5-02
一月ほど前であったろうか。
その日の降雪も、綺麗に城の周辺を白銀の世界で覆っていた。
ほう、と息を吐くと白く染まったそれが、ふわりとスフィルカールの頭を越えて空に消える。
昨日の雪が嘘のように、青く澄んだ空が彼らを取り囲んでいる。
冬になっても枯れることのない深い緑をたたえた木々が時々震えては雪を落としていた。
「今日は暖かくて良いですね。その分、雪が溶けるのが早そうですが」
「どちらにしても、寒いから嫌だ」
不機嫌そうな表情を隣にして、フィルバートは楽しそうである。
「わたしは、ラウストリーチのこの季節が好きですよ。空気も澄んでいて、空も綺麗に見えるし」
そのまま、空を見上げて、何か遠くを見やるように暫く動かない。
このところ、フィルバートが時折見せる様子である。
「何か、あったのか?」
ふと、スフィルカールは尋ねた。
なにか、様子がおかしいなと思い始めていたからである。
あまり根拠は無いが、スフィルカールには、彼がなにやら迷っているようにも思えた。
「うーん。何かというわけでは無いんですがね」
隣で馬を歩ませながら、フィルバートは軽く頬をかいた。
「18歳までに、進路を決めろ、と言われていまして」
「ふうん。近衛騎士にでもなるのか?」
東方公国の王女の護衛に加えられていたときに、リュスラーンが言ったことを思い出す。
"俺なら、この機会にアピールしておくな"
「いや、まぁ・・・・いくつか、選択肢はあるんですけどね」
「東方公国の近衛騎士団なら、けっこうなエリートコースではないか。ウチのような辺境公国とはわけが違うし。・・・・他にもあるのか?」
その言葉には、フィルバートは答えにくいようだった。
「まぁ、贅沢な話だとは思いますよ」
「全くだ」
自分には選択肢はない。
そう言いたげに、つんと顎をそらすと、横目に苦笑いをしている顔が見える。
「そうですね」
「悩んで良いのなら、悩めば良いだろう。まだ2年近くもあるぞ」
馬の吐息も白く、進む先に広がる雪に幾重に重なって、目の前を少し曇らせていく。
「カール、聞いて良いですか?」
急に馬の歩みを止めて、フィルバートは、スフィルカールを呼び止めた。
すこし、先んじたスフィルカールは振り返りながら小首をかしげる。
「なんだ?」
「私が、いつか貴方の命を害する立場に立つかもしれないとして」
そんなことは無いだろう、と言いかけたが、そんな甘っちょろい考えが通じるなら、東方公国は帝国領にはならなかったはずだ。
国が違う以上、何年も先そうならないとは言い切れない。
スフィルカールは、馬の首を運らせて、フィルバートに相対する。
彼は、いつものように、穏やかな笑みを口の端に乗せていた。
「そうなると、誰もが、私は貴方の敵だと目するでしょうし、貴方もそう思うかもしれませんね」
そんなことは無い。
とはスフィルカールには言い切れなかった。
もしそんな状況があるとして。
リュスラーンやフェルナンドに"諦めろ"と言われたら、反論できるだろうかと脳裏をよぎった。
フェルナンドはともかくとして、リュスラーンにはっきりした論拠をもって彼を納得させられる自信は全く無かった。
「・・・・その時にならねばわかるまい」
今の段階では、スフィルカールにとって精一杯の答えに対して、フィルバートはまぁそうですねと少し視線をそらした。
一瞬、雪帽子を被った草木に目をやり、またスフィルカールを見つめた表情には幾分陰りがあるようにも見えた。
「ですが、私は何処にいても貴方を傷つけることはしないと、貴方だけには信じて頂きたいと思っています」
そこで、それまでの暗い雰囲気を払うように、フィルバートはすこし戯けるように物騒なことを言い出す。
「貴方には、わたしの生殺与奪を委ねたい、と言ったらどうしますか?」
ふざけたような口調の割りに、その姿は、真っ白な雪景色を背景にしていつもより小さく見えた。