9-12
ナザール・ロズベルグは一応19歳らしい。
自分の年齢も誕生日すらわからない、元孤児である。
祖国のラウストリーチ国と南で接している中立港湾都市において魔術の研究のために留学して、そろそろ一年になるかならないか、という時である。
友人の弟妹の家庭教師として住み込みで働きつつ、魔術の研究に邁進している。
・・・という筈であるが。
「ばあちゃん、この間の薬効いた?」
「うん、効いたよー。ナージャ先生の魔法も良く効いて腰も痛くないし。最近は外を出歩く元気も出たよ」
「あ、そりゃ良かった。無理なく散歩出来るならそれは続けて。えっと、今日は薬だけでいいみたいだな。院長先生にも言っておくからさ、ちゃんと薬は飲み忘れるなよ? 治療師の魔法をあてにしないで、しっかり養生して無理しないこと」
「はぁーい」
「んじゃ、お大事に」
少し前に腰を悪くしたという近所の老女の診察を終え、診療記録に書込を入れながら、あれ?俺こんなつもりだったっけ?とたまに我に返る時がある。
数ヶ月前に、中立都市の治療師認定試験を受けたら、合格してしまった。
治療師の認定は各国各地域がそれぞれ行うもので、ラウストリーチ国でも治療師認定の機関はある。この中立都市では自治組織が治療師認定試験を主管している。ちなみに、以前は街の奥で闇の治療師をしていたシヴァは結局無資格のままであるので、本来は家庭内(つまりは城の内部の限られた人間対象)での治療は出来ても診療報酬を受け取って医療魔術を使用してはならない。
各国独自の認定資格とはいえ、他国・他領域で取得した治療師資格は別の国でもそれなりに有効ではある。
その中でも、この中立都市の認定資格は他の地域よりも信用が高く、この都市で資格を得ていれば西側の諸国のほとんどの地域では治療師として行動して問題ないそうだ。その為、わざわざこの都市の認定試験を受けに来る者も多い。
で、合格してしまったので、治療師として普通に仕事が出来るようになった。
所長とエドモンドには「君は一体何処に向かっているの?」と少々呆れられたが、まぁ治療師なら良い稼ぎになるからと応援してくれているようである。
試験を受けるきっかけになったクラウスとその妹であるルドヴィカは、「ナージャすごい!」と素直に褒めてくれて素直に尊敬してくれた。きらきらした表情を見せられると、ナザールも頑張らざるを得ない。
クラウスは、学校で担任の女性魔術師に自慢したらしい。その後、自宅に魔術師からナザール宛てにお祝いとして激励の手紙と共に銀製のペン先と軸のセットが綺麗な箱に入れられて届いた。
あれ?これって大丈夫?問題にならない?とすこし気になったナザールであるが、生徒の弟妹や親相手にそれは流石に良くは無いだろうが、使用人の家庭教師ならあまり問題にならないんじゃないかとダヴィドに言われ、ありがたく受け取ることにした。御礼の書状もハルフェンバック家とは関係なく、個人名で届けて貰った。
週に三回治療師補助の仕事を手伝っている治療院の院長は、ほらあ、やれば出来るじゃないか、と相変わらずの眼光で無駄な迫力を振りまきながら一応喜んで・・いや、きっとほくそ笑んだのほうが正しい。
週三回の午前中ではなく、週二回で良いから、一日診療を担当せよと押しつけられた。
その空いた時間で、本人は往診を始めたらしい。どうやら、以前より通院が難しい妊産婦のケアに力を入れたかったらしく、仕事仲間の産婆と一緒に出かけていくようになった。
人使いは荒いし、ぶっきらぼうなのだが、仕事熱心で腕も良いので、それはそれで治療師としては勿論魔術師としても勉強になると最近は思っている。
召喚術も少しづつ上達してきて、一人でナファと連絡が取れるようになった。彼女も、彼女の近くの龍も特にトラブルは無いらしく、北方から避難してきた龍達も落ち着いているそうである。
肝心のスフィルカールに関する情報が得られない、という以外はわりと順調な留学生活を送っていた。
