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ラウストリーチ公国は、リーデルハインド帝国の東部に位置する。
大陸の西の大国といわれるリーデルハインド帝国は四つの公国と皇帝直轄領で構成され、一人の皇帝と四人の公王が治めている。
数年前までは東の大国と呼ばれた東方王国が大きな勢力を保持していたが、現在では帝国領土に編入し、東方公国と称されている。
東方公国のさらに東には草原にすむ少数部族による小国が緩やかな連携によってまとめられ、極東と呼ばれる地域に位置するフェルヴァンス王国はそもそも対外的な接触を拒みつつけている閉鎖的な国家だ。
今では、リーデルハインド帝国が大陸一の権勢を誇っている。
皇帝の権力は絶大だ。彼に逆らう者など、誰もいない。
帝国全土に占める割合でも、皇帝直轄領が最大で、各公国は辺境を守る小さな領土に過ぎない。
特にラウストリーチ公国は一昔前までは辺境の地扱いだったのだ。
東方公国が編入される頃から帝都までの交通が整備され、ラウストリーチの公都はその最大中継地点として物資の流通などが盛んになったため、以前にくらべれば驚くほどのにぎわいを見せている。
それは、ラウストリーチ公王と呼ばれる自分ではなく、摂政のリュスラーンの成果だ。
これだけではない。ラウストリーチ公国で行われた事業のすべてが、リュスラーンの発案と指導によるものだ。自分で興した物など、何もない。
一度、「わたしが死んだら、あとはお前にくれてやる。もともと、自分が手掛けた事業などこの国には一つとしてないのだから、その方が良い」と言ったら、リュスラーンにえらく叱られた。
「随分とにぎやかですねぇ」
「そうだな」
脳天気な声をあげて周囲を見回る騎士の隣で、ずくずくと疼く頭を押さえながらスフィルカールは手指の隙間から、街の様子を眺める。
市場で物を売りさばくもの。
新鮮な野菜に果物。
花売りの少女。
何もかもが、自分の肌とはそぐわないものに見える。
「・・カール様、御気分がすぐれませんか?」
しきりに頭を押さえるそぶりに、気遣わしげなフェルナンドの声が耳に届いた。
かぶりを振って否定する。
「いや、気にするな。どうせ何処にいてもかわりはせん」
「ところで、件の魔術師は何処で商売をしているんでしょうかね。きっと人だかりができていて、みんなが歓声を上げているような気がしますよ。」
完全に見世物だと思っているフェルナンドの表情に、スフィルカールは少しだけ笑みを漏らした。
これは、きっと彼なりに気を紛らせようとしているのだろう。
私のような子供に付き合わされなければ、今頃帝都で上手くやっていた筈だろうに。
リュスラーンといい、フェルナンドと言い、皆貧乏くじを引かされてしまった哀れな者達だ。
私がうっかり生まれてしまったばかりに。
そうやってまたぐるぐると運る思考に頭痛を促進させていると。
「!」
ぞわりと足元から寒気が脳までを走り抜けた。
『おい、そこな子供。』
突然、低い声が響く。
「・・・?」
「カール様?」
声の聞こえた方に足を止め視線を向けると、軽く手を振っている者が居た。
地べたに粗末な敷物を敷き、片膝を立てて肘を乗せた者。
みすぼらしい衣類に、頭からすっぽりと布をかぶってうつむきがちに地面を見つめているようだ。
視線が合ったわけではないのに、こちらを見ているとはっきりわかる気配がする。
スフィルカールはいぶかしがりながらも路地の脇に近づいた。
「お前、わたしに声をかけたか?」
『そうだ、お前に用があって声をかけた』
声は、その男からは発せられない。
傍らにすくりと立つ、黒い髪に金の瞳の少年の口が開いた。
少年のものとは思えない声に、スフィルカールもフェルナンドも眉を寄せた。
「気味が悪い男だな。」
「・・無視しましょう。」
眉をひそめ、小声でかわした会話に、少年の口はやや笑みを見せる。
『そう警戒するな。何せ、声と目を失っていてな。こうやって、この少年の目で世間を見、この者の口を借りて言葉を発している。・・・お前、随分と厄介なものにまとわりつかれているな。普通の魔術師では手に負えないだろう?』
その言葉に、スフィルカールは目を剥いた。
「わかるのか?」
『ああ、わかるぞ。そこかしこに闇の匂いを振りまいているからな。どうだ、金次第で見てやるが?』
「やめましょう、胡散臭い。」
騎士の制止する声に、男の無精ひげで覆われた口元がにいっと笑みを見せる。
『まあ、それでも構わん。だが、それは日に日にお前の内側を食い散らすぞ。・・・その様子だと、すでに、一二度頭を乗っ取られた事があるだろう?あと、数年でお前のすべてを喰いつくすだろうな。』
口元だけなのに、やけに豊かな表情だとスフィルカールは思った。
豊かに、そして凶悪さを感じる笑みだ。
絶対、関わってはならぬ者の、下卑た笑みだと頭では言う。
これは、罠か。
ただの詐欺か。
あてずっぽうで言っているのか。
・・・もしかして、本当か?
ぞくりと、何かが胃の中を動く気がする。
・・・ならば、ここで逃してしまうわけにいかない。
そう思った瞬間、するりと声が出た。
「・・・・・いくらだ?」
「おやめください。」
止めようとするフェルナンドを制し、数歩近づいてスフィルカールは男を見下ろす。
男は、すっと指を三本しめし、隣の少年が低く笑う。
『三百万ゴルデ』
「なっ!!」
城の文官の一年分の給与をゆうに超える額を要求した男に、騎士は喰ってかからんばかりに詰め寄る。
「そんなバカな値段があるか!」
『私は構わんぞ。お前次第だ。前金で即金払いだ。一ゴルデとてまけてやるつもりはないな。』
こういうのを足元を見られているというのだろうな。
男の余裕に満ちた口元を見つめ、スフィルカールはうなづいた。
「わかった。一度戻って金子をとってくる。そこで待っていろ。」
「では、この者を呼べばよろしいではありませんか。おい、お前、我らについてこい。」
フェルナンドの言葉に、男は首を振った
『お前たちを待っている間に、別の客が来るかもしれんからな。』
「無礼だぞ」
『どちらが無礼だ。お前達がわたしに頼んでいるのだろう?』
喰ってかかろうとしたフェルナンドをスフィルカールは制止する。
「フェルナンド、一度帰ろう。お前、そこにいるんだな?」
『ああ。お前が来るまで、ちゃんと待っているさ。良い稼ぎになるからな。』
少年の口と、男の口は同時に笑みを見せた。