1-3
「三百万!?」
なにはともあれ、一度城に戻って事の次第を説明すると。
胡散臭いとか詐欺じみているとか言う前に、その値段にリュスラーンの声は裏返った。
「・・・・それはまたえらく吹っかけられたなぁ」
「そうお思いになるなら、お止めください。絶対詐欺ですよ」
途方に暮れた顔のフェルナンドの隣で、涼しい表情の君主はまるで市場のリンゴを買うかのような気軽さで城の文官一年分の金を強請る。
「一ゴルデもまけないと言っているからな」
「足元見られてるなぁ・・・。」
話を聞いたリュスラーンはこめかみをかきながら、言葉を選び選び、続ける。
「・・・カール、そいつは本物なのか?」
「本物?」
「・・・その、闇の魔術師かってことだ。」
その言葉に、スフィルカールは首をかしげた。
「わからぬ。」
「そうか。」
「だが、わたしの呪いを解いてくれるという。試してみる価値はありそうだ。それで三百万騙されただけなら、それはそれで仕方がない。」
「仕方が無い、って文官一人一年分の人件費を無駄遣いするんですよ?」
「今まで、姿を見ただけで私がすでに何度か気を失っていることまでを指摘してきた者はいなかったんだ。それに・・」
「それに?」
「あ・・いや・・」
「それに?何?」
先を促したリュスラーンの声に、躊躇して言葉を飲み込みかけたスフィルカールであったが、さらに強く促され、仕方が無いなとため息をついた。
「はっきりした物言いが、今までとは違うなと思ったのだ。今までの魔術師ときたら、なにやらボソボソしたことした言わぬし、中には自分の功績をやたらひけらかすばかりの者もいたしな。金を要求する位がいっそ清々しいとさえ思ったのだ」
その言葉に、うーん、と軽くうなりながら頭をかき、リュスラーンがのろのろと立ち上がった。
「まぁ、確かに、そんなのもいたね。・・・じゃぁ、俺も行ってみるか。カールの命にかかわる事をする気なら、その時は、その時、で。」
「好きにしろ」
スフィルカールがその声で動き出すと、大人達が後ろを並んで付いてくる。
そこで密かに安堵の息をついた。
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街の元の場所に戻ると、男と少年はちょうど商売の最中であった。
「娘が顔に火傷をしたんだ。これでは嫁入りに差し支える・・」
街の様子に不釣り合いなほどの良い身なり男と娘が男の座る前の敷物に座りこんでいる。
『・・・随分ひどいな。火ばさみでも押し当てられたか?』
「・・商売敵の奴にやられたんだ」
頬に大きな水ぶくれを作った少女の傍らで、父親らしい者が必死に頼み込んでいる。
『・・・・普通に治療すれば間違いなく跡が残るな。・・・50万ゴルデだ』
「なっ・・・・・」
『娘の顔の値段を値切る気か?』
少年の口から出される低い声に、父親はぐっと押し黙ったあと、おとなしく金を支払った。
『・・では、見せてごらん。少々気味が悪いだろうが、君に悪い影響は与えない。』
男は、少女の顔に手を伸ばす。
少女は思わず、身を堅くし眼を閉じた。
のばされた左の手は、一瞬ぎょっとするほどに赤黒く見える。
その様子に、ややスフィルカールが身を引いた。
「なんだ、あの手は」
「気持ちが悪いですね」
見定めるつもりなのか。声を出すことなく、リュスラーンが凝視しているのが背中越しにわかった。
そろり、と術師の左の手が動いて少女の滑らかな頬をなでていく。
頬にあったはずの赤黒い水ぶくれがするりと落としたように消えた。
「・・・!?」
「お・・・治った・・・?」
すこし離れた位置でそれを見ていたカール達はぎょっと目を丸くする。
少女はほうっと息をつくと自らの頬に手をあて、目を丸くする。
「・・・治った。」
「そうか・・・。治ったか!?」
父親も顔を覗き込んで顔を明るくした。
なにか知った風な少年の表情が笑みを作る。
『まぁ、恨まれる商売はやめておくことだな』