「ナージャ先生、次の方入れて良いです?」
「あ、はい。どうぞ」
受付の女性に声をかけられて、すこし別のことに意識を持って行かれていた事に気がつき、慌てて身を引き締める。
初診問診票を眺めていると、目の前の椅子に、初老の男性が座った。
ほっそりとして、やつれた印象がある。
肌つやも悪く、栄養があまり行き届いていないのか、頬辺りは少し粉を吹いているように見えた。
「この治療院は初めてですよね?」
「はい、お世話になります」
男性の問診票には、数ヶ月前から腕の痣が中々消えず、体調も悪いとある。
「痣を見せて貰って良いですか?」
「はい」
男性に気になるところをみせてもらう。すこし触って、いくつか質問を重ねる。
「どこかぶつけでもしました?」
「ぶつけたわけでもないのに突然痣になってしまったんです」
「他に医者とか治療師に見せましたか?」
「はい、あちこちの治療師に診てもらったんですが、なかなか治らなくて」
まぁ、そりゃそうだろうねぇ、とナザールはすこし困った笑顔を見せた。
「ここ、人間用の治療院だからね」
「へ?」
男性が、ぎょっと首を縮ませる。
その反応をみて、やっぱりなぁ、とナザールは呆れながら肩を落とした。
「龍の治療は、魔術師の領分。人間治療の魔法と薬が効くわけ無いだろ。そういうのやめてよ。タダでさえ治療師そんな暇じゃねぇんだよ」
「ええーーーー! なんでわかるのさぁ!」
「俺の本職魔術師で研究対象は龍なの! 治療師は副業!」
正体を見破られた龍の男性は、急に腰が引けたように小さくなり、上目でナザールを伺う。
「え? 先生魔術師なの?」
「だから、今日の所は黙って治療するけど。そもそもあんまり体調良くないんだろ?どうしたの?」
「・・・密猟者にチクったりしない?」
「俺が密猟者に密告するなら、あんたが龍だって事をわかってても言わずにこそっとその手の輩に情報渡すけどね。俺は、そういう奴らを根絶やしにする為の研究をしている、って言ったら安心する? それに俺は治療師でもあるから、龍だろうが人間だろうが、助けられるものなら、自分の出来る範囲でどうにかしたいと思うし、どうにか出来るように修行しているところなんだよ。・・・信用ならないなら、居所言わずに帰って良いよ?」
すこし根が深そうだと判断したナザールは、腕を組み尋ねる。
男性は、少し躊躇したような顔で診療室をあれこれ見まわしていたが、やがて意を決したように話を始めた。
「俺、北方の地域・・えっと帝国?って辺りの龍なんだけどさ、前から人間の街を出入りしていたんだけど、ちょうど街にいるときに、戦争に巻き込まれちまって。それで、こっちの街に逃げ出してきたんだよ。街から逃げる途中でウッカリ龍にもどっちまってさ、運悪く密猟者に見つかって、追いかけられて怪我しちまった」
「それで、その痣・・。魔法でやられたんだろ?」
「あぁ、なんだかそれ以降ずっと体調が悪くて」
そこで、ナザールは男性の手を取り、すこし魔力を流し込んでみる。
龍の体内から感じられる反応から、少し前にエドモンドから聞いた情報を思い出す。
「あー・・・これかぁ、最近密猟者の間で流行ってんだよなぁ、徐々に龍の体調悪くして自然死を装う魔法」
「・・・俺、死んでしまうの?」
「ほっといたらね。龍でその見た目はちょっと老け込みすぎだから変だと思ったんだよ。老成していても若々しいのが基本だから」
一応、この魔法自体は解除しておくけど、とナザールは声を落とし真剣に龍を諭す。
「これ以上進行しないようにはできる。だけど、ちゃんとした治癒の魔方陣の中で治療した方が良いよ。人間用の治療院だと規模が小さいから、俺の所属の研究所に来てくれた方が良いんだけど」
「先生ってどこの研究所にいるんだ?」
「あ、この通りの先にある・・」
「ああ・・・・あの、ヲタク集団・・・」
