9-13
東方王国には初めて入る。
王都もにぎやかで、流石東の大国との評判を覆さない品格と規模があった。
ハルフェンバックの屋敷も子爵家とはいえ、ハーリヴェル公爵家の分家筋を覗わせる規模と外観を持っている。
「・・・なんというか、こんなトコの息子をよくもまぁ、養子にぶっこ抜いたな」
しかも、かなり洒落にならない手を使ってそれをやらかしたのが自分の実父、という事を思い返すと、もう申し訳ないやら恥ずかしいやらである。フィルバートの母親に顔向け出来そうも無い。
フィルバートの母は、相変わらず美しくて、スフィルカールの無事を本当に喜んでくれた様子がむしろ少し心に痛かった。
実母に会うかと聞かれたときに、真っ先に思い出したのがこの女性であったことを思い出し、どこか穴があったら隠れたい気分である。
そんな内心を知るよしも無いフィルバートやシヴァは、用意された部屋の中で、まずは今後をどうするかと目の前で地図を広げて話を始めている。
「いつまでもこの屋敷にいるわけにはいかないとも思えるけど、どこか屋敷を借りて在外公館にする?」
「護衛や女官も帰国させていますからやめましょう。今はカールが居るんです。外務卿にしてみれば、この屋敷にいてくれた方が目も届くし護衛も付けやすいですよ。表だってラウストリーチ家の外交窓口がある風情も見せない方がいいと私は思います」
「東方王国の外務部の委託業務もこなしたから、多少は補填があると思うけど、領地に滞在中の事も含めて帰ってからハルフェンバック家にはそれなりの賠還手続きはとろうね」
「あー・・・やっぱりそうです?」
「それはそうだろう。君はもうここの家の当主では無いのだから」
「はい、承知しました。家令にちゃんと経費計上をお願いしておきます」
いつの間にやら、いっぱしの侯爵然として意見を述べているフィルバートの様に、スフィルカールはまたもや水をあけられたような気になってしまうも、そもそも国を離れリュスラーンもいない状態でここまでシヴァと二人で"ウラウストリーチ家の侯爵"をやっていたことを思うと、おそらく想像以上に心労をかけていたのではと申し訳ない気持ちになる。
しかも、あれほど仕事をすっぽかす方に力を入れていたシヴァが"筆頭侯爵"らしく、まぁまぁ仕事をしているのも新鮮というか不思議というか、明日は槍でも降りそうな気がする。
「女王には報告したよね?」
「はい、外務卿を通じて公文を出しました。何れ呼び出しがあるでしょうね。まずはカールに意向を聞きたいと言うことでしたから」
「私の意向?」
今までほとんど口も挟まずに聞いていたスフィルカールは何やら意志決定を求められていることに気がつき、きょとんと目を見開く。
いやいや、貴方今まで何聞いていたんですか。
少しだけフィルバートに呆れられる。
「女王は、貴方が今後どうしたいかを聞きたいみたいですよ?」
「うーん・・・。いまはラウストリーチも東方王国の一部なんだろう? 皆は今まで通りに生活出来ているなら、もう私はどこかの一領主としての扱いでも全く問題無い気がするんだが」
別に"王"でなくても良いなぁ、と言い始めたのでフィルバートもシヴァも少々眉根が寄っている。
「君ね、自分が"帝国唯一の王子"で"北海王国唯一の王孫"って自覚ある? ま、帝国の方は種違いだけど」
「その言い方やめろ」
身も蓋もない言い方に思わず顔をしかめる。
「第一、それだと私たち陪臣扱いから外れますよ?あなたが公爵扱いになって、私たちもそれぞれ直参の侯爵になると考えるなら。私、あの女王の臣下になるのは絶対嫌なんですけど」
「はっきり言うな」
さらに顔をしかめたところで、フィルバートに続いてシヴァまで剣呑な話を始めた為に今度は慌てる事になる。
「そうなると、二人揃って侯爵位を返上だねぇ。家付の魔術師にしてもらおうかな」
「わたしも家付の騎士にしてもらおうっと。領地も返還して」
「お・・・・それは・・・」
リヒテルヴァルトやライルドハイトの領地は誰が管理するんだ、第一いろいろな事業を止めてきてるだろうがと言おうとするが、二人同じ顔で目を細められ、その迫力から口を閉ざさざるを得ない。
「大体、貴方はこの国でご自分がどういう扱い方されているかご存じないでしょう?」
