9-09
「ジュチの部下が屋敷に連絡に来てくれたのです。それで今日一日馬をとばして迎えに来たってわけです」
「俺の部下が一昨日の夕方出発したから、バトゥなら今日の夕方には着くと思ってたよ」
「・・私を見つけた直後には使いを出していたということか」
夕食後に、天幕の中には、スフィルカールにフィルバート、そしてジュチの三人が集まっていた。
今日は三人で相部屋のような形になる。
どうりで、広々とした天幕だったわけだ。
一年ぶりに見るフィルバートは相変わらず奇麗な顔で、自分の無事を喜んでいるのが一目瞭然であった。
そんな満面の笑顔のフィルバートに対し、一年ぶりの再会でホッとしている以上に、なんだか釈然としない気持ちで素直に喜べないスフィルカールは、草原にいる狐の目のような顔をしばらく続けてしまう。
「"殿下を見つけた。爺様が迎えに来いって。暫く殿下で遊んでいるからゆるりと来るが良いぞって言っている"って伝言されると、爺様のことだから、あれやこれや嫌みを言ってカールの神経逆なでするんじゃないかなと思って」
「あぁ、ご想像の通りだ。ついでにジュチに、真偽のほどもわからぬどうでも良いお前の家の内部事情まで聞かされたぞ」
「真偽のほどもわからぬってひどいなぁ、ちょっと大げさにアーニャ様と爺様の微妙な親子の綱引きを話しただけじゃないか」
「相変わらず、ジュチはうちの内部事情を探るの好きだね」
「そのくらいで、親父を殺された溜飲が下がるってもんだから安いでしょ?」
食えない、というのがぴったりの笑顔でジュチは顎をそらす。
ここ二日の緊張感を返せとばかりに、スフィルカールは二人を軽くにらんだ。
「可汗の城に連行されるのではないかと少しひやひやしたのに」
「誰が見つけても、私と一緒に城に来いという話でしたよ。"さんざんこき使われて一見もかなわぬとは納得がいかぬ。一回儂に顔を見せてから国に戻れ"っていうことで。まぁ、それくらいは礼儀だと思っていましたし。それに、爺様はシヴァ様にもいいように使われてしまいましたからね。その辺の鬱憤を王であるカールにぶつけてやらないと気が済まないって言ってたんで、なんかねちっこいこと言いそうだなぁって」
「儂の納得がいかなければ、お前を返しもらう、と言っていたぞ」
「それで、私が素直に帰るタマだと思ってないから、貴方に言うんですよ。ただの八つ当たりです」
なんだ、そのめんどくさい爺は
顔に思いきり出してやると、フィルバートはすみませんとなぜか謝った。
「まぁ、貴方に会ってみたかったのは確からしいので、ご容赦ください」
「気に入ったみたいだよ。最初に安易についてこないのも良いし、バトゥを返してもらうといって、できるもんならやってみろって啖呵切ったのも小生意気で良いってさ。絶対にバトゥが自分の下から出ていくことはないと信じ切っているところが腹立たしいけど、それ程の王にまみえたと言うならバトゥも本望だろう、仕方がないリオンの息子だからなって言ってたよ」
なんだ、そのわかりにくい爺は
さらに疲れる話だと、スフィルカールはとうとう二人に背を向けて天幕のなかでごろりと背を向けて横になった。
「もう疲れた。なにやら本当に疲れた。一年ぶりにフィルに会えたのがどうでもいいくらい疲れた。」
「すみません」
「バトゥが謝る話じゃ無いだろう?」
「そうだな、ジュチ。責任の一端は自分にあると自覚せよ」
そこで、ふわぁと、あくびが出た。
背中の向こう側では、フィルバートとジュチが一応旧交を暖めているようである。
若干物騒な様子はあるが。
「えー? いろいろ有益な情報だっただろう?」
「ジュチ、あんまりうちの内部事情で遊ばないでくれないか?」
「引っかき回しているつもりはないよ?ただ観察しているだけで」
「爺様を観察する分には一向に構わないけど。言っておくが、クラウスとルイには、くれぐれも妙なことを吹き込むなよ?」
「それは・・・善処する・・」
「善処? へぇ? 善処?」
