4-11
外務卿ハーリヴェル公爵とランド伯爵にハルフェバック夫人、そしてリュスラーンとの話し合いの結果。
しばらく、フィルバートは東方公国には帰らない方が良い、という事になったそうだ。
衆人環視のなか王女派と決裂したという事以上に、公爵達の予想以上に彼が面倒くさい勢力に絡まれて国内党争の種になりやすい事がはっきりしたのが理由のようだった。
外交らしい仕事も終わり、滞在もそろそろ終りが見えてきた頃である。
フィルバートもここ数日は日に一度はスフィルカール達の部屋に顔を出しては情報共有したり、お茶をしたりと過ごしている。
ナザールは、残りの日々を実に精力的に過ごしており、今日も調べ物があると言って出かけていった。
スフィルカールはもう飽きている。
「イェルヴァ様はじめ、公爵や伯爵も前々から反帝国派の事は気にしていたらしいけど、生前全くと言って良いほど表に出ないし注目もされていなかった"侍官長"の息子にそんなに執着するとは思ってなかったみたいでさ。フィルのご母堂含めて、反省と後悔の雨あられみたいよ」
「・・・コイツがちゃんと話をしてなかった、と言うのも理由に入れておけ。母御のみならず守り役まで落ち込ませたらしいじゃないか」
母親や周囲の大人達とは、先日ちゃんと話をしてそれまで言えなかったことも全部言えたらしい。
宮殿にいつも護衛としてついて行っても、王女殿下とその"幼なじみ"と同室に入ることが許されなかった守り役の騎士は、あのとき子供の強がりをもう少し掘り下げて聞いていれば良かったとかなり落ち込んでいるらしい。その騎士も当時は16~7歳の見習いに過ぎなかったということだったのだから、正直、無理もない話である。
リュスラーンの説明を聞きながら、ちいさく縮こまるしかないフィルバートを小突いて、スフィルカールは疲れた顔を見せた。
「そろそろラウストリーチに帰ろう。皇帝の顔を立てる程度の働きはしたと思うが」
「まぁ、もうちょっとのんびりしてからね。フィルもなんとかあと数日を御家族と落ち着いて過ごせそうだし。この後、しばらく会う機会もなさそうだから」
「申し訳ありません」
「まぁ、留学は続行。これまで通り、ハルフェンバック家からラウストリーチにそれなりの資金がおくられてくるから、君はなーんにも心配しないでおとなしく修行しなさい」
にんまり、とリュスラーンは笑みを浮かべた。
「フェルナンドも、俺もまだまだ君と遊び足りないしねぇ?」
「・・・精進いたします・・・・・」
蒼い顔で、フィルバートはお茶を口にした。
その時、女官より来客の旨を告げられる。
「東方公国のランド伯爵様がお目通り叶うなら是非にと」
「急な話だが、約束でもしていたか?」
スフィルカールの確認に、リュスラーンは首を振る。
「いいや。けど、問題無いよね?」
「ああ」
女官の先導にて、ランド伯爵が部屋に通された。
続いて、あらわれた者に、一同その場で硬直する。
「殿下、貴方と是非にお話したいと申されていてね」
「・・・・・」
イライーダ王女が、緊張ではち切れそうな表情でスフィルカールを見つめていた。
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「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
取り急ぎ、お茶の用意をして。
スフィルカールと王女が対面する形となった。
王女は膝の上で組んだ手が少し震えていて、お茶に手を出す様子はない。
スフィルカールがふと周囲を見渡すと、ほどよい距離を取った場所にランド伯とリュスラーンが並んで立っている。
なんと、その隣にはフィルバートも並んでいた。
おっまえーーーー!!
裏切り者、という顔でフィルバートをにらみつけると、当の彼はしらーっと視線をそらしている。
一体、どうしてここまで来たのか。
どうやら、女官も連れず、護衛はランド伯のみのようである。
しかし、何を言いに来たのか。
先ほどから、硬い表情で口を引き結んだままである。
緊張感がずっしりと部屋の空気を押しつぶしたまま、どの程度時間が経ったであろうか。
「あの・・・・・」
やや震える声で、王女が口火を切る。
「殿下に聞きたいことがあって。・・・・イェルヴァお義兄様のことを腰抜けと思わなくなったのは何故なのか、そのお考えの変化をお伺いしたくて」
淑女らしく重ねているべき細い手が、ぎゅっと服地を握りしめていた。
不安と緊張で紫の瞳が少し揺らいでいる。
「・・・急に如何なされたのか?」
「あの・・・貴方のところの、見習い魔術師が」
ナージャ!?
