2-11
その屋敷は、公都の中でも喧騒からはずれた静かな場所にあった。
人通りも多くない道で、ようやく二人に追いついたフィルバートは果物が入った麻袋をかがげてみせる。
「リンゴとイチジクはどちらが良いですか?」
「あ、俺イチジク・・・・ってそうじゃねえよ。何のつもりだよ」
うっかりつられて食べたい方を告げてしまい、顔を赤らめるナザールの抗議に、スフィルカールは何のつもりと言われてもだなとこともなげに返す。
「別にたいしたつもりはない。果物を食べながら、街を散策するだけだ。私はリンゴが良いな」
「はい、どうぞ。子供が三人、果物を食べながらおしゃべりするという大変微笑ましい様子ですね」
それぞれの手に果物を渡し、屋敷の出入り口の様子がある程度の距離からよく見えるよう通りの路地に入る。
「で、おまえ達は元々はあの屋敷に龍がいたと思っているわけなんだな」
事態がのみこめてきたナザールはイチジクの皮をむいて少しかじる。
そうなんですけどね、と言いながら麻袋の中をのぞき込んで、フィルバートは少し迷い始めた。
「リンゴにしようかと思ってたけど、私もイチジクにしようかなぁ。リンゴはウルカのお土産にもなるし」
「じゃあ、俺の分もウルカにあげなよ。俺はこれ一個でいいし」
「ではそうしましょう」
「・・・・フィル」
急に困ったようにフィルバートを呼ぶスフィルカールの顔が曇っていた。
「どうしたんだ? リンゴ握りしめて」
「カール?」
二人の視線に、少し顔を赤らめ、スフィルカールは白状する。
「どうやって食べるんだ?これ」
「は?」
「カール、リンゴ食べたことあるでしょう?」
「丸ごとはない」
「えっ?」
急な告白に、ナザールもフィルバートも目を丸くした。
「お前、こんなとこで急にお坊ちゃま丸出ししてんじゃねーよ」
「そうか、いつもはちゃんと切ってもらった物を召し上がっていますからね」
ニヤニヤし始めるナザールの隣で、少し考えた後に自らもリンゴを手に取ったフィルバートは、上着の裾でリンゴを軽く擦る。少し艶っぽくなったところでカプリと皮ごと囓った。
軽く咀嚼し、飲み込むと口の端をリンゴを持った手の甲で軽くぬぐう。
「はい、こうするんです」
「やってみなよ。旨いから」
二人に促され、言われた通りにリンゴをこすり、つやを出す。
両の手のひらにリンゴを包むように持ち、少し眺めると思い切って歯を立てた。
カプッと言う小気味の良い音に続いて、リンゴの一部が自然と割れて口の中に入る。
瑞々しい歯触りに、甘酸っぱい味が口に広がって果汁が口の端に少しこぼれた。
しゃくしゃくとかみ砕き、両の手のリンゴをじいと見つめ、最後に手の甲で口の端を拭った。
「美味い」
「だろ?」
「良い味してますね」
はじめてリンゴをかじる様子を、二人は微笑ましく見つめてくれた。
スフィルカールは、はじめて見るリンゴの歯形の後をしげしげと眺めて、さらに一口囓る。
かみ砕き、飲み込んで更に囓ろうと口を開けたところで、なんとも言えない表情の二人の視線に気がついた。
「・・何かおかしいか?」
食べ方が変なのだろうかと首をかしげると、笑いをこらえるあまり口の端がおかしな形になっているナザールがいやいやと否定する。
「別に、おかしくはないんだけどよ。その、なんつーか」
「可愛すぎるんですよ。両手で大事そうに抱えて、すごく美味しそうに食べてて」
やっぱりお坊ちゃんですねぇ、と笑いながら片手でリンゴをつかんで囓っているフィルバートが少し大人びて見えた。
「なっ・・・」
なんだか不安定に思えて、両手でつかんでいるだけなのに。
耳まで赤くなりながら、それでも落としたくはないので、やはりスフィルカールは両手で持ってリンゴを囓る。
「・・・で、俺がいないといけない理由っていうのは?」
イチジクを囓りながら屋敷の方を覗うナザールの隣で、咀嚼したリンゴを飲み込む時間分、フィルバートの返事が遅くなる。
「炎で包まれた、ということなので、何かしらの魔法の痕跡が残っているのではないかと思っているんです。ナージャの術ですからね。遠隔であってもナージャなら何か感じる可能性が高いと思って」
