10-05
旧帝国軍と北海領域軍双方との外交鼎談にあたり、その場として設定されたのは、ラウストリーチ国とそれぞれの国境からそう遠くない都市であった。
ラウストリーチ王国側の都市になるので、双方から何か変更要請があるかと思いきや、それはなかった。
国境際に拠点を置けば、日帰りが可能な範囲であると共に、双方ラウストリーチ王国と友好関係を結びたいという欲求が見え隠れしているのである程度はこちらの有利な場所を選んでも良しとしているようであった。
城内は、出発に向けて大わらわである。
龍の手も借りたいほど忙しい。
そんな、大変、大変忙しいときに、予想外の人物が城に現れた。
「ジュチ、何をしに来たんだ」
「ご挨拶にしては酷いよ」
どういうわけか、草原の可汗の配下であるジュチが一人の部下も連れず単騎で現れたのは、準備で大わらわのそんな時である。
正直、迷惑極まりない。
しかし、放っておくわけにもいかないので、とりあえず一番暇(!)なスフィルカールの執務室に通し、フェルナンドの執務室に打ち合わせに行っていたフィルバートに遣いを出したら、すっ飛んで来た。
とりあえず、ソファを勧めて何が目的なのかを聞き出すことにする。
めったに使わないらしく、ソファにすわるのがあまり慣れていない様子のジュチは、すこし緊張しながらも、だがニコニコと相変わらず一見人好きのする笑顔で来城の目的を語る。
「暫くラウストリーチ王国で働きたいなぁと言ったら、可汗は快く送り出してくれたよ」
「なんだ、その可汗の下心しか見えぬ態度は」
「もはや下心って言えませんよ・・・・」
わかりやすく可汗の目的がダダ漏れ過ぎていて。
フィルバートもスフィルカールも唖然とするよりやることが見当たらない。
「で、今度はここの内部事情でも観察して、針小棒大な話を可汗に吹くつもりか」
「疑り深いな。純粋な志望動機に水を差さないでくれよ。そんなつもりはないよ」
お茶を出してみたが、あまり飲み慣れていないらしく、唇を湿らせた程度である。
馬の乳で茶葉を煮出したものが飲みやすいのだろうが、そんな手間を懸けてやるほど客扱いしたい相手ではない。
ジュチは、明け透けとしか言い様がない事を言い始める。
「確かに、爺様からこっちに来る許可を貰う為に間諜らしいことをするって匂わせたけどさ。この国でどう行動するかは俺の勝手。第一、ここは遠くて爺様の思惑通りになんて動けるわけ無いじゃないか。ハルフェンバック領経由じゃないと書簡も届けられないし、そうなるとバトゥやアーニャ様の目をすり抜ける事は無理無理」
「爺様を出し抜くなんて、ジュチにしては大胆なことしたね」
「俺、草原とは関係ない国で働くって一度やってみたかったんだ。ラウストリーチ国はすごく興味深いからね。バトゥもいるし、殿下とは同じ天幕で寝泊まりした仲だろう? 追い出されることはないと思ってさ。まずはともあれで来ちゃった」
「図々しいなあ、もう」
「要は草原に飽きたのでこっちに来たと言うことか」
どうやら、可汗の観察に少し飽きてきたらしい。
取り急ぎ、害はなさそうだと判断し、スフィルカールは隣のフィルバートの反応を伺う。
「・・・どうする?フィル」
「はぁ・・。まぁ、とりあえずは私が身元保証人ということで、一般兵の寄宿舎に入れるように手配します。ジュチ、暫くいるつもりなら、その間私にこき使われても良いんだな?」
「勿論!やったー!」
大変良いお返事である。
子供のように喜ぶなと言いたい。
フィルバートは呆れつつも、じゃあと言いながら立ち上がり、担当部局に手続きを頼むと言ってジュチを連れて執務室を出て行った。
で、次の日にはフィルバートは草原の青年の配属先を決めてきた。
王の近衛でよろしく、とあっさりととんでもないところに配置してくれたものである。