「・・・・ありがとう」
一瞬苦々しい表情を見せた父親は、少女の肩を抱き抱えると、何度か男に礼を述べつつ、その場を後にしようとした。
「おいっ。そこの者」
スフィルカールは思わず、商人風の男を呼びとめ、少女の顔を覗き込む。
リュスラーンも興味深そうにしげしげと少女を見つめた。
「・・・本当に治ってる・・・」
「これは、これは・・・」
『おい、何をしている。金は持ってきたのか?』
その声で、三人は我に返ると、父娘に無礼をわび、声の主のところに近づいた。
先ほどより一人増えていることに、少年の口からは呆れたような声が漏れる。
『・・・興業ではないぞ。観客を増やしてどうする。』
「金は持ってきた。・・・本当に、なんとかできるのだろうな?」
スフィルカールがやや威圧するように見下ろすと、男は口の端をにいと引いた。
相変わらず、気持ちの悪い下卑た笑みだ。
『見てやるが?と言っただけだ。それに、それがどうにでもならんとて、わたしにはあまり関係がないからな。困っているのはお前達だけだ。お前の周囲は、お前がこれで死のうが頭を乗っ取られて誰かを傷つけようが、自らの生活に差障りさえなければ特に何というわけではない。お前の代わりならいくらでもいる。』
その言葉に、スフィルカールは口をへの字に曲げた。
拳をぐっと握り締め、フードに隠れた男の顔を凝視する。
男は、笑みを見せた。声が出ているなら、きっとくつくつと喉を鳴らただろう。当然、喉の音は聞こえない。
『出し惜しみする気ならとっとと帰ると良い。・・・・見下ろして威圧すれば人が言うことを聞くとその年頃で思うてしまっては、この先思いやられるぞ? 物を頼むなら、まず正面からきちんと頼むことだ。』
「・・なんと無礼な」
フェルナンドの不満げな声に続いたリュスラーンの声が、急に真剣味を帯びた。
「カール、彼の言う通りにしなさい」
「・・・わかった」
スフィルカールはぐっと拳を一度握り締めると力を抜いた。
無言で、男の敷物の前にちょこんと座る。
『なかなか素直じゃないか。』
男は、先ほどとは少々違う笑みを見せた。
あれ・・・?
スフィルカールは何度か目を瞬かせる。
おかしい、先ほどとえらく雰囲気が違う。
柔らかい口元が此方のささくれた気持ちをふと落ち着かせる。
男の顔を初めて真正面から見て、スルフィカールはさらに目を見開いた。
「・・・・・。」
『ふふ、この顔が恐ろしいか。』
顔の左半分に浅黒い色の文様がびっしりと這うように描かれている。
何かの呪いなのか、魔術の影響なのか。
堅く閉じられた目の向こうをじっと見つめ、スフィルカールは軽く頭を垂れた。
「・・・よろしく頼む。」
『うむ。では、すこし触れるからな。』
そろり、と男の手が伸びて、自分の頬に触れた。赤黒い手が近づいたことで、一瞬身を固くする。
"・・・おや?"
頭の中に声が響く。男の顔がきゅっとゆがんだような気がしたが、すぐにもとの無表情に戻った。
よく見ると、遠目には赤黒く見えた左側の手も、顔と同じような文様が刻まれている。
思ったより華奢な手だなとスフィルカールは思った。
"この文様は、どうしたのだ。どうして目も声も失ったのだ?"
そう問うと、頭の中でおちついた声が響いた。
"ウルカとの契約の証しだ。わたしの命を助ける代償として目と声と記憶を喰われてこのなりさ"
スフィルカールはちらりと黒い髪の少年を一瞥した。
「ウルカ? この子供のことか」
“子供が子供のことを「この子供」という物言いはよくないな。ウルカは、見た目は子供だが、実はそうではない。・・まぁ、助けてもらうついでに此方もいろいろ彼の力を喰ったらしいのでおあいこだ。”
「彼の口を借りずとも、こうやってそなたに触れれば、話は通じるのだな?」
“そうだ、これが一番楽だ。指で空に文字を書けばそれでも良い。・・彼の口を借りるのが一番疲れるが、一番他人にわかりやすいから、街ではそうしているだけだ。喉に触れて良いかい?”
