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ラウストリーチ家の未熟者  作者: 仲夏月
9."アーサー"
116/135

9-05



 この街の冬は厳しい。


 城では寒いと言っていれば済んだだけ、スフィルカールは恵まれていたことが身に染みた。

 着込むにも、衣料を買うには金が要る。

 薪はなるべく節約したい。

 しかし、子供達や騎士の妻の体調にも配慮しなければならない。


 騎士の妻は、それなりに大きくなった腹をかかえて億劫そうに動くことが増えた。

 しかし、まだまだ生まれるまでには時間がかかるという。


 多分春の終り夏の前くらいになるだろうと言うことである。

 そんなにかかるのか、しかもまだ腹は大きくなると聞いて、母になるというのは大変な事だと認識せざるを得なかった。


 居候先の夫人は、これを3回やってのけたし、フィルバートの母親は2回と言っても一度は双子だ。一人でもあんなに腹が大きくて大変そうなのに双子ときたら一体どうなっていたのだろうかと思う。


 自然、スフィルカールは騎士の妻に対して、彼なりにかなり気を使っていた。

 あまり役に立っているかはわからない。

 暖炉の火に気を配ったり、暖かいお湯を用意したり。

 時々腹の子供とその母に市場での様子を話してやる、その程度の事しかできなかった。


 その日スフィルカールが仕事を終えて家に帰ると、騎士の妻は家に一人で縫い物に励んでいた。

 彼女の手仕事は、夫人にとって随分助けになっているらしい。

 本人にとっても、此の家に住まう存在意義のようなものでもあった。


「ただいま戻った。・・一人か?」

「お帰りなさいませ。奥様は子供達と仕立屋さんにお届け物にお出かけです」


 そうかと返事をして、スフィルカールは自室(という名の元納戸)に一度引っ込み、いつも守り刀のように腰に装備している短刀を外し、荷物を置く。

 居間に戻ると、騎士の妻が立って何か作業をしているように見えた。


「あ・・・わたしがやろうか?」

「大丈夫。たまには動かないといけないんですよ。ご近所の奥様から、生姜湯を頂いたの。ご一緒にいかがですか?」


 彼女は、たまに息をつきながら湯を沸かし、カップに入れた生姜の蜂蜜漬けを溶かす。

 スフィルカールはソファに座る手助けをしてやって、マグカップを手渡し、自分も近くの椅子に腰掛けた。

 ショウガの香りと蜂蜜の甘みが冷えた体に染みて、指先がじわじわとした感覚に支配されていく。


「美味いな」

「美味しいですね」


 少しの間、無言で飲み物を口にしてその温かさを堪能する。

 ふと、スフィルカールはマグカップで手元を温めながら、すこし相手の顔を覗うような様子を見せた。


「あの・・・、気分を害しないようなら聞いてみたいのだが・・」

「はい、何でしょうか?」


 聞いて良いものかどうか、と少し逡巡して。


「母親になる、というのはどのような感じであろうか?」


 聞いてみて、少し後悔した。

 あまりに漠然とした質問に思えたからだった。

 対して、そうですねぇ、と騎士の妻は暫く考えを巡らせた後


「まだ、あまり実感がないですが、私と夫の命がここにゆっくり育っていることに、とても驚いていますし、そしてとても楽しみにしていますよ」


 と答え、生まれたらまた変わるかも知れませんねと笑った。


「そうか」

「貴方のお母様は、どのような事を言っていましたか?」


 その言葉に、スフィルカールは自嘲と共に破顔した。


「わたしは、生まれた瞬間に母と引き離されて。・・・この間初めて会った母は、私のことは自分の子供として一切見てくれなかった。・・・・18年の間、赤ん坊の人形を私だと思い続けている」


 直後に、妊娠中の女性に聞かせるべき話ではない事に気がつく。

 慌てて、顔をあげて謝罪した。


「すまない、気分を害した」

「いえいえ、・・・貴方のお母様に同情いたしますわ。だって、もしわたしがそんなことになったら、同じように気が触れるかも知れないもの」


 カップをテーブルに置いて、騎士の妻は両の手でお腹を優しくなでる。


「今の期間、貴方には私がそれなりに苦しんでいるように見えるでしょう? 確かに、気分が優れないことも多いし、動きづらいし、夜もあまり眠れないし、大変なことが多いかも」


 だけど、と女性は微笑んだ。


「あと数ヶ月しかこの子はお腹にいないんだ、と思うとちょっとだけ寂しいなぁとも思うんです。でも早く会いたいなぁとも思うの。私に似て生まれるのかしら、それとも夫に似てくるのかなとか、青い衣類が似合うのかしら、それとも黄色かしらってあれやこれやと想像するのが楽しみ。・・・きっと貴方のお母様もそうやって楽しみな時間を過ごしたから、貴方と引き離されて、心が壊れちゃったのね」


 貴方は、ちゃんと大事にされていたのよ。


「そして、きっと貴方のお父様のことも大好きだったのよ。どちらに似てくるかなぁって楽しみにしていたのよ」


 そこで顔をあげた騎士の妻は慌てた。


「大丈夫?」

「え・・・、あ、大丈夫」


 いつの間にか、ボタボタと涙を流していたことに気がついて、スフィルカールは視線をそらして服の袖で顔を拭いた。


「・・父は、対外的にも個人的にも、私の事を一度も自分の子供として扱わなかった。私を護るためとはいえ、一度もそれらしい振る舞いをしたことが無かった。寧ろ、正式に養子にした私の友人の方をよく構っていたし」


 でも、多分それが精一杯だったんだと気がつく。


「その分、絶対に私を危険にさらすことがないように気を配っていた。・・・多分、やり方は随分問題だったんだろうけど」


 今までこんなに長い間離れたことが無い。


「私を、自分の子供だと初めて明かした日の顔が忘れられなくて、時々夢に出る。・・・父親扱いしてやれる心理的余裕も、物理的時間もなくて、行き別れてしまった」


 袖で顔を隠して、スフィルカールはうめいた。

 そう、じゃあ今度会えたら、と騎士の妻は手を伸ばして優しくスフィルカールの髪をなでた。


「今度会えたら、馬鹿親父って言ってあげなさいな? うちの夫が時々言うのよ? ちょっと悪態つきたいときに、あの馬鹿親父、って」


 うんと頷いて、スフィルカールは顔をあげた。


「すまない。私の方の話を聞いて貰って」

「ううん、良いのよ。貴方、ちょっと危うい気がして気になっていたし」

「貴女のお子にも、御礼を言って良いだろうか」


 勿論よ、と微笑んだ騎士の妻の隣に座って、スフィルカールはそうっとお腹に手を載せる。


 ・・・私の名は、スフィルカールだ。偽っていて済まない。

 ・・・話を聞いてくれてありがとう。

 ・・・わたしも、君に会える日が楽しみだ


「・・よし」

「あら、内緒話?」


 詳細を聞かされなかった母御に、スフィルカールはにまっと笑みを見せた。


「この子と私の間の秘密の話だ」



 それから、数週間後の冬の寒さが一番厳しい頃に。

 

 騎士の妻はお腹の子供と一緒に亡くなった。


 医者も治療師も居ないこの街で、だが、医者が居ても治療師が居ても、どうにもならないことだったかも知れないと、産婆が言う。



 ・・・だからね、妊娠は病気じゃぁないんだよ

 


 














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