5-10
諸々の報告や始末を終えて。
フィルバートが湯上がりのほてった顔を冷ましつつ部屋に戻ると。
扉の前で背中を壁に凭れて立っているスフィルカールの姿を認めた。
「あれ? どうしました?」
「うむ。話があるから」
「一人で行動するなって言われているでしょう?」
「そこの隅の護衛がちゃんと見ているから大丈夫」
顎で護衛の位置を示し、扉にもたれていた背中を起こした。
ふう、とため息をついてスフィルカールが促す。
「とりあえず、話は中で」
スフィルカールがフィルバートの私室に入るのは正直初めての筈だった。
机と、空っぽの本棚を見回してスフィルカールはぽつりと呟く。
「殺風景だな」
「ナージャのように、本やら道具やらがいるわけでは無いですから」
「そうか」
短く、返して。
スフィルカールはフィルバートと対面してソファに座る。
間に据えられたテーブルの上に、ごん、と音を立てて剣を置いた。
「・・なんですか? これ」
「うむ、先日の"回答"だ」
少しだけ、目の前の剣をじっと見つめて、時間を潰した後。
乾燥した唇を少しだけ湿らせて。
スフィルカールは意を決したように息を吸う。
「其方の」
今までとは違う呼び方に、フィルバートは急に緊張を覚えた。
「其方の生殺与奪については、私が預かる」
同時に、とスフィルカールは続ける。
「私の生殺与奪を、其方に委ねる」
その言葉に、フィルバートは眉根を寄せた。
「はい?」
「問い返されても困る。それ以上でも以下でも無い」
少し、沈黙が流れて。
「それではあべこべではありませんか?」
困惑の問いを返す。
その困惑に、結構これでも考えたんだと噛みつかれた。
「私は、それなりどういう王になりたいかが自分の中で解ってきた気がする。無論、敵対する者、支持しない者もいるだろう」
だが、と続ける。
「だが、わたしは構わん。他の誰に何を言われようとも、自分が"正しい"と思う事を最善をつくして進めるつもりだ。だが・・・真に王足るに相応しくないと、お前が判断したらならば」
是非もない。
スフィルカールは言い切る。
「私の生殺与奪はお前に委ねる。お前が私をそう判断するその日までは、お前がわたしの事を誰がなんと言おうとも信じていると、わたしは信じている」
目の前で、やや唖然とするフィルバートに。
彼は告げた。
「・・・私を殺して良いのはお前だけだ、フィルバート・ハルフェンバック。その日を決断するまで、どこの場所にいても、どのような立場にあろうとも。お前は私を護れ。そして、お前を殺して良いのは私だけだ。わたしがその日を決断するまで、どの場所にいて、どのような状況にあろうとも、お前は生き延びよ」
良いだろうか?
その問いの答えは是非も無かった。
フィルバートは、目の前に置かれた剣を手に取り。
刀身を抜く。
鞘から抜いた時に、しゃらんと金属がすれる音が耳に響く。
「こういうときって、例えば何処かの国の物語だとかには"私の為に死ぬ覚悟を"みたいなセリフがあったりするものですけど」
「うるさいな、格好がついていないのは百も承知だ。・・・そういうのは要らぬ」
「まだ、迷っているんだ。"自分が公王たる理由"」
「これからも、ずっと迷うと思う」
剣を掲げて、部屋の灯りにかざすと、刀身が橙色の光に染められるのが血の色にも見えた。
「普段俺様なのに、すぐ凹むし、わかりやすく落ち込むし。ずどーんと一人で考え込んじゃうし」
「・・・」
「正直、弱い。あまり策を弄さずとも殺すには容易いでしょう」
「・・・なにが言いたいんだ?」
「だけど、貴方が如何するのか、見ていたくなったんですよ」
刀身を掲げたまま、その向こう側の少しばかり苦々しい表情を半分隠す。