「そうそう、"ルドルフ王の再来"とか?」
「"反帝国派"に亀裂を生じさせた智慧者とか?」
「"結構可愛い"で、中々熱烈なファンがいるらしいよ?」
「・・・・・なんだそれは・・・・・」
いつの間にか、尾ひれ背ひれがついている風聞に、段々青くなるやら赤くなるやらである。
誰だ、そんな噂作ったのは、と言うと、大半は貴方の所業が元になっているんですからねとフィルバートにぴしゃりとやられた。
「まぁ、結構可愛い所があるよとは知り合いにぽろっと言っちゃいましたけど」
「・・お前か・・・」
「でも、貴方が一領主で引っ込まれると、帝国も北海領域も、東方王国も、ちょっと始末が付かないってことはわかりました?」
つづいて、同じ顔でにこやかな表情が二つ。
えらく綺麗な顔であるのは間違い無い。
「"公王"でも"国王"でもどちらでも良いからね?」
「とりあえず"ラウストリーチの王"には戻りましょうね?」
同じ顔で同じ表情でおまけにやたらと綺麗な顔で、こうも迫力に満ちた恫喝をされると始末に負えない。
「・・・わかった、王には戻る・・・・」
観念して、それだけは約束した。
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東方王国のイライーダ女王から呼び出しがあったのは、それから数日後の事であった。
まだ、落ち着いていないとは思うが、と少し申し訳なさそうな外務卿が、ただ一刻も早くスフィルカールの無事を確認し、その後は東方王国が彼を保護したことを国内外に周知する必要があるので、何とか時間を作って欲しいとのことである。
そこで、侯爵共が少々押し付け合いをした。
どちらかがスフィルカールに従い王城に行く事になるが、どちらもあまり行きたく無さそうである。
「私、イライーダ様とあまり顔を合わせたくないのですが」
というフィルバートに対して、シヴァはしれっとした顔で私も嫌だという。
「私は、あの城の正面から入ったことがないし、第一この顔で行ったら混乱を招くだろう?」
行くなら、金髪にしてから行く、と言い出したシヴァにフィルバートが負けた。
「叔父上、金髪だけはやめてください、本当に大混乱ですから・・・」
シヴァが東方王国に滞在中にはフィルバートの父親の振りをして王城内を移動していた事があると聞き、ルドルフ王やフィルバートの父の豪胆さに呆れつつも、二人のしょうもないとしか言いようのない押し付け合いを見ながら、スフィルカールは一度シヴァに金髪姿を見せて貰いたいなぁと趣旨から外れたことを考えた。
と言うことで、王城にはフィルこと、フィルバート・ライルドハイト侯爵がついて行くことになる。
「あら、貴方が付いてきたの?」
当の女王はがっかりした様子を隠そうともしなかった。
良い感じで傲慢さは健在の様子である。
「わたくし、リヒテルヴァルト卿には一度もお目にかかったことが無いわ。レオニードに似ていると外交官から聞いていてちょっと見てみたかったのだけど」
その一言を喰らって、心底連れてこなくて良かったとスフィルカールもフィルバートも思ったのは言うまでも無い。
シヴァことジヴァルはたまにフィルバートの父親の代わりに侍官として王に随行しており、幼少時のイライーダに数回まみえたことがあるらしい。なんだそれ、どこまで大胆なんだルドルフ王とフィルの父。
「まぁ、いいわ。本筋はスフィルカール殿下との面談ですもの。ライルドハイト卿、貴方も出て行ってくださる?殿下とだけお話ししたいのだけど」
その言葉に、フィルバートは眉一つ動かさなかった。
「左様ですか」
「ええ、わたくしも人払いをしますから、二人きりですわ。この部屋のどこかにおかしな所があるかどうかの確認はご随意になさって結構よ? 貴方がいるのに、殿下に何かしでかそうっていう気はないわ。第一、わたくしにとっても重要な方であることには変わりがないもの」
スフィルカールの後方に立つフィルバートはじりとも動かずに、暫く沈黙した後。
「では、御用が済み次第お声かけください」
さらりと礼をすると、退室した。
「・・・ふう、彼にはやはり緊張するわ」
二人きりになった瞬間、イライーダは息をつく。
「フィルバートが?」
「流石に、自分の所業を顧みると忸怩たるものがあってよ?」
