10-06
「え? 俺も近衛として外交の場に入るの?まだ新人のぺーぺーなんだけど」
ジュチは、予想外とでも言いたそうな顔である。
「あぁ、シヴァとフィルと話し合ってそう決めた。悪いが少々嫌な使い方をさせて貰う」
外交会談の場所について数日。
公館に用意されたラウストリーチ王国用の部屋でお茶を飲みながら、スフィルカールは背後に立つジュチの顔を見ることなく、そう告げた。
特に顔を覗き込むような事もせず、あくまで近衛としての立ち位置を維持しながら、しかし随分と砕けた口調が耳に届く。
普段から一事が万事この調子なので、少し離れた位置にいる女官や政務官の眉根が明らかに寄っているが、ジュチ本人はあまり意に介していない様なのが、肝が太いのか無頓着なのか。
あとで部屋に他の者がいるときは考えろ位は言っても良いだろうなぁとスフィルカールは思いながら、ジュチの疑問に答える方に意識を向けた。
「嫌な使い方?」
「"草原の民"を近衛として近くに置いている、と見せる」
「見せるもなにも、そのままじゃ無いか」
それの何処が嫌な使い方なのかい?
ジュチは、草原の民として今まで誰からも誇りを傷つけられずにいたのかも知れない。
東方公国とも帝国とも良い意味で距離があった事がわかる。
しかし、外交の場に連れて行けば、自分が置かれた意味を知り、草原の民の矜持を毀損されたと捉えるかも知れない。
「あちらからすれば、意味が変わるからな」
「どういう意味で?」
「"珍しい物"を側に置いている、と思う者がいる、と」
「・・・草原の民って、珍しいんだ」
「北の連中にとっては、砂漠の民やフェルヴァンス人と共に、金と引き換えても近くに"所蔵"して置きたい"物"らしい」
そこで、少し背後の空気が変わる。
冷えた気配に、だがスフィルカールは淡々と前だけを向いて、今回近衛として連れてきた理由を告げる。
「この国はお前達とは違うと連中に言うために、ジュチ、お前やフィルバートを使う」
「わかった。先に話をしてくれてありがとう」
そこで、身支度をする時間だと女官が告げた。
もうすぐ、フィルバートやシヴァが迎えに来る。
立ち上がり鏡の前に移動して、女官が渡す上着を羽織りながら、鏡越しにジュチに尋ねる。
「ところで、ジュチは、当面はここにいるつもりか?」
「そのつもりだけど」
「城に戻ったら、フィルはお前の配属先を再考するらしいが、希望はあるのか?」
「このまま、近衛が良いな」
「そうか」
羽織った上着のボタンを止める手を止めて、一度振り向く。
「今は、フィルが問題無いと言うから近衛においている。私自身のお前への評価はまだ無いから、もし近衛に配属になったとしても、それはフィルバート・ライルドハイトの評価であり、私が彼を無二の者としているからの措置だと思え」
また背を向けて、羽織った上着の首元までをきっちりと詰め。
剣を佩く。
身支度を整えたところで、振り返り。
今度は少し笑みを見せた。
「あいつの評価を基に私に用いられても面白くなかろう」
一瞬だけ。
今までの人好きのする余裕の笑顔が消え。
初めてジュチの表情が歪んだ。
その直後にフィルバートの声が響く。
「準備は出来ましたか? 時間です」
その声にわかったと返事をして、ジュチを一瞥する。
「草原で揶揄ってくれたお返しだ。・・・・行くぞ」
部屋を出て出迎えた二人を目にして、スフィルカールは数度目を瞬かせた。
シヴァはいつも通りとして。
フィルバートは少し様子が違っている。
「髪型が違う」
「私が先なんですけどね。シヴァ様が譲ってくださらないので区別を付けようと思って」
「だって楽なんだよ」
「なので若輩者が折れました」
黒い髪をきっちりと一本にまとめたシヴァの姿に、リオン様にそっくりだ、と後ろでジュチが呟いている。
対して、片方の肩に寄せてゆるりとまとめたフィルバートの髪の一部が顔に影を作っているのが、いつもより余計に綺麗に見えた。
いつもの革紐で無く、碧玉のついた飾り紐で髪をまとめているのも良く映えている
「まぁ、お前達は紛らわしいからな」
それに、とスフィルカールは視線を下げる。
「なんだ、その腰の物は」
「あぁ、これ? フェルヴァンスのとある武官殿がお下がりでくださったんです」
