4-09
お待ちなさい、と言われて、さようならと言える立場ではない。
フィルバートは背中にスフィルカールを隠したまま、おとなしくその場に立つ。
「周辺に護衛がいますので、彼らと共に先にお部屋に」
「阿呆。一人で相手をするな」
背中越しに促されても、スフィルカールは動かない。
「この状況で刃傷沙汰を起こすような馬鹿ではあるまい」
二人の前に、王女が近づいてくる。
女官は昨日とは別の者だ。
護衛の騎士と共に王女の後ろに並んでいる。
「随分と、ご懇意にしているのね、帝国の王子と」
「はい、ラウストリーチ公国で、日々修行に励んでおります」
さらりと騎士としての礼を施したフィルバートに、王女は顔をゆがめる。
「帝国が、貴方の父に何をしたのか、わかっているの?」
「少なくとも、何をしたのかわかっておりませんし、そもそも何もしていないかもしれません」
フィルバートの言葉が、今まで聞いたことがないほどに固く冷たく響いていると思った。
「そもそも、スフィルカール殿下には一切関係の無いお話でございます」
後ろに控える二人が、一斉にかまびすしい。
「幼き頃より、殿下の御側に召される栄誉を受けながら、なんという恥知らず」
「たかが侍官の息子の分際で、あれほど御取り立て頂いた御恩を忘れたのですか」
その言葉を、ええそうですね、とフィルバートは荒々しく打ち切った。
「"異国人を御側近くに召されるほどに徳の高い王女殿下"ですから。・・・わたしはあなたがたと"王女殿下の幼なじみ"の枠に組み込まれるのはもう御免です」
"王女殿下の幼なじみ"という言葉を聞いた瞬間のフィルバートの顔がゆがんだのはこういうことかと、スフィルカールは胃の奥がきゅと縮むような感覚を覚える。
「わたしはすでに公王イェルヴァ様より叙勲を受けた、東方公国の騎士です。ラウストリーチ公国に修行に出る件は上司であるランド伯と後見人のハーリヴェル公爵から許可を得て、イェルヴァ様からも激励の御言葉を賜っている。イライーダ様については王女殿下として尊重いたしますが、そもそも、貴女様に私どもランド伯に属する騎士に命令する権限は無いはずです」
「このわたくしより、あの腰抜け公王を優先すると言うの!?」
王女殿下の目がかっと見開かれる。
スフィルカールは、そろそろフィルバートを止めようかと思ったが、目の前で握られた拳がぎりぎりと何かを耐えるように震えているのに気がついてやめた。
これは、フィルバートにとって、決着の瞬間が近いのかも知れないと思ったのである。
"異国人"の自分と
この場を最も逃げ出したいのは、むしろフィルバートだ
「第一、貴方をわたくしが重用しようというのが、何が問題なの? 貴方の父を取り立てたわたくしの父と同じ事をしているだけよ」
「一緒にしないでください。ルドルフ王は"異国人を取り立てる徳の高い王"であるために父を侍官としたのではないし、父は"国の王"に仕えたくて東方王国に来たのではない」
王女の言葉を遮るのは随分失礼だというのはきっと重々承知の上であろう。
しかし、フィルバートはこの際ちゃんと言おうとしている、とスフィルカールは思った。
今まで、言いたかったこと。
最初から"幼なじみ"でも何でも無かったことを。
「父は、宮廷魔術師でなく、"侍官"を選んだ。それは、"東方王国王ルドルフ陛下"ではなく、"ルドルフ様"のみをお支えする存在であるために、そうしたと父から聞きました」
そして、と続く言葉は、絶対に相手に聞き逃して欲しくないと、ゆっくりとはっきり告げる。
「わたしにとって、そのような存在が、"貴女様では無い"事だけは、はっきりしている!」
王女の表情が一気青白くなるのを見る間も無く、失礼しました、とだけ告げてフィルバートは背を向けた。
「・・・カール、行きましょう」
おそらく気が高ぶっているのか、本来なら"殿下"と呼ぶであろう呼称がいつもの呼び方に変わっている。
その背中を追いかける前に
スフィルカールは顔色の悪い王女にそっと声をかけた。
「イェルヴァ殿を腰抜け呼ばわりか。わたしも以前はそう思っていた」
しかし、とここ一年での心境の変化を簡潔に告げる。
「今のわたしには、類い稀無き賢君と思える」
では、と言い置いてスフィルカールはフィルバートを追った。
