9-03
女性は、意識が回復したところで、丁重な礼を述べ、自分は帝国に属する騎士の妻だと言った。
歳はスフィルカールより少し年上という程度である。
「夫が戦に出たままなのですが、住んでいた街を戦で焼け出されてしまいまして」
「まぁ、あんたもなの? 軍人さんの奥方ならもっと安全な所に住んでいるかと思ってたけど。そもそも御附きの人たちは?」
「地方領主の家付騎士で大きな家では無いんです。それに、戦の混乱で、数人いる侍女や使用人達ともはぐれてしまって、気がついたら一人きりになっていたのです」
どうやら、帝国の直参騎士だけでなく、地方領主付きの陪臣レベルの者も戦に借り出されている様だ。
そういうことはおくびにも出さずに、スフィルカールは夫人の後ろで立ったまま腕を組んで様子を見ている。
夫人は、女性に優しくこれからの事を尋ねる。
「で、これからどうしたかったの?」
「・・・いえ、人の流れに押されてここまで来てしまっただけで、これからどうしたいかは全く」
「お腹に赤子がいるんでしょ?」
「やはり・・・そう思いますか?」
夫人の指摘に、騎士の妻の返事は自信も力も無かった。
「ここ数日、もしやと思っていたのですけど。・・・こんな状況でどうしようかと・・」
「この街の医者や治療師は戦で徴集されてて、あまり居ないって話だし。産婆がいれば良いんだけどね」
まぁ、とりあえず。
夫人は明るい声で手を組む。
「産婆やらなにやらは、明日探してみるから。今日はここにいなさいな。アーサー、あんたの部屋は今日はこの子に貸してやんな。あんた、居間のソファで良いだろう?」
「いえ、そんな申し訳ないです」
「いや、その方が良いだろう。部屋を整えてくる」
申し訳なさそうな騎士の妻の声を聞かずに、スフィルカールは自室へと向かう。
その背中越しに、ありがとうございます、との声が聞こえてくる。
チラリと騎士の妻を一瞥し、スフィルカールはそれ以上は振り返らなかった。
「気にするな」
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翌日、夫人が一日頑張った。かなり頑張った。
スフィルカールは護衛にならない護衛としてついて行くだけで全く役に立たなかった。
市場で果物を少し奮発して購入し、知り合いから産婆の経験がある老女の情報を得る。
情報を元にその女性を探して自宅に案内し、騎士の妻の様子を診てもらう。
診察の間、スフィルカールは庭で薪割りでもするようにと追い出された。
診察が終わったところで呼び戻され、話を聞くと、やはり懐妊しているとのことであった。
この老女、自宅に案内している間は少々、いや大分危なっかしいので大丈夫なのだろうかとスフィルカールは思ったのだが、騎士の妻を見た瞬間からかつての経験がそうさせるのか、生き生きとした表情でテキパキと動き出したのが彼にとっては不思議で仕方なかった。
「あんた、よかったよぉ。この街に着くのがあと1~2週間先だったら、ちょっと危なかったねぇ。他に子供は居ないの?」
「はい、いません」
「じゃあ、なおさらちょっと気をつけようねぇ。あたしで良けりゃ、たまに様子見に来てあげるよ」
「えっと・・・」
老女の言葉に、騎士の妻はすこし遠慮している様子を見せる。
すかさず、夫人が自分の胸を軽く叩いた。
「ちょっとぉ、このまま一人でって思ってたんじゃないだろうね? こちとら三人産んでいるんだよ。婆さんとあたしで全力で加勢してあげるから、あんたが無事にお産を終えて落ち着くまではここにいな」
急転直下
昨日までと話が違う。
当然、騎士の妻は慌てて両の手を振る。
「そ、そんな、ご迷惑な」
「ウチの亭主とも話がついているから、大丈夫。あんた良家のお嬢さんで奥方だから刺繍はお手の物だろ? 他に縫い物出来る?」
「それは、一通りは」
「はい、決まり!」
見込んだとおり、とばかりに夫人は手を打って交渉成立を宣言した。
「あたしは仕立屋の下請けだからさ、あたしの仕事手伝って、子守してくれればそれで生活面は手を打とう。ハンカチの刺繍をすこし多めに請け負うかね。あぁ、無理しちゃダメだから、気分が良いときにやってくれれば良いんだよ?」
その分、アーサーが仕事増やせば良いんだよ。
予想外の飛び道具が自分に刺さったことに、スフィルカールは目を見張る。
「わたし?」
「2階奥の納戸。片せば寝台一つは余裕ではいるよね?あんた寝起き出来れば良いんだろ? 妙な連中と付き合ってる暇があったら荷役の一つも増やしておいで」
部屋替えも申し渡される。
騎士の妻も流石に恐縮しきりのようである。
「え! 私がそちらに・・」
「あんたはここ使いなさい。1階だから、何かと便利だし。はい、アーサーは納戸の片付け。自分の部屋は自分で整える!」
「・・・わかった・・・」
今朝方、仕事に出る前の亭主がボソボソと言っていたことが身に染みる。
・・・あの奥方が気になって妙に張り切り始めたから、今回はあいつに逆らわない方が良いと思う・・・・・
逆らってはいけない。
此の家で最も権力の無い居候は何も反論すること無く、おとなしく2階の片付けに入る。
2階に上がって納戸の扉を開けるところで、夫人が少し緊張した面持ちでスフィルカールに耳打ちした。
「あの奥方、気をつけておいてね」
「どうしたんだ?」
「ひょっとしたら、一人で思いあまってどこかの闇医者とか怪しい薬屋に始末頼みに行くんじゃないかって気になっててさ」
「しまつ・・って、し、始末!?」
「声がでかいよ、馬鹿」
相手の言葉の意味するところに思い当たって、思わず声が高くなり。手で口が塞がれた。
夫人は、自分の肩を抱きしめるように腕をかかえて、真剣な表情で声を潜める。
「ここで産んで良いんだってちゃんと安心させてあげないと。戦で焼け出されて、親もいなけりゃ旦那もいないところで、たった一人でお腹に子供がいるなんて不安で仕方ないはずなんだよ」
だからね、あんたも気をつけておいて。
夫人のまなざしに、スフィルカールはうんうんと首を縦に振るしか無かった。