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急に二人にされても。
何を話せばいいのやらと、スフィルカールは途方に暮れた。
剣の相手は無理だし。・・・たぶん向こうが遠慮してしまうし。
何かないかと周囲を見回すと、端のテーブルに水差しとコップを見つける。
「おい、リュスにだいぶやられて喉が渇いたろう。水しかないが」
水差しとカップを握り、少年の前に近づく。
ふと、己の視線が、相手の口元近くだと気がつく。
視線を軽く上げると、同様の困惑顔があった。
「お前・・・結構上背があるな」
「そうでしょうか・・。あ、わたしがやります」
水差しとコップを奪われそうになり、強引に遠ざける。
「お前は客だ。・・ほら」
「恐れ入ります。殿下」
「殿下は良い。カールと呼べ。わたしもフィルと呼ぶから」
自らもカップに水を注ぎ、すとんと壁際に座る。
フィルバートも少しばかり距離を置いて、恐る恐る腰かけた。
そのまま、カップの水をそれぞれ無言で口に含む。
空気の上っ面で何かをなでていくような妙な時間が二人の間を流れていく。
「おい、フィル」
「何でしょうか?」
「シヴァに頭をなでられて、一瞬嬉しそうな顔をしたが、何故だ?」
ぼそり、とつぶやくと、フィルバートは一瞬だけ顔を赤らめ、否定した。
「いえ、そんなことは」
「ごまかすな。・・・・わたしには少し居心地の悪いものだから、何故かと聞いてみたいだけだ」
しばらく、少年はカップを片手に黙りこみ、暫くしたところで「父を思い出したので」とだけ返した。
「事故死した先代か。似ているのか?」
「多分・・・。残念ながら、判断しようにも、もう亡くなって七年もたちますし、わたしも小さかったから、だんだん父がどんな顔をしていたかをはっきり思い出せなくなっているんですよ。髪の色が違うのがわかるくらいですかね。父は金髪で緑っぽい瞳の色をしていたから。」
膝を立てたところに顎を乗せ、フィルバートの視線は遠くを見るかのようだった。
「わたしが父によく似ていると皆さんおっしゃいますので、シヴァ様がわたしに似ていると言うなら、少しは父に似ているとわたしがわかるところがあるのかなぁと」
思い出している内に、先ほどの感触を思い出したのか、自らの頭に手を当て、恥ずかしそうに肩をすくめた。
「探しているうちに、ぽんと頭に触れられたので」
「・・・で? 触れられたので、どうして嬉しいのかが答えになっていない」
やや棘のあるようなセリフに、フィルバートはすこし天井を見上げた。
「絶対的に安心して良いという相手だと思ってしまったからでしょうか」
続いて、苦笑いを見せて、こめかみをかく。
「家督も継いで、騎士の叙勲も受けておりますのに、随分子供じみた事よと正直恥ずかしくなってしまいました」
「絶対的に安心していい相手か。・・・なるほどな」
水を含んで、スフィルカールは天井を見上げた。
「・・・お前の父は、そういう相手だったか」
「そういう、とは?」
「絶対的に安心できる、ということだ」
「それは当然です。父ですから」
さも、当然。
そのセリフに、スフィルカールは自嘲気味に笑う。
「わたしにとって、父とは絶対的に信用ならん存在だ」
「・・・・」
フィルバートが二の句が継げないことに気がつくと、スフィルカールは済まぬと笑った。
「お前には関係のない話だな」
・・・なるほど、だから、あの孤児院の子供は、シヴァに頭をなでられたがるのか。
天井を見上げ、考えながら水を飲む。
「・・・では、その相手が突然姿を消したら、どうする?」
「それは、悲しいですよ。それに、不安ですし。どうしたら良いのか、わからずに途方にくれました」
その話を聞きながらコップを傾ければ、水はない。
隣の水差しを見つめると、フィルバートがさっと水差しをとった。
「わたしも頂きます。先ほどみっちりとしごかれましたから、喉が渇いた。カール様も、どうぞ」
「うん」
こぽり、と水が注がれる。
また、しばらく沈黙が流れる。
「・・・父が亡くなった後、お前はどうやって乗り切ったのだ?」
さらに訪ねると、騎士は首をかしげた。
「さあ・・・・あまり覚えていませんね。わたしは八つで家督を継ぐどころではなかったし、双子の弟妹はまだ一歳でしたから。ですが、女官として宮殿に出仕しだした母に、わたしの事で余計な手間をかけさせたり、迷惑だけはかけないようにと思ってはいました。弟妹のように魔法使いではないけれど、剣ならなんとか身を立てられるかと思いまして・・無我夢中でいたら、気がついたら騎士になっていました」
「そうか・・・」
あまり覚えていない。
その言葉は、スフィルカールには少し重くも思えた。
一種、間があいて、彼は急に首を騎士に向ける。
「・・・お前の兄弟は魔法使いなのか?」
「そうですよ。父が魔法使いでしたから。・・・なんとか騎士になって、家督も継いだことですし、今度はあの子たちに良い師匠を見つけてあげたいんですよ」
明るい表情で、フィルバートは頷く。
「そういうものなのか?」
「そうですよ。せっかく、父の力を受け継いで、魔法使いとして生まれてきたんですから、それはきちんと伸ばしてあげたいし。・・・きっと、父の望みでもあるでしょうから」
「なぜ、死んだ人間の望みがわかる」
膝を抱え直し、騎士の少年は顎をその膝に乗せた。
「双子の弟妹が生まれた時の事はぼんやりと覚えています。父がとりわけ嬉しそうだった。わたしに言うんです、“フィル、この子達は魔法使いだ、神の加護を得られるよう良い名を考えてあげないとな”って。・・・つい最近目にとまったのですが、父の書斎の一角に子供向けの魔術の教科書も幾つか集めてありましたよ。みんな、ところどころ付箋がついていた。気が早いって皆にからかわれたくなかったのでしょうか、一番隅っこでした。きっと私に向けるものとは違う、彼らの将来への楽しみがあったのでしょう」
だからです。と少年は空を見ながら答える。
スフィルカールは、コン、と床に音を立てて、カップをおく。
「おい、もし、わたしが、お前の弟妹に良い師匠を見つけてやるって言ったら、お前はわたしのところに仕えるのか?」
「ええ???」
「たとえばの話だ。どうなんだ? そう言われたら、どんな相手でもお前は仕えるのか?」
ずい、っと威圧感を漂わせて迫ると、フィルバートはうーんとこめかみを押さえた。
「どんな相手でも、ではないですよ。家の事だってあるし、ろくでもないところだったら願い下げですけど・・」
しばらく、頭を抱え、フィルバートはぼそりとつぶやいた。
「まあ・・本当にすごい魔術師で、きっとあの子たちの良い師匠になって頂けると、わたしが確信できる方を紹介していただけるなら、とは思います」
「・・・・・」
すくりとスフィルカールは立ち上がり、シャツの襟を整え、上着を羽織る。
「おい、フィル。少し付き合え」
「え? どちらに?」
慌てて腰を上げたフィルバートの顔を、スフィルカールの表情が緊張に変えた。
「お前のその話を聞かせたい奴がいる。ついてこい」