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まぁ、やらかした、というのは確からしく。
「どうしようーー」
「考え無しのやんちゃ坊主、ここに極まれり、といった所だったな」
「お前、ホント馬鹿だなー」
真っ青な顔を両手で抱え、フィルバートはソファで踞っていた。
今まで積もり積もっていた物を全部吐き出したのだ。
・・・・両国の護衛が何人もいる中で
「護衛から聞いたけど。いろんな人が見ているところで、まぁまぁな啖呵切っちゃったんだって?」
ソファの傍らに立つリュスラーンは、後悔の海に絶賛漂流中のフィルバートをややあきれ顔で見下ろす。
「というか、俺達どうして"東方公国内部"のもめ事に巻き込まれてるの? 昨日はともかく、今日は全然関係ないよね」
「はい、申し訳ございません・・」
顔を上げられないフィルバートの隣で、ナザールがまぁまぁと背中を軽く叩いている。
一通りの状況を確認した後、リュスラーンにしては随分と優しく慰めのようなことを言い始める。
「まぁ、王女がギャンギャンわめいたとこで、君の地位にはあまり影響しないと思うよ? だって何の権限も無いお嬢さん怒らせただけでしょ?」
「怒らせた、というか」
一部始終を一番近くで聞いていたスフィルカールが一言で述べた。
「"お前に忠誠を尽くすつもりは毛頭無い"って言い切った」
「わぁ、格好良いー・・・って、俺ランド伯と外務卿にお呼ばれされてるの、それ関係ある?」
「知るか。さっさと行ってこい。ハルフェンバック家には、今日はフィルバートをこちらで預かると伝えろ。これではあちらに帰せない」
リュスラーンはしょうがないなぁと言いながら、言うとおりにしてくれるらしい。
部屋も準備させるから気にしないでゆっくりしなさい、と気持ちの悪い程度には優しい言葉をかけて出かけていった。
少し落ち着かせようと、ナザールとスフィルカール以外は同じ部屋に入らないようにと他の者に伝え、人払いをする。
「あの王女には良い薬じゃないか?そもそも"お友達"の定義をはき違えていたんだから」
「いろいろ取っ払うと、スッキリはしてるんですけどね。言いたいことは全部言い切ってしまったし」
そこで、ようやく顔をあげて、ソファに背中を預けながら、フィルバートは天井を見上げた。
「もうちょっとスマートに言いたかったかなとか、関係ない人にも見られたし、噂になってしまいますよね。きっと母や伯父達にも知られてしまうだろうし。・・・嫌だなぁ」
そこで、引っかかるものを覚えて、スフィルカールはフィルバートに確認する。
「お前、王女殿下とその取り巻きとの間の事は母御には話していないのか?」
「話せるはずないじゃないですか。父がいなくなって唯でさえドタバタしているのに、弟妹は小さいし、父の後釜狙いで母に近づこうとする鬱陶しい大人もいるしで。いくら公爵家の後ろ盾があるからって言っても、あの頃の母は私たちと家を護る事で毎日が精一杯だった筈なんですよ。ハルフェンバック家を護る為に女官で出仕するって言ってたし、頼りない様子だと何処かの貴族の次男坊あたりにつけ込まれる懸念もあったんでしょうね。・・・私のことで余計な心配かけるわけにはいかないですよ」
至極あっさり、且つ予想通りの答えだった。
内心げんなりとしながらスフィルカールは続きを聞いてやる
「第一、王女殿下の所で同年代の子供と勉強したり交流できるならその方が良いだろうって、伯父に言われての参内だったんですから、無碍に嫌だって言えませんよ。それに、子供だったのでなにがどう嫌なのか言葉にして説明できないし、"極東人の子供"にはもったいない名誉だって見ず知らずの貴族には言われるから、結局タダの我が儘にしか見えないだろうと思っていたし。まぁ、せいぜい月に1-2回位だし、その間ちょっと我慢すればいいやって思って凌いでいました。ランド伯の所で修行する名目で伺う回数を減らして、騎士見習いになるってタイミングで上手くフェードアウト出来たと思っていたんですけどねえ」
なにやら、すごく身に覚えがあるような状況である。
はあ、とスフィルカールは盛大なため息をついた。
「お前、明日は母御に相当叱られるか泣かれるのを覚悟しておけ」