5-09
数週間後にナザールが孤児院に出かけるという日に、その日はフィルバートも行くと言った。
すこし、木々の緑が濃くなり始めた時期である。
ナザールは自分の"誕生日"、が近いとすこし照れくさそうである。
孤児だけに、己の生誕の日が何時かなどは正確ですら無いが、それでも己が生まれて、そして今も生き続けていることを寿ぐ環境があることに、ナザールは素直に喜ぶ。
18歳になったら、俺、留学するんだ。じっ様とそう決めた。
例の魔法研究の盛んな都市に暫く留学することにしたらしい。
ロズベルグ翁の旧知の研究者にもすでに連絡をしているそうである。
あれ、この間フィルバートの進路がどうだと言ってなかったか?
ナザールはいつもなにかあっさりと乗り越えているように見えた。
己は、未だ自分の回答が見つけられないのに。
この見習い魔術師は、飄々と先を見据えて、そして一歩先を進んでいるようである。
そこで、彼の胸の奥に急な不安がのしかかる。
18歳になったら、わたしは一人になるのか。
15歳まで一人だったことを考えると、高々2~3年ぽっきりの至極短い期間が、どういうわけかそれまでの15年に勝る濃密さである事に気がつく。
不思議と、不安はすぐに消えた。
この期間があれば、この先一人きりが続いても、わたしはなんとかやれそうな気がする。
ふと、そんな思いが去来する。
孤児院までの道のりを、いつぞやの様にナザールとフィルバートの三人でのんびりと歩きながら、スフィルカールはいつの間にか、自分の気持ちが落ち着いてくるのがわかってきた。
その日も、孤児院での講義担当はナザールだけであった。
スフィルカールとフィルバートは子供部屋にて子供達の相手を務めることになる。
「最近だと、孤児院の子供達でちょっと年上の子とか、御城でナージャが魔法を教えている貴族の子供達が授業補助みたいな事で手伝ってくれるそうですよ?」
「そうか、そのうちその子供らでここの講義を担当するのかな」
「ナージャが留学に行くまでに整えるそうです」
私がやることが無くなるなと呟くと、何を言っているんですかと笑われた。
「一番大事な仕事があるでしょう? "事業主"」
なんだ、その金だけ出せばもう良いみたいな言い方。
少しだけふてくされた。
「色々準備を考えると、今年の秋までしか続けられそうもないや」
「ロズベルグ殿、そうなると、あまり時間が無いですね」
「いままで色々ありがとうな。力仕事助けてくれて、施設長のオッサンも頼りにしてたよ」
「そのセリフには気が早すぎませんか?秋まではお供しますよ?」
城へと戻る道中、ナザールは少しだけさみしげな背中を見せていた。
今日の護衛は、孤児院に通うナザールに中半専属のような形で定期的に一緒に通っている。
ナザールは、誰とも気安い。
相手がふっと気を抜いて懐に招き入れてしまうのがわかる。
おそらく、あの中立都市でもきっと上手くやっていくのだろうな。
レンガ壁の立ち並ぶ、青い空と海に囲まれた美しい都市を意気揚々と歩く姿が容易に想像出来たことに、スフィルカールは目を細めた。
そこに、スフィルカールの半歩斜め後方を歩くフィルバートの声が耳に小さく届く。
「すみません。取り逃した者がいるようです」
舌打ちすら聞こえてきそうな、悔しさのにじんだ声。
緊迫した声が急を告げていた。
「護衛には事前に伝えてあります。合図をしたら走って」
スフィルカールは急速に理解した。
今日、付いてくると言った理由は、これだったのだ。
預め、予測していた事なのだ。
「なんだ、わたしは囮か?」
「すみません、言い訳はしません。"排除対象"をはっきりさせる為にはこうするのが良い、と判断しました」
"排除対象"と、フィルバートははっきりと言った。
・・・・・それは、私が望んだか?
・・・・・それほどの価値が、私に有るというのか?
"異国人"のお前に。
他領の民に手をかけた誹りを受けぬようにする
かつて、フェルナンドが自らの名を賭してでも守ると誓ったでは無いか
なぜ、自ら手を染めるような事になっているのだ。
「・・・・・リュスラーンが、命じたのか?」
「自分で、選んだことですよ?」
回答になっていないが、色々な意味を教えてくれた。
スフィルカールは、チラリとも見ずに、ちいさく頷く。
「わかった。あとは任せる」
承知仕りました
一番聞きたくなかった言葉を
一番聞きたくなかった相手から聞いて
スフィルカールは、ナザールの手首をつかんだ。
「走るぞ」
一切後ろを見ることなく、護衛と共に、城へと走り続けた
城門の内側でようやく一息つく。
「何があったの?」
「うむ。ちぃと妙な連中がいた」
ナザールの言葉に、短く答えた。
「・・・どこか痛めたのか?」
その声に、彼は首を振る。
「いいや」
「じゃあ、どうして、泣いているんだ?」
その問いに、彼はもういちど否定する。
「いいや」
スフィルカールは流れた涙を拭わない。
泣いていることを肯定したくなかった。