広い部屋に、ぽつんとテーブルと椅子。
お互いが幾ばくかの緊張をかかえながら席に着いた。
「まずは、ご無事で何よりでございましたわ」
イライーダが口火を切り、スフィルカールも素直に礼を述べる。
「ラウストリーチを安堵してくださり、感謝する。陛下のご尽力により、領地の民も家臣も皆無事で今までと変わりない生活を過ごすことが出来ていると聞いている」
「・・・ちょっとした借りを返しただけですわ。それに、これからどうなさりたいの?」
本題にうつり、あぁ、とスフィルカールは嘯いた。
「まぁ、東方王国の一領主に収まることができればいいかなぁと」
「それ、貴方の家臣は納得しないでしょう? 特に、ライルドハイト卿」
あっさりと嘘がばれ、視線が遠くなる。
「・・・やはり、わかるか」
「彼が貴方以外の者に膝をつくとは思えないけど?」
「実は、国王でも公王でも好きにしろと言われた。私は、ラウストリーチの領域が平和に保たれていれば、私個人の立ち位置は公王でも独立国の王でも全く意に介さない」
「でも、あまり中途半端な立ち位置ですと、北海領域や旧帝国の重鎮が黙っていなくてよ?」
その指摘には、嘆息するより他がない。
「そもそも、帝国に私は思い入れが無い。お前が皇位継承者だと言われても、生まれて以降ほとんど関わりが無い皇帝の治める土地にどう感情移入せよと。第一あの領域は自分の能力の範囲を超えている。器量を上回る国土を治めるは自滅の道しか見えぬと思う」
本音を言えば、帝国領域にある一つの街だけは少し思い入れがあるが、そこまで護るには自分の力量を超えているとしか思えなかった。
「北海領域についてはもっとよそ事だ。第一母はもう居ない。皇帝と殺し合いをするなら勝手にすれば良いと思うが、母まで巻き込むことは無かったはずだ。何も知らず、ただ人形を抱きしめていただけなのに」
すこし感情が出て吐き捨てるように呟くと、イライーダ女王はつまり、と整理する。
「ラウストリーチの平和と安定を図れて、帝国や北海領域が手出し出来ない程度の立ち位置が欲しいのね?」
「そんな都合の良いことがあろうか」
「あら、無い事はなくってよ?」
そこで、女王はにこりと微笑んだ。
笑うと根の素直さが口元に出てくるように感じる。
「わたくしの王配になれば宜しいのよ」
「・・・・はい?」
「東方王国女王の配偶者で、東方とラウストリーチの連合国の王となれば良いのでは?」
・・・・つまり。
「私と結婚すると?」
「ええ、そうね」
「其方にメリットがあるのか?」
「あら、だって、貴方この国で結構人気よ?悔しいけど、簒奪者よりイメージ良いみたいですわよ。"ラウストリーチのスフィルカール殿下を王配にした女王"となれば、わたくしの株も上がるでしょうし」
それに、ちょっと周辺が面倒くさくなっているのよ、と彼女は肩をすくめた。
「今まで厄介王女だなんだって言ってたくせにね。掌を返したように縁談を持ち込んでくる者が出てきてて、正直ちょっと鬱陶しいのよ。適当なところで手を打っておきたいわ」
「だからと言って、私でなくても良いだろうに。他に選びようがあるのでは?」
そう言うと、あら、と女王は目を瞬かせた。
「貴方、そんなに嫌じゃ無いわよ。何も知らなかったら、きっとまぁまぁときめいたわよ。仰ることは辛辣に過ぎるけど」
貴方こそ、こんな厄介な女お嫌でしょ?
その言葉に、そうでもない、と返す。
「其方は、最初から美しいとは思ったぞ。予備知識が邪魔して、面倒そうと言うのが先に立ったが。第一、女官の茶が不味い」
「その女官はもう配置換えして、宮からは居なくてよ?」
「そうか、それなら其方の宮でお茶を飲んでも良いな」
あら、そうなのというセリフに。
悪くはない話だと返す。
「では、交渉成立ということで宜しくて?」
「うむ。あとは任せる。とりあえず、国に戻って宜しいか? 帝国やら北海領域やらと決着を付ける」
その言葉に、女王は少し不満げに鼻を鳴らした。
「其の前に、少しばかりは婚約者らしいことはしてくださらないの?」
白魚の様な手が目の前にかざされて、スフィルカールはその手を取った。
「女王陛下、これからよしなに」
細く華奢な指の根元にそっと接吻をする。
女王は、華やか且つ美しく破顔した。
「これからよしなに、王配殿下」