しかも、今回の外交交渉に派遣する近衛兵に加えるつもりらしい。
「フェルナンドがよく許したな」
「当然、渋られましたけど。仮入隊の試験代わりに騎士数名と手合わせさせて、ミラー卿を納得させました。まあ、変に遠ざけるよりも、様子がわかるほうが良いとも思いまして」
フェルナンドが文句が言えない程度の腕だと言うことらしい。
騎士もまだ十分な数がいない状況で、ある程度の腕のある兵士であれば近衛に入れて置きたいという気持ちはわかるし、むしろ近いところにおいてジュチの様子を覗う、というのも悪くないとスフィルカールも納得した。
「ただし、今回は私が身元を保証した上での仮入隊であって、この外交交渉が終わるまでの限定的な措置とします。戻って来たらその後はまた考えます」
「まぁ、フィルがそう言うなら、それで良い」
それから、とフィルバートは一つ忠告めいたことを言った。
「ジュチは、ああ見えてとても真面目な人なので、適当な事は言わないでくださいね」
「う・・・、うむ」
あまり意味がわからなかった。
真面目の定義はともかくとして、適当が何なのかもわからない。
と言うことで、ジュチはスフィルカールの身辺警護につく近衛兵となった。
スフィルカールの執務室の外であったり、時には内部であったり。
今までの草原の民らしい衣類から、支給されたラウストリーチ王国の制服に身を包んでいるが、まだ着慣れていないようで、すこし窮屈そうに時々襟元をいじりながら近衛宜しく立っている。
一般兵士の宿舎に入っての生活も程なくなじんだようで、如才ない上人好きする笑顔で、同僚の数人とはすぐに仲良くなったようである。
一見して異境の地の者とわかる風貌ではあるのだが、当国の兵士や騎士もあまり疑問無く受け入れている辺り随分と懐の広いものが多い、とスフィルカールが感心していると、女官や政務官達からなにを今更と笑われた。
「フィルバート殿・・ライルドハイト卿は昔から存じ上げていましたが、さらにはリヒテルヴァルト卿もフェルヴァンス人の血筋だというお話ではないですか。それにナザール殿は元孤児で、さらには龍のウルカ殿やナファ殿、最近は城の使用人にリヒテルヴァルト卿の孤児院の出身者もいますし、これだけ、あちらこちらからいろんな背景を持つ人や、人外まで出入りする城で、今更草原の民の一人や二人、驚く者は居ませんよ」
「・・・そういうものか」
「街も東から商売目的でやってくる者の出入りも多うございます。昨今では砂漠の民の姿も目にしますね。珍しい物資も見かけるようになりました。人の出入りがしやすい街は、それだけ活気があると言うことでございますよ。ひいては国の活気に繋がります」
殺風景な街
そびえ立つ石造りの荘厳な建物
暗くて、重ったるい空気
色を無くしていく、リュスラーンの表情
急に思い出される帝都の風景
そして、冷たくこちらを見下ろした皇帝の顔と
自分を見ているようで、一切見ていない母の顔
「そうか・・・・」
スフィルカールは急激に理解する。
「これが、ラウストリーチ王国か」
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明日が帝国軍と北海領域軍との会談に向けて出発という日の夜の事である。
シヴァとスフィルカール、そしてフィルバートが一つの部屋で打ち合わせに臨んでいた。
段取りなどを確認したところで、スフィルカールはそれまでずっと胸に隠してきたことを表に出すことにする。
「北海領域と帝国の双方からは、それぞれ重臣クラスの貴族や北海王国の王家傍流、そして皇帝の遠縁の者が出てくると聞いている。対して当国は外交交渉にあたるのが我々三人で、あとはジュチを含めて近衛兵が数名と騎士が数名付いてくるだけだ。公館の護衛もギリギリといった所だな。」
