような強い力が感じられる。闇に生き、闇を統べる者の声。
「あの7代目――榊原と言いましたか。あの男の子とが気がかりで?」
「フン。若さよのー。経験と実力がある。ある程度のことは対応できる。そう思っているうちはまだまだ若い。今回の件、もし手を出すようなことがあれば、それこそ大きな火傷をするやもしれんが、まぁそれもいい勉強になるか。命を落とすようなことはあるまい」
2人の会話は極々狭い闇の中でかわされている。だれもその会話に入れないようなそんな空間に。
「人にはそれぞれ見えているものが違う。ほとんどの人間は表側、陽の当たる場所を歩き、7代目のように裏側、闇の社会に生きるものの数は多くはない。しかしその裏側と呼ばれる社会にもさらに表と裏があるのじゃ。それは視野を広げるとか発想の転換などとは桁の違う世界じゃ。それを見ることができる者は特別じゃ。いや、見て正気を保てるものはほとんどいない」
「古の支配者……」
妖艶な魅力を持つ美青年は自分が口にした言葉が、自らを震え上がらせるほどの恐ろしい言葉であることに気付いて言葉を切ろうとするよりも早く、『声の主』の右手が彼の口を押さえた。
「それ以上は……無用じゃ」
闇の深淵の中に時の流れが引きずり込まれたかのようにすべてが凍りついた。妖艶な美青年は息をする事ができなかった。
「知りすぎたもの、しゃべりすぎたものに明日が来たためしはない。よーく覚えておくんじゃなぁ。まだまだお前には、楽しませてもわねば、苦労して手に入れた甲斐がないというのもだ」
そういって『声の主』は男の唇から手を離した。まるで深い水のそこからようやく水面に顔を出したように激しく息を吸った。が、妖艶な美青年の呼吸は再び『声の主』の唇によって塞がれた。
夜の街を走る一台の車。7代目と呼ばれた男は、車の中から数名の部下に連絡を取っていた。
「あーオレだ、そうだ。例の件なぁ――」
7代目と呼ばれた男は強い口調で簡潔に電話で指示を伝えた。
「――ということだ。これは命令だ。あー、あー、そうだ。絶対に手を出すなよ」
最後に電話をした先だけ、はっきりと口調が変わってた。
「あ、榊原です。どうも、お世話になります。はい。はい。実は例の事故の件なんですが――」
榊原はそれまでは『オレだ』で済ませていたが、最後の電話の相手は自ら名乗らなければならない相手のようだ。
「――えー、こちらとしては表だって動けませんので、はい。はい。すいません。お手間取らせます」
電話を終えると榊原はほくそえみながらつぶやいた。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……それとも、もっとおっかねぇかなぁ」
一本の傘をめぐって様々な人間が動き出す。だが、それはすべて闇の中の出来事であった。