「如何、"公王"や"帝国の王子"をやっていくのか。帝国の中では一番端っこで、皇帝からは今でも疎まれて命すら狙われている。立身出世を考えるなら、まず大抵の腕に覚えのある騎士は貴方の所は選ばない。・・・だけど、孤児のナージャの言葉に一個一個正面から考えて、シヴァ様やオズワルド殿、孤児院の子供達に病院にいる人たち・・・城に関わらない人、貴族で無い者、騎士で無い者が、貴方にいろんな影響を与えている。・・国って、貴族と騎士でなり立っているわけじゃ無いって、私がいつの間にか草原に置いてきちゃった事を思い出させてくれるんです。そして、そんな貴方がこれから、どんな国にして、どんな王になるのか。帝国にも東方公国にも居ない王になるんじゃ無いか、どちらとも違う国が出来るんじゃ無いかってワクワクするんです」
刀身の向こうに見える半分の顔が、少しだけ驚いているように青い目が丸くなっていた。
「私、18歳までに結論ださないといけないんです。確かに選択肢はあるけど、自分一人の気持ちだけで決められることでもない。・・・・領地の人や草原の人たち、家族の事もあるし。だけど、どこにいても、どんな立場でも、最後まで貴方がどうするかずっと見ていて良いって、他の誰でも無い貴方に信じていただけるなら、私はたとえ何処でどんな立場にあっても、貴方の命を護って良いんだと胸を張って生きていける」
刀身から目を離し、目の前に全て現れた顔を見つめる。
剣を持つ手を高く上げて、剣をぎらりと光らせた。
「貴方に剣を向ける者には、たとえ誰であろうともこの私が報復します」
そのまま、腕をしならせ、弧を描くように振り下ろす。
ふぃん、と音を立てて、それはスフィルカールの首の一寸先で止まった。
微動だにしない、海のような深い色の瞳を、異国人特有と言われる続ける黒い瞳でまっすぐ射貫く。
フィルバートは、口の端っこを少しだけつり上げた。
「拝命仕りました、"スフィルカール殿下"」
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ナザールは、私室のソファで魔法書を読みながら自作の魔術師の暗号パズルを作成することに没頭していた。
ちゃんと勉強するなら、机に向かうのだが、ちょっと気楽にやりたい作業はこうやってソファでくつろぎながらやるのが楽しいし、良い案が浮かぶような気がする。
以前なら、城内の魔術師が作成したパズルをただ解読するだけであったが、最近は自分でパズルを組み立てることが面白くなっている。
宮廷魔術師達も、自分で作成するのが勉強になるからと色々と教えてくれるのがありがたい。
東方公国の双子宛にそれぞれ送ると、感想が送られてくるのが楽しかった。
そのうち、孤児院の魔法使いの子供達にも課題として出してみようと考えながら、魔法書をめくっていると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
どうぞと声をかけて顔を上げると、スフィルカールの顔がそっと部屋に差し入れられているのに気がつく。
「あれ? どうしたの?」
いつものように、気楽な歓迎のセリフの答えとしては、少々遠慮がちな声が此方を伺っている。
「いま、良いか?」
「いいよ」
答えてまた魔法書に目を落としていると、どかっと肩に重みがかかった。
先ほどまでの遠慮がちな様子とは偉い違いだ。
またか、とナザールは少しだけ抗議した。
「おまえなー、体重かけるなよ」
「これが良い」
左の肩に体重を乗せられて。
ナザールは苦笑いをした。
「お前なぁ・・・・」
「"回答"をした」
その言葉に、ナザールは、しばらく沈黙して。
うん、と頷いた。
「お前自身、納得出来ている?」
「ああ・・」
その後、スフィルカールは立てた膝に顔をうずめた。
「何時までも、"未熟者"でいたかった・・・・・・・!!」
何かしらの結論と決別が出来たのだと、ナザールは判断した。
だけど、それは至極苦しくて。
とてつもなく認めたく無かったのだろうと思う。
ナザールに出来る事はあまりなかった。
「好きなだけ、ここに居て良いよ」
そのまま、左肩を貸して。
静かに慟哭する"公王"に黙って寄り添ってやる。
もう、"俺だけ"が友達みたいだし。