「まぁ、国境の辺りに人員割いていますし。まだ王国としてはちょっと心許ないですね」
「多分、向こうはそれぞれ護衛や侍従は連れてくるだろう」
「そうだろうね」
「・・・・多分、当国に向けてと言うよりは、お互い・・・北海領域と旧帝国、それぞれの国勢を誇示して牽制するような者を連れてくると思う」
机の上で握った拳が、すこし力が入りすぎるのを他人事のように眺めた。
「草原の者、砂漠の者、北方の船人・・・フェルヴァンス人。帝国貴族の間で、多種多様な地域の者を、奴隷として購入して養育・教育して護衛や侍従とする風潮がある。おそらく、自らの権力誇示のために連れてくるはずだ。家人としてではなく、如何に珍奇であるかを見せびらかす為の"所蔵物"として」
二人の反応を見ている余裕は無い。
皇帝に謁見した時の違和感に、リュスラーンから話を聞いたときの嫌悪感がよみがえって、服地の下の肌を粟立たせる。
「・・・リュスラーンは、15歳のフィルバートに皇帝が興味を持たぬはずは無いと確信して、公都に留めた。将来的に帝都に行く際にフィルバートを連れて行くなら、"フィルをどう見せるか"戦略を立てよと言っていた。それが、"私がフィルバートを護る手段"だと」
震える拳を一度押さえ込んで、スフィルカールは顔をあげ、二人の顔を見つめる。
「向こうは、シヴァもフィルバートも知らぬ。・・・あちらが"物"として扱っているなら、こちらは"財"として扱っていると見せつける。フェルヴァンス人だから侯爵に置いたのでは無く、知力、魔力に優れ、何れ劣らぬ剣技を持ちうる、紛うことなき当国の"財"であるから、フェルヴァンス人だろうが草原の民だろうが、私は私自身が選んで"臣"となしている、そうはっきり見せつけたい。・・・だから、ジュチも当日は私の一番近くに置く」
これが、この国のあり方だったのだ。
スフィルカールは、確信と共に言葉にする。
「もう、とっくの昔にこの国はそうなっていたんだ。皆、ジュチのことをたいした疑問も無く受け入れた。フェルヴァンス人や孤児、龍すら出入りする此の城で、今更草原の民のひとり兵士にいたくらいで誰も驚かない、と女官や政務官が言うのだ。そして、そんな城の主である私を、この城の者達は受け入れてくれている、と気がついた」
これが、ラウストリーチ王国だったんだ。
その国の王が、私だったのだ。
スフィルカールは、そっと目の前の異国人に尋ねる。
「・・・それで、良いだろうか?」
今まで、一番やりたくなかった。
フェルヴァンス人だから。
異国人だから。
だが違う。
フェルヴァンス人を
異国人を
私が自ら選んで"臣"とした
まごうかた無き、当国の"財"
これが、"わたしの国"だと見せつける。
『さて、バトゥ、如何思う?』
『叔父上、多少の趣向は凝らしても良さそうですね』
目の前で、二人が知らぬ言葉を交わし始めた。
『この王は、我らを随分と諸外国に見せびらかしたいようだ』
『見世物扱いとは随分だなあ』
『フェルヴァンスからすればもう用無しらしいけど』
『この王は、東の王からうち捨てられた我らを財だと宣いますか、酔狂ですね』
なにを話しているのやら、さっぱりわからないが、二人が少し見合った後に、
シヴァは、そこでようやくわかる言葉に戻してくれた。
「・・・お前達と我らの国は根本的に違うのだ、と言うんだね」
「うむ。決して相容れることは無い。だからお前達が何を言おうと、どちらの国の王位継承権も要らないし、どちらの国も支持するつもりは無い。だから、いくら争っても無駄だ。互いに矛を収めよと」
「会談では、私と叔父上で多少遊びますけど。貴方は聞き取れている振りをしていてくださいね」
あとで教えてあげますよ、とフィルバートはやけに爽やかに微笑んでいる。
「叔父上、本当に週に一回の講義を逃がしてくれないので、そろそろ道連れが欲しいんですよ」