途端にニヤニヤされて、いささかむっとしてしまうのは、あの連中とすでに同類であることを自認しているせいでもある。
「俺、あんたの治療降りるぞ?」
「ええー、そんなぁ」
「まぁ、それは冗談だけど。人間に混じって生活している龍もいて、戦争に影響されていると聞いて俺もちょっと他人事じゃないや。・・・密猟者に酷い目に遭った龍の知り合いもいるし、第一、友達が戦で行方不明なんだよ」
「そうなのか・・・」
「だから、あんたを元の元気な龍に戻してやりたいんだけど。俺の共同研究者と所長に話をしても良い?」
第三者に話をすることに、少しだけ龍が躊躇していると、俺一人では無理だと思うと正直にナザールは告げた。
「まだ、俺には難しいところもあるから共同研究者と一緒に治療にあたりたい。所長と、エドモンドって魔術師なら大丈夫、あんたを傷つける人間じゃ無いよ。エドは俺の共同研究者で、ちょっとばかり相手との距離を見誤る所があるけど、龍や魔法生物の生態にも詳しいし、俺より治療が上手いと思うんだ。決心着いたら、研究所に来て、俺かエドモンドの名前出して」
「ああ、わかった。先生を信用することにする」
「密猟者とは関係が無い、っていくら言ってもいきなりそんなこと言われたら怖いだろうからさ、無理に連れて行くことはしねぇよ。だけど、研究所に来た時に俺がいない場合もあるから、その時はエドか所長に相談してくれよ?」
簡単に紹介状を認めて持たせてやると、龍は少し考えてみると言って診療室を後にした。
その日の仕事を終えて、一度研究所によると、所長とエドモンドに龍の治療について話をした。所長については、特に否ということはなく了解とだけの簡単な返事であり、エドモンドについては何やら目をきらきらさせて案の定距離を詰められた。「君って本当に龍と縁があるな! 僕に任せて! 全力で治療にあたろう!」とコイツで本当に大丈夫なんだろうかといささか不安になる程度にはやる気に満ちあふれている。
日も落ち、いつもよりは随分遅くなった頃に帰ると、玄関前の庭でダヴィドだけではなく、クラウスとルドヴィカが不安そうな面持ちで待っており、双子からは少々お小言をいただいた。どうやら課題はちゃんと済ませた上で、夕食を一緒にと思って待っていたらしい。遅くなるなら連絡くらいどうにか出来るでしょ、魔術師なんだからと言われてしまってはどうにも反論出来ずにすみませんと平身低頭謝るしかなかった。
夕食後、自室に戻ると手紙が一通来ていた。
東方王国の王都のハルフェンバック家からの手紙であったので、双子の母親からの書簡だろうかと何気なくペーパーナイフを通す。
王都に来られたし
署名も無い、一行のみの素っ気ない連絡。
その筆跡を、彼が見誤ることは無かった。
--------------------------------------------------------
一週間ほど後に、龍の男性は思いきって研究所の門を叩く。
程なくして現れた者に、ナザール・ロズベルグかエドモンド・ヴィターレを呼んで欲しいと告げ、ナザールからの紹介状を渡した。
やがて、息せき切って現れた青年にずずずいっと距離を詰められて思わずたじろいだことは言うまでもない。
「ああ、君か! ようこそ! 来てくれてすごく嬉しいよ!」
相手のあまりの歓迎ぶりに、龍はいささか不安になったらしい。
恐る恐る、紹介者の事を尋ねる。
「ナージャ先生はいないんですかい?」
「あぁ、彼ね、ちょっと緊急事態ってことで不在なんだ。あ、でもしっかり君のことは引き継いでいるから、心配しないで!」
その鼻息がすでに心配なんだが、と龍は内心思いつつ何があったのだろうかと口にすると、エドモンドはよくは知らないけど、と言い置いて知っていることを教えてくれた。
「なんだか、友人から連絡があったからってすっ飛んで帰っちゃったよ」
その言葉に、龍は少し嬉しくなる。
先生、行方不明の友人が無事だったんだな