"大丈夫だ"
喉元に触れられる。
気持ちの悪い感じはまったくしない。
さらに、スフィルカールはは男に質問を重ねてみる。
「お前は、もともとは何をしていたんだ? 魔術師か、神官か?」
"さあ? どちらかかもしれないし、どちらでもないかもしれん。なにせ、ウルカに記憶を喰われてしまったからな。幸い、呪文や技能技術、それまで持っていた知識等については奪われていなかったので、それで「まあ似たようなことをやっていたんだろう」と推測する程度だ"
鼻、口、額と細い手と指がゆったりとスフィルカールの顔をなでていく。
"・・・お前、随分厄介な存在に恨まれたな"
「それもわかるか。」
"力の根源を見ればな。お前たちのような者にとっては、身内とは一番厄介な代物だな"
「・・・どうだ、取り除けるか。」
"まっとうな魔術師には無理だが、わたしにはそう難しいものではない。しばし気分が悪くなるだろうが我慢しろ。・・・剣の刃を少しだけ出せ"
言われて、片手で剣の柄をすこし動かす。そのむき出しになった刃の部分に、男は自らの親指を押し付けた。
"・・・口の端に血を塗る。わたしの血の匂いは連中の好物だ。おびき寄せられて出てくるところを捕まえれば良い"
親指が、スフィルカールの下唇をそっとなでる。ぬめりとしたものが口に張り付いた。
男の口が、少しなにかを紡いだように動いた。
その瞬間。ぞぞっと何かが腑の内側を動いて行く感覚がわかる。
「・・・う・・・・。」
喉の奥から、おもわずうめき声が漏れる。
男の口元は、さらになにかを呼ぶように動いた。
"・・・・さあ、出て来い。此方の方が旨いぞ・・・"
自らの頤がするすると上をむく。
胸の奥から、ごぼり、と何かがうごめいて、喉をずるずると這う様に上ってくるのがわかる。
「・・・・うっ・・・・。」
何かを吐き出すような感覚の後、スフィルカールは天と地の感覚を失った。
"・・・・・・どうだ?"
「・・・・」
気がつけば、男に肩を抱えられ、頭を胸に預けている。
身を起こして、かるくかぶりを振った。
「カール様!?」
「カール、大丈夫か?」
リュスラーンとフェルナンドが肩をそっと抱え、スフィルカールを揺らす。
眼をなんどか瞬かせて、スフィルカールはつぶやいた。
「・・・治ってる。」
「本当か?」
「ほ・・本当に!?」
「多分・・・・。いままでこんなに胸も頭もすっきりしたことがない・・。」
胸のあたりを押さえてみる。
胸のつかえも、頭痛もない。
男を見れば、ふっと笑みを見せた。
ぞっと背筋の凍る文様で覆われていても、なぜか、此方がほっとする笑みだ。
気味の悪い笑みは、演技で、此方の方が素の笑みのようだとなぜか思う。
おもわず、ぐっと男の手を掴んだ。
「あれはどうしたんだ?」
"あれか、ウルカが喰った"
顔を、少年に向けると、金の瞳を満足げに輝かせ、舌舐めずりをしている。
「久々に、良い餌だった。」
「それが、お前の本来の声か?」
「そうだ。これが吾の声だ。・・いや、もっと男らしい姿に声のはずだが、こいつの命を助けてやった時に、うっかりいろいろ喰われたでな。このざまだ。・・しかし、お前随分な闇を飼っていたな。めったに味わえぬ味だった。」
少年らしい甲高い声が喜悦に満ちている。
スフィルカールは、また男の顔を見つめた。
「ウルカは闇を食うのか?」
"そうだ。お前、ちょいちょい此処に来ると良い。どうせ、そのうち新手に巣食われるだろうからな。良い金づるだ。ウルカの機嫌も良くなるし。"
闇に魅入られた魔術師・・!!
スフィルカールはぐっと男の手を握り締めた。
「そなた、わたしに仕えろ。」