1-14
「放して、放してったら!」
「親から逃げ出すたぁ、どういう料簡だ!」
「あんたなんか、親だと思ったことないわよ!」
狭い路地で、少女とその父親らしい男が揉み合っている。
やや少女の力に勝った男がずるずると引きずっていた。
「ナナ!」
その姿を認め、ナザールが声をあげると、スフィルカールの後ろを走っていた少年が急に速度を上げた。
「カール様。わたしが彼らを足止めします」
「フィル?」
そのまま、ぐっと走る速度を上げたフィルバートが路地脇に無造作に置かれた樽や椅子を蹴るように駆けあがり、空中で弧を描くように跳躍する。
親子の頭上を飛び越えて、その前方に着地したた少年は鞘に入ったままの剣の先を男に向けた。
「その方を放してください」
男は、急に歩みをとめる。
「げっ。何あいつ?」
「本物の騎士」
ナザールの質問に短く答え、スフィルカールも追いつく。
「おい、お前、ナナの父親だそうだな」
「お前、ナナに手出すなって、師匠に言われただろっ」
「ふん、最近じゃ、あの男はいないって話じゃないか。そんな約束、反故だ反故」
一瞬、男が後方のスフィルカールに気をとられた。
その時、騎士の体が動く。
「ナナ嬢。動かないで!」
ナナの脇のわずかな隙間に、ごつっと鞘ごと剣を突きさし。
痛みでナナを羽交い締めにしていた男の腕がすこし緩んだところでフィルバートの脚が男の脇腹を蹴る。
その瞬間、剣の鞘がきらりと銀の光を放った。
「っでっ!!」
「動くな。喉を突くぞ」
起き上がろうとした男の喉元に、ずいっと切っ先を突き付ける。
少女は転がるような足取りでナザールのもとに駆け寄る。
「ナナ、怪我はないか?」
「大丈夫か?」
ナザールとスフィルカールに支えられ、ナナはようやく安堵の表情を見せた。
「ナージャ、カール様、ごめんね」
その声に、一瞬、気を抜く。
その時、喉にひやりとしたものが当てられた。
太い腕がぐいっと自分の首を絞める。
「そこまでだ。ガキども」
スフィルカールの顎にぺたりと当てられたものはすぐに刃物とわかった。
顎をそらし、視線を動かせば、ナザールとナナの背後にも同様に大きな男が剣を頬に当てている。
「まぁ、ガキの割にはよくやるが。そこの坊主、剣を捨てな」
野太い声が、フィルバートを脅す。
「・・・・」
「言うことを聞け。こいつらの命が惜しかったらな」
「・・・」
フィルバートは、カランと剣を捨て、両手を挙げた。
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「・・・・」
「・・・・」
「・・・最悪」
暗い部屋の中で、両手を後ろ手に縛られたナザールがため息と共に口を開いた。
「だから、俺は戻ろうって言ったのに」
「今此処で言っても始まらんだろう?」
「そうですよ。この状況をなんとかしないと」
同様に縛られたスフィルカールとフィルバートが並んで座っている。
なんとか、縄をほどこうとフィルバートは後ろ手に縛られた両手をぐりぐりと動かした。
「フィル。まだ隠し武器でもあるのか?」
「・・お前、一体いくつ仕込んでるんだよ?」
「もう有りませんよ」
両手を挙げたフィルバートからは幾つか武器が見つかった。
腰に短剣。
えりの隙間に鍵開け用の金具
上着の内ポケット、長靴の隙間、袖の内側に小さな投擲用のナイフ。
すべて奪われた。
「虎の子の袖に隠してたやつまで見つかるんですもん。・・・なんか動かしてたらほどけないかなって。・・痛っ」
「おいおい、無理するなよ」
「フィル、やめておけ。手を痛めるぞ」
きつく縛られ、ほどけないことがわかり、ようやくフィルバートは諦めた。
真っ暗に近いほどの天井を見上げる。
「ナナさん、大丈夫でしょうか・・。別室に連れて行かれたようですが」
「あの親父、相当やばい連中とつるんでる。多分、あいつら人売りだよ」
「ナナが商品のつもりなら、とりあえずは大丈夫だろう。・・・問題は、我々だが・・・多分同じ処遇だろうな」
スフィルカールの至極冷静な言葉に、両脇の二人が口を開けた。
「えっ!?」
「なんで俺達まで!?」
口を開けたまま、変な汗を額に浮かべている二人に対し、スフィルカールはなぜか感慨深そうに唸る。
「この状況は奴らにとって、さしずめ、飛んで火に入る秋の虫、というところだな」
「夏の虫ですそれ」
「夏の虫だろそれ」
冷静なフィルバートとナザールの同時の突っ込みに、ぐ、っと言葉に詰まったあとスフィルカールは肩を竦めた。
「フィルを殴ろうとした奴がいたが。別の男が止めたろう?」
「ああ、居たな」
「小声だが、キズものにするなと言ったのが聞こえた。・・・少なくとも、フィルは売れると踏んだのだろう。見てくれが良いからな」
「・・・・・!」
「そういや、そうだな。それに、なんかちょっとシヴァ師匠に似てるっておもったんだよね」
ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしているフィルバートの顔を見ながら、ナザールがぼそりとつぶやくと、スフィルカールはおやと目を見開いた。
「お前、シヴァと言ったな。アレだけ嫌がっておいて」
「・・・・シヴァって名前自体は嫌じゃねぇよ、師匠に合ってるもん。嫌がったのは、俺の知らねぇ内に勝手に“シヴァ・リヒテルヴァルト侯爵”なんて呼ばれ始めてるのが頭に来ただけだ」
つんとそっぽを向いたナザールにずずっと肩を近づけ、スフィルカールはそっと訪ねた。
「・・・わたしが、施設を整備したのも。シヴァの口からはっきり聞かない内に事が進められたのが気に食わなかったのか?」
「・・・・・・・う、うん」
その言葉を聞き、スフィルカールははぁ、と大きく息をついて、自らの肘でナザールの肘を突いた。
「それなら、魔力で癇癪起こす前に、シヴァに言え。・・この間は死ぬかと思った」
「その件についてはたしかにやり過ぎたと思ってるよ、ごめん」
素直に、ナザールが謝る。
実に決まりの悪そうな顔で、ぼそぼそと白状しだした。
「・・・・・ウルカからじゃなくて師匠が全部説明してくれてたら、とっとと見習いでもなんでもやってるよ。・・・・いきなり、どこか行って、二三日後にはなんか大工のおっさん達がぞろぞろ来て、病院建て始めて、なんだなんだと思ってるうちに、ウルカが一方的に俺に城に行って魔術師の修行をしろって言い出したんだよ・・・・、なんだよそれ!、って思うだろ?」
「・・多分、詳しい事を言わなくてもわかってくれると思っていたんですねぇ、シヴァ様は」
ようやく事情が飲み込めたらしいフィルバートのしみじみとした様子に、スフィルカールは肩の力を落とした。
「どっちもどっちじゃないか。心配して損した」
そのセリフに、ナザールは素っ頓狂な声をあげる。
「え? お前が心配!? なんで?」
「なんでって・・」
「お前人の事心配するようには全然見えねぇんだもん。偉そうだし」
すこし、嫌そうな顔をみせて、スフィルカールはナザールから視線をそらした。
「・・・シヴァが、本当に落ち込んでいたんだ。お前なら、呼べばすぐに来てくれると無条件で思っていたんだろう。・・・それを見ていたら、なんだかわたしが悪い事をしたような気がしたんだ。領地でも爵位でも、良い設備でも、シヴァにとってはどうでもよかったんだろう。要らないものばかり押し付けて、大事なものを奪いとった気がして、・・・わたしは、自分が嫌な奴だと思ったんだよ」
その言葉に、ナザールはちらりとスフィルカールを一瞥した後、息をついた。
「・・・で、そいつの話を聞いて、俺に聞かせようと思って病院までわざわざ来たのか」
「いきなり、ついてこいとおっしゃるから何事かと思いましたよ」
「・・・・フィルの弟妹の事を聞いたら、身内の魔法使いには、それなりの環境を整えてやりたいと、思うものなのだと気がついたからな」
「お前の弟妹が魔法使いってことはさ、お前も魔法使いなのか?」
ナザールはスフィルカールを挟んで反対側にすわるフィルバートに身を乗り出すように問う。
フィルバートは少し苦笑しながら首を振った。
「わたしは父の能力を受け継いでませんから。・・・勿論国許にも良い魔術師はいらっしゃるし、うちの双子にとって良い師匠になっていただけるのであればそれに越したことはないんですが。その、できれば、いろんな国の魔術師の事を調べて、一番勉強の環境が整っているところに行かせてやりたいと思っていまして。まだ彼らは幼いですし、時間はありますけど、後々のことを見据えて調べたいということで、伯父上に相談して今回同行させていただいたのです」
実に楽しそうなフィルバートは軽く肩をゆらした。
「シヴァ様は良いな。わたしに顔が似ているようだから、きっと双子もすぐに馴染んでくれるだろうし。お優しいし、皆様のお話を伺う様子では他の魔術師の方のところにもいろいろと便宜を図って修行させてくれると思えましたし。いくら良い魔術師でも、広くいろんな方の師事を受けることを拒む方はちょっと困りますからね。今のところの最有力候補ですねぇ」
そのセリフに、ナザールはちょっと待ったと声を上げる。
「俺が先! 一番弟子は俺だぞ!」
「とはいえ、アレだけの癇癪を起して二度と来るなと言っているからなぁ・・・。今更シヴァが許すかな?」
「そんなに? ・・・それはシヴァ様も心変わりなさるかもしれませんねぇ・・」
スフィルカールのしたり顔に、フィルバートが悪乗りをしたらしい。
むっと顔をしかめたナザールにスフィルカールは目配せをした。
「まぁ、わたしも一緒に頼み込んでやる。まずは癇癪を起した詫びを入れてからだ」
「・・・ま、まぁ、・・・それは、謝るけど・・」
「なにはともあれ、この身売り寸前の状況をなんとかしなければいけませんが」
フィルバートの言葉に、三人は現実に引き戻され、ため息をついた。
そのとき、部屋の扉がガタガタと音を立てたのである。