7-10
久々に眼前に広がる草原は遠くに地平線を構え、何処までも続いているかのような、遠い気持ちにさせられた。
此の地の移動は馬車よりは馬の方が良い。
フィルバートは馬上で思い切り草の香りを嗅ぎながら、流石に胸の高鳴りを隠せない。
「やはり、ここが好きなんだな」
馬車はもう飽きた、という事で同じく馬上の人となっているシヴァが隣で声をかけた。
「はい、落ち着きます。・・シヴァ様も久しぶりでは?」
「もう十年以上前だね。・・・・北方経由で東方王国に来たのは」
そう言うと、さらに遠く東の方角に目を向けて少し硬い表情を見せている。
フェルヴァンスに意識を向けているのだろうか。
あまり、詳しい事情は話してくれない。
独りで行くつもりらしいが、心配ではある。
フィルバートもまだ迷っていた。
スフィルカールの捜索がどのような形になるか。
ウルカはああ言ったが、どうもシヴァは自分を巻き込みたくはない様子だと見て取れる。
何にせよ、草原の部族との交渉次第だと、顔を引き締めた。
----------------------------------------------------
外交使節の一行は、ハルフェンバックの領都にある子爵の屋敷に滞在することになっていた。
草原の可汗と会談する為に此の地を訪れる外交官の対応は昔から慣れている。
加えて、草原の部族の者が王都へ向かう場合の準備や諸々の手配を担うのもこの領の役目なのだ。
そのため、屋敷は領都の中でも端にある。
屋敷を境に、草原の部族が中心に住まう領域と、東方国人らしい生活を営む者達の領域とが分かれている形だ。
ハルフェンバック領に来るのは、ハーリヴェル卿も久しぶりとのことである。
「とはいえ、今の時期に可汗が何処にいるかはわかるのか?」
「事前に連絡していますので、きっと城にいると思いますよ? 定例の全体会議の時期ではありませんが、東方王国の独立の件はご存じでしょうし、私の成人の挨拶もあるので」
自身も馬に乗り、家畜を追って方々を移動する生活を営んでいるとのことで、城にいないこともあるらしい。
フィルバートから聞いた情報から察して、可汗は随分と自由な人であるらしいとシヴァは想像している。
「あの爺さん、私は苦手なのだが」
「一見乱暴者に見えますが、豪放磊落な爺様で、慣れれば付き合いやすい方ですよ。クラウスやルドヴィカにとっては優しくて大好きな御爺様ですし」
「叔母上にもご挨拶をせねばならんな」
可汗の正室は、ハーリヴェル公爵の出自だ。フィルバートの実の祖母にあたる。
草原の部族の中で東方国側の文化・教育の発信役も担っている女傑だ。
「ここを拠点にして、可汗の城に向かうのは最低限の人数にしましょう」
「ラウストリーチ家からは君たち二人ということで、あとは東方王国側の護衛と役人だな」
「ウルカはこの屋敷に残していくが良いだろうか」
「勿論です」
可汗の城へ向かうのは数日後となった。
あとは草原をひたすら移動し、宿泊も軍事野営のようなテントだ。
片道一週間程度かかる。
そのため、連れてきた護衛や役人も南方への従軍経験がある者を中心に構成されている。
東方王国の外交については、もうフィルバートが口を挟むところでは無い。
フィルバートには"可汗の孫"、という個人的な血縁関係のみを前提とした話しかできない。
成人の挨拶はまぁ良いだろう。
"他家への養子"について、おそらく大分ネチネチやられる可能性はある。
草原の部族にも、東方王国にも影響力のある"ハルフェンバック子爵"を継ぐ前提で、可汗からそれ相応の教育・訓練を受けていた自覚があるからだ。
それをライルドハイト家に掻っ攫われたような印象を与えていないとも限らない。
さらに、問題は"ハルフェンバック子爵"でもない者が"ラウストリーチ公王の保護"を草原の部族全体に依頼できるかどうかだ。
リュスラーン様が生きていたら、爺様にネチネチやられてお終い、になっただろうに。
まったく、好き勝手し放題してこちらを振り回してくれた挙げ句に、あっという間に死んでしまって。
後始末は全部私ですか。
それはまた随分と見込まれたもんですね。
思い出せば思い出すほど悪態しか出てこない。
まぁ、きっと父上もリュスラーン様も、そして何れは私も地獄で合流でしょうから。
先に父上からとっぷりと恨み言でも聞かされていれば良いんだ。
しばらく、そっちで仲良くやっていてください。
私は当面ご一緒する気はありませんから。