「・・・・・わかったよ、双子にちょっかいを出すことはしないって誓うよ」
「その誓は草原の者としてってことでいいんだよね?」
「そうそう、だからさ、その顔やめて。綺麗な分本当に怖いんだけど」
フィルバートの声聞いていると、ようやく肩の力が抜けていくのを覚える。
意識がゆるりと落ちていくのが自分で止められそうもなかった。
「おや、カール、本当に疲れました? 寝そうですね」
「ん・・・」
適当に返事をすると、後ろですこしごそっとした音が聞こえ、ふわりと上掛けを掛けられた。
上掛けの端を整えながらのフィルバートの安堵したような声をぼんやりとした意識の中で聞く。
「本当に無事でよかったです」
「うん・・・・心配・・・かけた・・」
「みんな、貴方のお帰りを待っていますよ」
「・・・うん・・・」
"みんな"の中にはリュスラーンが入っているのだろうか。
ふと、そんなことを思いつきながら、しかし一度覚えた睡魔には抗いようもなくて。
スフィルカールはすとんと意識を手放した。
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翌朝、例の従兄弟とやらが憤慨したような表情でスフィルカールとフィルバートのもとに絡みにきたが、フィルバートに「わたしは別の家の者になるから、クラウスとルドヴィカのことをよろしくな。草原では君が兄貴分だろ?」とやられたためにそれ以上悪態をつくことができず、「バトゥの頼みなら仕方がない、草原では僕があの双子の兄上だ」と言いながらどこかに行ってしまった。相変わらず、憎たらしくて可愛らしいものである。
ジュチは少し不機嫌だった。
なにやら、夕べあっという間に寝入ったので揶揄うことが出来なかったのが面白くないらしいが、言いがかりも良いところである。
それから二日程度は可汗たちと行動を共にした。
孫が来たのがうれしいのか、あれやこれやの嫌みを全部フィルバートにぶつけているのが、だんだん面白くなってきたのが不思議である。他人事だからだろうか。
ジュチにもそう見えるようで、「ま、結局孫には勝てない爺様なんだよ」とあきれたような顔でスフィルカールに目配せをする。本当に面倒くさい爺である
領都の屋敷まで程ないという場所まで来たところで、可汗たちと別れることになった。
領都の屋敷までは馬に乗るほどの距離でもないので、フィルバートが乗ってきた馬の手綱を手に、二人は草原に立ち、一行を見送ることにした。
「儂の城まで案内したいところだがな、どうもそういうわけには行かぬようだな」
「これまでのご厚情に感謝いたします」
可汗はこれから自分の城に戻るという。
フィルバートが可汗に頭を下げたところで、スフィルカールもそれに倣う。
「可汗、これまで世話になった。道中お気をつけられよ」
「殿下もな。・・・・そなたの道もそうそう緩やかではなさそうだが、よくよく励まれよ」
そこで、可汗は馬に乗り、馬上からフィルバートを見下ろす。
「ではなライルドハイト卿、今後はそうそう会うこともあるまい。達者でな」
「はい、可汗も、どうぞご息災にお過ごしくださいませ」
「リヒテルヴァルト卿にもよろしく」
そのまま、一行は軽やかに馬を走らせて草原の向こうに消えていく。
フィルバートが乗ってきた馬一頭と二人が残される。
その姿が小さくなるまで見送って、スフィルカールは軽く頭をかいた。
「やれやれ、とんだ厄介爺だ」
「結構振り回してくださいましたね」
「最後は、お前をライルドハイトと呼んだが、もうそれは良いということか」
「そうでしょうね、別の国の侯爵として認めてくれたんでしょうね」
そういって、遠くを見やった視線を、こちらに動かした。
「もう、わたしは"ライルドハイト侯爵"なんですよ。・・・・リュスラーン様はもういません」
「・・・・そうか」
ずいぶん、あっさりとした告白だった。
「そうか・・・」
なので、こちらもあっさりと告白することにする。
「私の、本当の父は亡くなったのだな」
予想以上に、さらりと話すことができた。