5-12
「バトゥ、どうしたの?」
「さっき稽古場で旦那に絞られて、現在半死半生ってところだな」
工房の椅子の背に顎を乗せて、ぐったりとした表情を見せるフィルバートの様子をいぶかしげに窺うアリーの疑問に、親方が同情めいた表情を見せた。
その様子に、あぁ、とアリーは合点がいったと肩をすくめる。
「最近"お遊び終了"って言われたんだっけ?」
「寧ろ、今までが"お遊び"だったのが信じられないよ。おまけにミラー卿まで"じゃ遠慮無く"って言い出し始めたんで、毎回わたしは死地に赴く気分です」
椅子の背に寄りかかるように座り込むその姿に"貴族らしさ"は皆無で、アリーはしょうがないなと息をついた。
「だからといって、どうしてここにいるの?お部屋の方が休まるんじゃ?」
「殿下は執務中で、魔術師の坊主は孤児院に行っちまってだな。下手に暇そうにしていると、ライルドハイト家の方の仕事を手伝わされそうになっているから逃げているんだと」
「領地の方の事なんて知らないよ、もう・・。今までほったらかしてたのはリュス様じゃないか。いつの間にか家令に情報行ってるみたいで、仕事持って城にまで来てるから逃げてるところ。今頃リュスラーン様が絞られていれば良いんだよ。第一、わたしはまだ"ちゃんと"ライルドハイトの家の者になっていないんだよ?」
ぶつくさと愚痴をこぼしているものの、なんだかんだと彼は"ライルドハイトの坊ちゃん"を受け入れている。
そういえば、"坊ちゃん"の元々の家との根回しがすんで、最近正式な養子縁組の事務手続きに入ったと聞いた気がする。
"旦那様"は自分が摂政でいられる間に全部済ませたいらしい。
・・・旦那様らしいなぁ、とアリーは思った。
親方は諦めな、と豪快に笑い飛ばしている。
「ご愁傷様、ってところだな」
「まぁ、あとで執務室に行って書類の整理くらいは手伝うけどさ」
なんだ、ちゃんと"息子"っぽいことはやるんだ。
アリーは吹き出しそうになるのを懸命にこらえる。
そうやって暫く工房で過ごしたら気が済んだようで、フィルバートは椅子から立ち上がった。
「ちょっと愚痴ったらスッキリした。そろそろ部屋に戻ります。お仕事邪魔してごめん。親方、アリー」
「おうよ。気にすんな」
「ううん、またね」
軽く手を上げて合図を送り、"坊ちゃん"はまた城の中へと戻っていった。
---------------------------------------------------------------------
「で、なんで君が差配してるの?」
「はい、そうしないと家令殿がお困りの様子だからです。リュスラーン様」
ライルドハイトの家令が城にまで持ってきた家事について。
フィルバートがサクサクと書類を整理し始めている。
テキパキと分類し、執務室の机に並べられた。
「こちらは、内容の確認後に署名のみで結構なものです。こちらはお目通しなさってわたしのメモにある案のどちらかでご納得いただければ、それでご裁可頂ければ宜しいかと存じます。こちらは、わたしの経験が及びませんので知りません」
「・・・あれ? 俺仕事増えてる?」
「今まで無視していただけだと思います」
バッサリと両断された。
「えー? 俺楽出来ると思ったんだけどなぁ」
ぶちぶちと恨み言を述べながら、リュスラーンは書類と格闘し始める。
一段落するところで、フィルバートが執務机の前で直立した。
「少しいいですか?」
「うん。何かな?」
「国許から手紙が来ました。・・・・ランド伯に伯父、そして母からです」
その言葉には、リュスラーンも居住まいを正しくせざるを得ない。
大分、恨まれただろうか。
ちらりとよぎる。
そんな気も知らず、目の前の少年はまるで上官に報告する一兵卒のようなたたずまいで、書簡の内容を述べた。
「伯父やランド伯からは、残念だがそう決めたらなら仕方が無い。存分に働くが良い、との内容です」
「うん、御母堂からは?」
「養子になるというなら、実家であれど他家であるという一線を画する覚悟を持つべきところ、今後も家族との交流や弟妹の養育について関わりを許して頂けるような斯様に寛大なご配慮をいただいた事に感謝をするように、との事でした」
なるほど、自らが養女になったという経験からか。
あの女性、やはり中身は豪胆と見える。
ただし、との言葉に続いた内容には、リュスラーンも刮目せざるを得なかった。
「ただし、18歳になったら一度は"草原のお爺様"の元にライルドハイト侯爵と共にご挨拶に行くこと、とのことです。一応、母からは説明をしておく、とは手紙にありました」
「え? ちょっとまって。俺、可汗に面会しないといけない?」
「そうでしょうね。なにせ"可汗の孫"を無断で養子にぶっこ抜いてますから」
さもあらん、と言いたげに草原育ちの少年は微笑んだ。
「全体会議というのがありましてね。可汗と各部族の長が集まります。"ハルフェンバック子爵の交代"はあちらにとっても大事ですからね。そこで報告する必要がありますね」
当然、行きますよね?
貴方、わたしの御養父になられるのですから。
それくらいの御覚悟はお有りでしょう?
全く以て"父親"への敬意をみせずに、"息子"は言い放つ。
「"ライルドハイト侯爵"がよもや、草原の爺に恐れを成しているとか無いですよねぇ」
「お前、ホント性格悪いな」
リュスラーンも捨て台詞と交換に降参するより他が無かった。