3-09
「仲直りしたわけじゃなかったのかよ」
厩の掃除をしながら、ナザールはまだ喧嘩してんのかよとあきれ果てている。
馬の足裏に小石などの異物がないかどうかを確認しながら、スフィルカールはボソボソと困惑した感情を漏らした。
「今更、何を言えば良いのかわからぬ。・・・失言をしてしまったし」
「なんて言ったんだよ? そもそも、なんで喧嘩してんの?」
フィルバートは、フェルナンドに何やら呼ばれて先に屋敷に入っていった。
もう、ある程度馬の世話は一人で出来るようになったスフィルカールは、今日はナザールと一緒に馬房の掃除や飼い葉の準備等をこなしている。
ナザールの問いに、しばらく、かなりの間スフィルカールは逡巡した。
少々長いこと黙り込んでしまったが、もうこれは一回吐き出さないとダメなような気がする。
ついに、彼は口にした。
「・・・・"どうせ、そのうちこの国を離れる異国人に毒味なぞされたくない"」
「あちゃぁー・・・・あの日が原因か。ひょっとしたら、そうじゃないかなって思ってたんだよ」
「・・・お前、気がついていたのか?」
フィルバートが毒味をした時はおそらく気がついていないだろうと思っていただけに、スフィルカールが目をむくと、ある程度綺麗になった厩に目を向けた後、ナザールはベンチを促した。
「ま、座れよ。話が終わったら、あとでもう少しちゃんと綺麗にしよう。でないとフィルが怒るから」
馬の扱いには人一倍厳しい草原育ちの少年の目にはまだ不十分であろう厩の状態をそのままにして、二人は並んでベンチに座る。
ナザールは少し視線をはずして首の筋を触りながら言葉を選び選び、話し始めた。
「俺とフィルさ、城と公都の病院と今回の屋敷以外の場所・・・三人で街をうろつくときは、人が手をかけた食べ物は口にするなって言われてるんだよ。カールは自分からは食べ物口にしないから、俺達が気をつけろって。師匠とリュス様に」
「は?」
自然と険しい表情になる。
それをチラリと目にして、ほらぁ、だから黙ってたんだよ、とナザールは顔をそらした。
「この間のリンゴみたいにまるごとか、俺かフィルが皮むいて切ってやった果物なら食べて良い。それ以外は水もダメって言われてんの。で、きっとそういうのをカールに言ったら、絶対怒るだろうから、お前には言わないでおこうって、フィルと一緒に決めてたんだよ。・・・俺達の間にそういう扱いの差って嫌がるだろ?お前」
だから、先日も昼は市場の果物で済ませようと思っていたのだと言う。
「あのガキが、家でメシ食おう、って言い出したときに、俺困っちゃったんだよ。けどさ、あの人絶対そういう悪い人じゃないし、上手いこと断る理由が無いじゃん。そうしたら、フィルが自分がちゃんと毒味するから、親子の注意をそらしてくれって言ったんだよ。あとで師匠やオッサンにばれても、騎士である自分が毒味をしたとはっきり言えば、ちょっと叱られるくらいで済むだろうって」
同じ帝国属とはいえ、東方公国の騎士に毒味をさせたという事は、さすがのナザールもあまり良いことではないだろうとは思ったらしい。
「だけどさ、ああいうとこで食事するのって結構楽しいんだよなぁって思ってさ。いろんな人間とわいわい話ながら大して贅沢でもない食事取るのって、あまりお前の普段の生活ではない事だろう? 城でお前達と食事するも良いけどさ、ほら、マナーとかさ、食べ方とかさ、今まで言う人いなかったから、時々俺には窮屈かなぁって思う時あるもん。俺もフィルも、孤児院とか、草原の親戚とかとさ、みんなで大鍋のスープよそって分けて、わーわーガヤガヤ、時々誰かが叱られたりしてさ、おんなじ物を食べる、そう言うのが楽しい、って知ってるから。・・・たまには、良いじゃん、って思っちゃったの」
だけど、お前やっぱり毒見されるのは嫌だったんだなぁ、とナザールはうなだれた。
スフィルカールは、ずうんと首の根っこに何かがのしかかるような感覚を覚える。
「・・・・すまない」
「俺じゃなくて、フィルに言ってくれよ。まぁまぁ効いてると思うよ、"異国人"。あいつ、東方公国でもそう言う扱いされることあるみたいだし」
「う・・・・」
二重にやらかしていることに気がつき、さらに自己嫌悪で顔が上がらなくなる。
背中を軽く叩かれ、立ち上がるのを促された。
「ま、それは後な。先に、掃除終わらせよう。さすがにこれじゃ、フィルに及第点をもらえない」
「うむ・・そうだな」
まだ、綺麗とは言えない厩の内部を見渡して、ナザールは箒を抱え直す。
二人の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あ、サボってます?」
「サボってねーよ!」
反射的に振り返ったナザールは、びしっと箒の先をフィルバートに向ける。
「休憩してたとこ!」
「それがサボリって言うんじゃないの?」
「あとは、ここ綺麗にすれば御仕舞なのっ」
「もう・・・では、早くやってしまいましょう」
フィルバートとナザールの声を背中で聞きながら、近くに転がっている桶を拾っていると、スフィルカールの耳に風が通ったような気がした。
「・・ん?」
顔を上げ、呼ばれたような気がする方向に目を向ける。
その視線の先に、ここには居るはずのない姿を認めた。
「・・・・お前・・・」
「カール?」
「どうしたー?」
不思議そうな声に、ナザールとフィルバートが同じ方向を目を向ける。
「あの子・・・昼間の子・・」
フィルバートのつぶやきに、ナザールが一瞬顔を硬くする。
暗闇の奥に、何故か子供が一人たたずんでいた。
ボサボサの髪の間から覗く瞳がらんらんと輝く。
感情の読めない口元がにいと横に開く。
「カール! -----遊びに行こう!!」
「お前、どうしてここに・・。」
「返事をするな!!カール!!」
ナザールの大きな声に先んじて、スフィルカールのつぶやきが子供に届く。
瞬間、子供の周囲から黒く、大きく得体の知れない何かがスフィルカールに覆い被さり。
しゅるん、と飲み込んだ。