「通りから見える範囲で炎が上がったと言うことなら、きっとそう近づくのも難しくないだろうと思ってな」
綺麗に食べて芯ばかりとなったリンゴを名残惜しそうに眺めていると、フィルバートが手ぬぐいを差しだした。
「芯はそこらに棄てないでくださいね。はい、ここに置いて。ナージャも、皮をここにのせて下さい」
果物の食べかすを手ぬぐいで包んで麻袋に入れると、フィルバートは袋を自らの腰に下げる。
「さて、周辺を少し見てみましょうか。できれば中に入りたいんですけどね」
「まぁ、荒事は任せるが、あまり無理をするなよ」
「とりあえず、通りから見える範囲にしよう。そこで何か魔法っぽい痕跡見つけたら言うよ」
とりあえず、屋敷の周辺をぐるっと見てみることにして歩き始めた。
「現場がここだとして、やっぱり密輸組織なのかな」
「さぁ・・・、あまり良くない筋の魔術を扱う方かも知れませんし」
ひそひそと小さな声でやりとりしながら屋敷の周囲を歩いていくと、石造りの壁の一角が黒く煤焦げた場所を見つける。
「あー・・ここかぁ」
「内部から火が出たのでしょうね。窓枠から焦げている」
三人で見上げる。
「ナージャ、なにかわかりますか?」
「うーん・・・もっと近づかないとわからないや。中に入れれば良いんだろうけどさ」
「それは無理だな」
そう呟いたところで、頭上から威勢の良い声が降ってきた。
「おやぁ?あんた達見かけない顔だねぇ?迷子かい?」
心臓が飛び跳ねるような感覚に、スフィルカールは思わず胸を押さえる。
ナザールは声の方角に顔を向け、愛想の良い顔を見せた。
「あぁー、この辺慣れて無くって、ちょっと迷っちまったんだ-。市場に行きたいんだけどどうしたらいい?」
「坊ちゃんだけでうろうろするからそんなことになるんだよ。ちょっとまってな。案内してあげるから」
件の屋敷の向かいの建物の2階の窓から、簡素な身なりの女が軽く手を振り、すぐに姿を消した。
暫くして向かいの建物の玄関が開き、先ほどの声の主が現れる。
「申し訳ございません、奥様。お手数をおかけします」
「あらやだ。奥様だなんて」
騎士らしい所作でフィルバートが礼を述べると、すらりとした体躯の爽やかな笑みに明らかに女の落ち着きがなくなる。
フィルバートは、少し声を落として困り顔を見せた。
「主人が、市場に行ってみたいと言うので我々だけで来たのですが、迷ってしまって」
「あぁ、あの後ろの坊ちゃん? わがままにも困ったものだねぇ。市場ならほら、あっちの通りから、二つ目の所に赤いレンガの店があるから、そこを曲がってまっすぐ行けば良いんだよ」
「助かった。このあたりをぐるぐるするだけで目的地が見えなくて困ってたんだ。坊ちゃんが苛々するからおっかなくて」
「騎士さんも御小姓さんもお仕事ご苦労様だねぇ」
どうやら、わがままな良家の子息(=スフィルカール)に従う護衛(=フィルバート)と小姓(=ナザール)という設定が急ごしらえで構築されていったらしい。
「ところで、この家、なんかあったの? すごく焦げてるね」
ナザールが、向かいの壁を一瞥して尋ねると、女は苦い顔であれねぇと同じく壁を見上げた。
「あぁ、ボヤだよう。なんか急に火の手が上がってね。なんか魔法の誤爆っぽいって噂だよ?まったく迷惑な話だよ、どこの誰だか知らないけど、魔法使いって自分で言うならちゃんとしてくれなきゃ。こっちにまで火の粉が飛んだら大事だよ?」
「・・・・そ、そうだね」
大変身に染みて、顔を引きつらせながらナザールはうなずいた。
再度丁寧に礼を述べたフィルバートと、やや落ち込んだ様子のナザールは、女が扉の向こうに消えた後にスフィルカールの側に戻ってくる。
「何やら、私をダシにしていたようだが?」
「うるせぇよ。俺もしっかり凹んでんだよ」
「すみません、成り行きで。もうしばらくリンゴの囓り方もわからない坊ちゃんでいてください」
あまり長居は無用です、とその場から離れながら、フィルバートはまた黒くすすけた壁を見上げた。
「後は、大人に任せましょう」