7-11
草原の部族を率いる可汗の城。
十年以上前、東方王国へ向かう途中に城下町を経由した記憶がある。
こんな形でまた来ようとは思ってもみなかった。
ジヴァルは宿舎から見える丘の上の壮麗な城を見上げて、ほうと息を吐いた。
そろそろ寒い季節が近づいてくる。
まだ白く染まらないそれは、あっという間に乾いた空気に溶けていった。
今日は、東方王国の外交使節が可汗との条約更改に臨んでいる。
そちらは、まぁ放っておいても大丈夫だろう。
特に彼らの生活に影響する事では無いはずだ。
明日、フィルバートが可汗に挨拶をすることになっている。
ラウストリーチ国の筆頭侯爵として、彼の死んだ養父の代わりに同席することが許された。
可汗か、ちょっと嫌な予感がするな。
ジヴァルは、まだ見ぬフィルバートの祖父に思いをはせ、胃の奥が少しキリリとするのを感じた。
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通された部屋の奥の一段高い位置に、可汗のみが床に敷かれたラグにすわって待っていた。
他は、誰もいない。
部族の長も
侍従らしい者の姿も見えない。
本当に"孫"が会いに来ただけ、という構図のようである。
部屋の低い位置、可汗の座る前に安座にて背筋を伸ばしているフィルバートの後方に、ジヴァルは同様に座り、頭の位置を低くしていた。
「久しいな、バトゥ」
「御爺様もお元気そうで何よりです」
「うむ。まずは其方が無事に18歳となったことは実に喜ばしい。すこし立ってこの祖父に姿を見せてくれぬか?」
すくりと立ち上がったフィルバートはゆっくりとその場で回って見せる。
正面に立った姿を見上げ、彼の祖父は満足そうに微笑んだ。
「うむ。戦士らしゅうなったの」
すわれ、との声で元の姿勢に戻る。
好々爺の様子が少しばかり剣呑な様子を含んだのはその直後である。
「儂は他所の家に養子にやるために、馬やら毒やらを其方に仕込んだわけでは無いんだが?」
あ、始まった、とジヴァルは背中に冷や汗を覚えた。
やんわりとした声でフィルバートがかわしている。
「えぇ、まぁ。それは重々承知しておりますが、いろいろありまして」
「色々とは?」
「それは"当主"に聞いていただきたかったのですが、あいにく先だっての帝国内部の紛争で死んでしまいまして」
「であれば、縁組みを解消してまた戻って来ても良いでは無いか?」
「侯爵家の家督を継いでしまいましたし」
「子爵家の家督をすでに継承していた其方を奪い取っていったのはライルドハイトとやらの方ではないか」
逃げ道を塞いでいく様に、こちら側の肝が冷えてくるのがわかる。
「ラウストリーチとかいう小国、東方王国に比べても些少な存在の侯爵位に何の意味がある? 聞けば今は国王もおらぬという話では無いか、何処にそんな義理があるんだ」
「御爺様、お言葉を返して宜しいでしょうか?」
顔の表情は見えないが、フィルバートの声は少し緊張していても、それでも腹の底がすわっている強さがあるように感じた。
「スフィルカール殿下のことをご存じないでしょうから、外からご覧になっている御爺様にはそのように見えることを否定するつもりはありません。東方王国に比べて、敝国が如何にちいさく、脆弱で、物産にも乏しいことは重々わかっております。それでも冬の美しさや、夏の爽やかさは他に代えがたく。なにより、あの国では東方王国にはない穏やかさと様々な民を包み込む力があります」
「敝国」
「ええ、敝国です」
わざと、敝国と呼称した、とジヴァルは気がつく。
「父が東方王国を選んだように、わたしはラウストリーチ国を選んだだけです」
「・・・・・・」
その言葉が意味するところを探り、可汗は少し目を光らせた。
「スフィルカール殿下を選んだ、ということか。どのような王子だ?」
「・・・王としては甚だ未熟としか言いようがありません。まだ弱々しく、迷うてばかりおられます」
正直に、取り繕うことなく。
フィルバートは自身の王を決して誇大には言わなかった。
「ご自身が王である意味をまだはかりかねている。ふさわしい者がいれば、他の者が王でも一向に構わない、と豪語される方です。御爺様の目には王として不足と思われる要素も多くお持ちでしょう」
ですが、と。
顔をあげてフィルバートは可汗の顔を凝視しているようだった。
「他の誰がなんと言おうとも、殿下は自分が正しいと思えることを最善を尽くして自身の手でやる、と申されました。無論、支持しない者も反対する者もいることは承知の上です。殿下は、たとえ最後の一人となろうとも自分を護り通す者として、私を信じておられます。そして、私が殿下を真に王足らぬと判断した暁には」
決して視線をそらすことなく、声を震わせもせず、言い切った。
「わたしに、その生殺与奪を任せると仰いました。ですから、あの方を殺して良いのは私だけです。それまでは、たとえ御爺様であろうとも、殿下に剣を向ける者がいれば、この私が報復いたします」
いつの間に、そんな盟約をかわしていたと言うのか。
ジヴァルは、床に置いた拳が震えるのをなんとか押さえる。
リュスラーンよ。
君は、そこまで見越していたかい?
子供だと思っていたら、こんなことを言い切るようになってしまったよ。
「・・・・殿下の為なら、この儂に剣を向けるも厭わないと言うか」
おい、ラウストリーチ家の者よ、と声がかかる。
ジヴァルは下げた頭をさらにおろし、可汗の言を待つ様子を見せた。
「儂の孫が言うていることは真か?」
「その盟約は、殿下とライルドハイト卿だけのものにして、他の者が知り得るものではございません」
しかし、と体を起こしてはっきりと明言する。
「わたしはその盟約が真に交わされた物であることを保証する。それ程に殿下とライルドハイト卿の絆が深いことは良く存じております」
可汗と目があったとき。
可汗は、一瞬だけリオン?と口元が動いた。
しかし、そんなはずは無いと首を振り、改めて誰何の声をかける。
「其方・・・・・・何者だ? フェルヴァンス人だろう? 何故西域の帝国領域にフェルヴァンス人がいるんだ。しかも侯爵として」
「それについては諸事情がありますが、ここでお話しする事ではないかと」
「シヴァ・リヒテルヴァルトは仮の名だろう。名をなんと申すか?」
そこで少しばかり、ジヴァルは躊躇する。
可汗の待てる時間を過ぎて、再度、可汗は誰何した。
「名を申せ・・・。言えぬ名なのか?」
「・・・ジヴァルと申します」
頭を垂れて、額から汗がほたりと落ちるのを見つめる。
ジヴァル。
可汗が呟くのを、自分の手が震えるのを押さえながら聞く。
「ジ=ヴァル・・・・。ジ=ヴァルだと!?」
「可汗、それ以上の言及はご容赦いただきたい!!」
それ以上は止めてくれ。
頭を低くし、部屋の後方から必死に懇願した。
「フィルバートの為に!・・・・何より、クラウスを護るために!! それ以上の御追求はご容赦願います!! わたしは、兄の子達を巻き込むわけにはいかないのです!!」
シヴァ様?
前方のフィルバートの声が、困惑に満ちている。
「兄の子・・・・リオンは、お前の兄か?」
可汗の声が、初めて震えるのを聞いた気がした。