何がどうしてナザールに結びつくのかさっぱり理解出来ないスフィルカールはふと視線をリュスラーンに向けると、彼は知らないとでも言いたげに首を振る。
しからば、お前かとフィルバートに顔を向けると、彼も慌てて首を振った。
狐にでもつままれたような気持ちで、先を促す。
「ロズベルグがどうしたんだ」
「・・・いろんな意見を聞いて、たくさん迷った後の答えなら、きっと"正しい"と思えるから、いつも貴方達にいろんな事を聞いて、それから自分は自分で答えを出す、って言ったの。・・・わたくしも、迷いたくなって、だから」
ぎゅっと服地をつかんで、王女を顔を上げた。
先日の傲慢そうな瞳ではなく、不安と迷いと緊張であふれるような表情で。
「だから、ランド伯に頼んだの。女官も護衛も、誰も付いてこないようにして、スフィルカール殿下に会いに行きたいから、手助けをして欲しいって」
その表情に、曇りはない、とスフィルカールは思った。
おそらく、常に迷って不安になる自らを叱咤し、鞭打って。
そうして、反帝国の象徴であり続ける傲慢な王女の皮を被り続けてきたのだ、と気がつく。
「上手く言えぬかもしれぬが・・・」
一度、お茶で口を湿らせて。
スフィルカールは伏し目がちに自分の手元を見つめた
「民にとっては、日々の生活が安定していれば、王や領主は誰でも良いのだ」
「・・・・え」
すこし、落胆したような声が聞こえる。
それに構わず、彼は続けた。
「日々、麦を踏み、羊を追い、牛が草を食むのを眺め、人々の腹を満たす果実を得る・・・。そういった者にとって、帝国の公王であろうが、独立王国の王であろうが、極端に生活が変わらなければ、そうたいした違いはない。・・・そして、普段"王"の存在などほとんど感じることが無いまま生まれてそして死んでいく者の営みによって我らは生きている」
「・・・」
「イェルヴァ殿が王位を継がれたときは、内政的にも外交上も、混乱期にあったと聞く。さらに、南方部は砂漠と草原南部、二つの民族との国境がまだ安定しきっていない頃だ。・・・帝国に抵抗を続けていけば、おそらく多くの血が流れる事になるだろう。その大半は、普段"王"の存在を感じること無く生きる者達だ。・・・独立国の王としての己の矜持が、果たしてその血に値するものなのか、イェルヴァ殿は天秤にかけたのではと思ったのだ」
いままで、ここまで人に話したことはない。
王女の緊張がうつってきたのか、こちらもやや手が震えるような気がした。
「・・・それならば、いっそ帝国に膝を折り、附庸国の王と幾代に亘って誹られようとも、国内外の安定を優先させたのであれば、それはいっそ英断だ、と思った。事実、いまでは東の護りも安定し、民は富み、産物も豊かだと聞く」
そこで、スフィルカールは視線を上げ、王女の顔を見つめる。
「其方がいずれ女王となり、国を富ませ、兵を強くし、帝国に対する力を付けようと思うならそうするがいい。もし、帝国に剣を向けるというなら、それもよかろう。おそらくはまずラウストリーチに軍を進めることになろうな」
その時は、とスフィルカールの青い瞳が光を強くする。
「ラウストリーチの地の民とその生活を安堵するなら、わたしはいつでも王を降りる。しかし、あの地のすべての者に、いままでそなたがフィルバート・ハルフェンバックにして来たことと同じ振る舞いをするなら、話は別だ」
自然と、拳が握られている。
スフィルカールは、王女の紫の瞳から視線を外すこと無く、言い切った。
「そのような王に、其方がなるなら容赦はせぬ。わたしは、地位に固執する」
少しの間、緊張感が余韻として二人の間に広がった。
「・・・ま、そういうことだ。今のところはな」
「今のところ?」
王女が首をかしげると、スフィルカールはそっぽを向いてうそぶく。
「このさき何十年もこの考えであることを保障しろと言われても困る。様々な者の、様々な事情や意見を聞いたら変わることもあろう、と思うからな」
そこで、スフィルカールは王女が全くお茶に手を付けていないことに気がつく。
「茶が冷めた。淹れ直してもらおう」
「あ・・良いのです・・・」
冷め切ったお茶のカップを手にしようとした王女を制して、女官に給仕を頼む。
「だめだ、すまぬが、煎れ直してくれぬか」
暖かいお茶を出し直してもらいながら、スフィルカールはにんまりと笑みをこぼした。
「是非に其方には当国の女官が淹れた美味しいお茶を味わって帰って頂きたいからな」