フィルバートは、緩やかに湾曲する不思議な武器を佩刀していた。柄や鞘などの拵が瀟洒で精緻な細工が施されている。
いつにも増して、異境の者としての特徴を強調して見せていた。
「お前にしては派手にしたな」
「まぁ、今日は少し見てくれ重視と言うことで」
フィルバートの、口の端を少し引いた落ち着いた笑みを見て、スフィルカールは目を細める。
「では、よろしく頼む」
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移動した先には、公館の大広間の扉が重々しく目の前にそびえ立っている。
すでに、旧帝国の者も、北海領域の者も揃っている。
扉を見上げて、スフィルカールは大きく息をついた。
「緊張してます?」
「しない方がおかしいだろう?」
すかさず茶化されて、肩越しに顎をそらして相手を軽く睨めつける。
ガラス玉のようで、相変わらず不可思議に輝いていろんな色を見せる瞳だ。
「フィルバート・ライルドハイト」
視線をまっすぐ前に戻して、その名を呼ぶ。
背中越しから、いつもの落ち着いた声が用向きを尋ねる。
「何でしょうか?」
「私が、其方を何れ国を離れる異国人だと言ったことを覚えているか?」
「何年前の話ですか。・・・覚えてはいますけど?」
気にしすぎですよ、と言外に呆れたような声が返ってきた。
チクチクと時々思い出したように刺激する記憶を上書きするように、確認をする。
「其方は、もう何処にも行かない異国人だよな」
少し、直接的過ぎたかなと思う程度に背後の声が止まった。
息を吸う音が聞こえて、静かに回答が返ってくる。
「私は何処に行っても異国人ですが」
続いた言葉は、今まで聞いたことがないセリフだった。
「何処に行っても、"根がある者"です。勿論、この国にも」
少し驚いて、肩越しにもう一度相手を見る。
黒い瞳がにこりと細くなった。
「だから、ここでちゃんと根を張って、貴方を見張っていますよ?」
「うむ」
そこで視線を戻した所に、今度は向こうから問われる。
「そういえば、最初にお話ししたときに、"お前の弟妹に良い師匠を見つけてやるって言ったら、お前はわたしのところに仕えるのか"って仰いましたが覚えていますか?」
「そんなこと言ったか?」
首をひねっていると、酷いなお忘れですかと苦い笑い声で少しとがめられた。
「結果的に、見つけてくださいましたね。最高の家庭教師」
今頃、ウルカと一緒にあの美しい都市の町並みを闊歩し、魔術書と格闘しているに違いない魔術師の愛嬌のある顔を思い出す。
きっと、これからも折々に意見を言い合い、時にはぶつかるんだろうとは思う。
しかし、それで良いのだろう。
彼がぶつかってすらくれなくなったら、それが合図だ。
スフィルカールはツンとそっぽを向いた。
「私が見つけたわけでは無いがな」
「こら、なにをぶつくさやってるんだい?」
中に入ろうとしないので、後ろからせっつくような声が聞こえてきた。
同時に振り向くと、黒い髪に碧緑色の瞳の魔術師が腕を組んで少し目が細くなっている。
「そろそろ、入らないと」
「そうでしたね」
「わかっておる」
そのまま、前を向こうとした所で、いつもの説教が始まりそうである。
「カール、いつも言うけど」
「無茶はせぬが、多少の無理については耳目を閉じよ」
つーんと視線をそらして明後日の方向を向いて嘯く。
「フィル、君はそれこそ子供の頃からだけど」
「考える前に体が動きますが、それで失敗するような修行をしておりません」
対峙するように腕を組んで、相手を見下ろす。
スフィルカールと、フィルバートは、いつもなら別の魔術師にかけられるであろうセリフを同時に言いかけた。
「シヴァは」
「シヴァ様は・・」
「私が魔法の準備を怠ると、思っているのかい?」
以前は、固く閉じられた瞳の向こうからでもわかる強い意志。
今は、碧碧の瞳がぎろりとこちらを見ている。
いつの間にか、自分達より視線も低く、華奢な肩に見えるようになっていても。
やはり、彼に叱られるのは一番怖いのである。
二人は素直にうなだれた。
「思っておらぬ」
「いいえ、とんでもございません」
シヴァは、そこでようやく腕をほどき、いつもの穏やかな笑みに戻る。
「よろしい。・・・・・ここから先は、君たちが先頭だ」