3-10
フィルバートとナザールは、すぐさま厩を飛び出し、スフィルカールが消えた方向へと追いかけることを試みる。
門扉まで来たところで、二人は足を止めた。
「カール!」
幾ら周囲に声をかけても、返事があるわけがなく。
屋敷周辺は灯りらしい物も無く、木々がゆさゆさと風に吹かれて不気味ともすら言える影とざわめきを作っている。
「ナージャ!今の気配は何だ!?」
二人の元に真っ先にたどり着いたのはウルカであった。
珍しく緊張で金の瞳が揺らぎ、周囲を見まわす様には落ち着きがない。
スフィルカールが消えた方向を睨み、ナザールが首を振った。
「例の子供みたいだ。カールの名を呼んで、返事をさせて、連れて行った」
フェルナンドにシヴァ、そして家令も門扉前に集まってくる。
「例の子供!? 魔法使いか?」
「魔法使いってかわいいもんじゃねぇよ。あれ」
フェルナンドの言葉に、ナザールは額にうっすら浮かぶ汗を軽く拭う。
「名付けされてない上に、何かががっちり"混ざってる" 。あんなの初めて見た」
「名付けがされていない!?母親の方ではなかったのか?」
『混ざってる?』
シヴァの声に、うん、と頷く。
「生まれた後からなのか、生まれる前からなのか、わかんねぇけど。あれ、いろんなのが混じって纏わり付いている。精霊なのか魔物なのかぐちゃぐちゃでわかんないけど、質の悪いもん色々取り込んでる感じだった」
「そもそも、どうしてここがわかったのだ? それに、どこで名前を覚えられていたのか」
ウルカとナザールが思案を運らせていると、震える声が突如響いた。
「どうしよう・・・あの時だ」
皆が視線をその声に向けた。
両手を自分の腹の前で握りしめ、これ以上ないと言うくらいに、フィルバートの顔面が蒼白に変わっていく。
「私、あの子を二度見ました。どうしよう、今日のあの子とカールの受け答えも、聞き流していました。あの子は、先日の近所の子供たちの言った言葉をそのまま繰り返して、最後にカールの名前をたずねたんです」
「しまった。それで名前を覚えられたのか」
握りしめた両手がガタガタと震えている。
唇がわなわなと揺れている。
「気が付きませんでした。・・・私のせいだ」
肩が上下し、正常に呼吸ができていないのか、息を吐くことがうまく出来ていない。
己への呪詛が、喉の奥から振り絞られる。
「私が魔法使いであったら、きっと最初に見かけたときにあの子供が危険だと気が付くことが出来たはずなのに・・・・・!!」
その時、雷のような声がフィルバートの脳天を揺らした。
「いつまで呆けているつもりだ、フィルバート・ハルフェンバック!! 貴様はそれでも帝国騎士か!!」
フェルナンドの怒号が辺りに響く。
屈強な騎士から今まで聞いたことのない声が、フィルバートを硬直させた。
「今己に何が出来、何をすべきかこの瞬時に判断するのが先だろう!!」
「・・・・・は、はい・・・」
その声で、徐々にフィルバートの震えがおさまる。
一度、大きく息をつき、瞳を閉じた。
もう一度、黒い瞳を露わにした頃には、元の気の強そうな色を戻している。
いつもの固い声に戻ったフェルナンドは、太い腕を組んだまま、フィルバートを見下ろした。
「フィルバート、貴殿なら何が出来る?」
「シヴァ様がウルカを貸してくださるなら、馬より早く移動出来ます。彼と共に闇の気配を追って先に向かいます」
腹の前で組んだ手を、組み替え。
フィルバートはまっすぐにフェルナンドを見上げる。
騎士は、固く引き結んだ口元を少しだけ緩めた。
「承知した」
そこで、顔を上げてシヴァに向かう。
「シヴァ様、しばらくウルカ殿をフィルバートにお貸し願えるか」
"宜しい。ウルカ、しばしフィルバートに従いなさい"
「うむ」
つづいて、フェルナンドはナザールの顔を見る。
「私はウルカ殿の後を追おう。なぁに、龍の姿を見失うほど後れを取るつもりはない。ロズベルグは馬に乗れずとも、私にしがみつく位は出来るだろう。付いて参れ」
「う、うん」
さらに、シヴァの後ろに立つ家令に指示を出す、
「シヴァ様はウルカ殿と連絡を取りつつ、我らの後を馬車で向かうが宜しかろう。家令殿、手配を」
「かしこまりました」
一通り、方向をまとめたところで、シヴァとウルカに、重い言葉を投げかけた。
「シヴァ様、ウルカ殿。その子供を見つけたら、どのようにするのが最善か。殿下を取り戻し、子供を取り押さえ、シヴァ様を待てば良いか」
「混ざっている、と言うことなら、手遅れだろうな」
ウルカは、そう言い切る。
シヴァはその言に否とは言わなかった。
"残念だけど、そうだろうね"
「師匠、あの子は・・」
「ナージャ」
「だって・・・」
ナザールは、何か言おうとしたが、途中でやめる。
フェルナンドは、フィルバートに淡々と告げた。
「フィルバート、その様に心得よ」
「・・・・は・・い」
「貴殿が最初に見つけるはずだ。その際、殿下の命を最優先に」
冷静で、はっきりと告げられた内容に、フィルバートはゆっくりと頭を垂れた。
「・・・はい、承知しました」
「私の指示だ。貴殿が決めたことではない、良いな?」
フィルバートの肩に手をのせて、念を押す。
「この私の名にかけて、貴殿の名誉は守ると誓うよ」