8-10
「いやぁ、お前が帰ってきてるって知らせがあって。護衛も連れてきていると言うからさ、お手並み拝見と思ってだなぁ」
「自分が今いくつだと思っているんだ。もう五十の坂も見えているだろうに。ちゃんと昼間に来い、昼間に」
闖入者は、とりあえず案内された書斎にてヘラヘラと笑い、ジヴァルはあきれ果てている。
いかにも武官といった風情の精悍な顔つきの中年の男性が参ったと肩をすくめた。
ジヴァルの様子に、彼にとって気の置けない者なのだと判断し、フィルバートは申し訳ございませんと頭を下げる。
「うっかり斬るところでした」
「ウッカリで済むか。問答無用で即死させるつもりだったろうが。相手の申し開きくらい聞くつもりは無いのかよ」
「無いです」
「即答かよ」
首の太い血管がある辺りを触り、闖入者はおお怖いと肩をふるわせている。
「なかなかにすばしっこいガキを連れてきたなぁ。ま、やり方は少々えげつないが」
・・・・なんか、サム小父さんと同類の匂いがする・・。
愕然としたままのフィルバートの顔をじっと見つめ、武官は顎の無精髭を軽くなでながら、ジヴァルに護衛の素性を尋ねる。
「お前の妃に子供が生まれたとはついぞ聞いた覚えがなかったが、誰に生ませた子だ?」
「私の子では無いよ」
え? お妃いるの?
誰っていうことは、複数なの?
という疑問は、次のセリフとその後の展開で全部吹っ飛ぶ。
「兄上の子だよ」
「えええ!!!!! リオンの!? 本当? リオンの子なの!?」
「うるさい!誰か来るだろっ!!」
ジヴァル様の声の方で誰かが部屋に来そうなんだけど・・・。
ドギマギしていると、武官の太い手ががしっとフィルバートの肩を掴む。
青い目がこちらを見据えていて、フィルバートはやや腰が引けた。
「お前が、あの手紙の子か・・・・・」
「手紙・・・?」
「14~5年前に、リオンから家に手紙が来たんだ。東方王国で任官して妻子もいる。申し訳ないが、そちらの国では死んだ者と扱って欲しいって。・・・・・・親父に見せるわけにはいかないと思って」
「それで、私に見せた。・・・・だから、私は東方王国に行ったんだ」
あの、貴方は・・・?
フィルバートが恐る恐る訪ねると、武官はにかっと快活な笑みを見せつつばぁんと彼の肩を叩く。
「ん! リオンの父親違いの兄だ。まぁ、お前の伯父さんだな!」
--------------------------------------------------
ツァイ・リ=フェイと名乗った伯父だという武官は、翌日もやってきた。
ツァイが家名で、リ=フェイが名前だそうだ。ジヴァルは彼をリーフェイと呼ぶ。父を同じくする者で名前の一文字目を揃えるそうなので、ツァイ・リ=ウォンというこの国でのフィルバートの父の名前と並べると、ツァイ武官と兄弟であることがすぐにわかるのだそうである。
父は結婚前はゲゼルと家名を称していたのですが、極東とは関係ないのですかと聞くと、修道院では西国風の家名を名乗るのが規則だったそうで、そこではゲーゼルヴァインドという家名になっていたらしい。
抑もとして、父系を重視するこの国のやり方に則れば、リ=ウォンはあくまで養父が付けた名前で"正しくは無い"らしい。ジヴァルと一文字目を揃えてジ=ウォンというのが国皇が認識する彼の名前であるそうだ。
ツァイ武官は行李、と呼ばれる不思議な素材で出来たトランクの様な物を一個担いで、今度はちゃんと正面から現れた。
ジヴァルの部屋付の役人がフィルバートが着ている草原の民らしい装いを「胡服では体裁が」と言ってしきりに気にしていた為に、前の晩にジヴァルが武官に「君の若い頃の衣類を一式この子に貸してくれ」と頼んでいたのである。魔術師のジヴァルの衣類ではもうフィルバートの体格に合わず、武官の衣類が丁度良いらしい。
ボタンが無い衣類は、草原の民の衣類と同じく紐や帯を使って着用するが、多少サイズが合わなくても着やすい構造になっていた。
ツァイ武官がフィルバートの着替えを手伝ってくれ、着方を教えてくれた。
「しっかし・・・お前いくつだ?」
「18歳です」
「18かぁ・・・武人にしてはすこーし細くないか? こことか、この辺とか。お前ちゃんとメシ食ってる?」
腰やら胸の辺りを拳で軽く叩かれる。貸して貰った衣類は、武官がフィルバートの年の頃のものとのことだが、腰回りや胸回りが少し余る感じが悔しい。本人としても少し気にしている事ではあるので、自然と陰湿な目つきになってしまった。
フェルナンド殿みたいにはなれないとは思っているけどさ。
リュスラーン様くらいのバランスで均整のとれた体格にはなりたいよね。
「食べてます・・・・」
「体質もあるからなあ、まぁ、夕べの感じだと、速さと柔軟性が身上って所か? だとしても、もう少し腰回りに筋肉がつかないと、力が入らずにすぐに吹っ飛ばされるぞ」
「・・・・養父に散々言われました・・・」
ここにもいた。
ムカつく大人。
品定めを受けているような気分になり、ほんのちょっとだけ恨めしい顔になっていても、リュスラーンは怒らないと思いたい。
着替えが済んで、書斎に戻ると、フェルヴァンス人らしい装いのジヴァルの顔が明るくなった。
「うん、良いね。よく似合う」
「はい、ありがとうございます」
そういう顔をされると、フィルバートも素直に照れるしかない。
ツァイ武官にまた顔を覗き込まれる。
「昼間見ると、ますますお前に似ているなぁ」
「兄上にそっくりなんだよ」
そのやりとりの後のツァイ武官の言い方が少し気になった。
「俺、結局リオンの事はあいつが四つ位を最後に見ていないからな。お前の方がなじみがあるんだよ」
「あの・・・ツァイ武官殿はジヴァル様とどのようなご関係でしょうか」
尋ねると、別の方向からの妙な指摘が来た。
「"伯父さん"がいいなぁ」
「"叔父上" がいいなぁ」
・・・・・なんだこの人達・・・・
思い切り面倒くさそうな顔を隠さないでいてやると、ジヴァルが怒らないでよと笑いながら説明する。
「リーフェイはわたしが寺院から城に戻されて以降の私の守り役。で、従兄弟」
「てなこった」
「はあ、で父からの手紙がツァイ武官殿に届いて、ジヴァル様がフェルヴァンスを出て東方王国に」
そもそも、どうしてジヴァルが東方王国に行ったのかがわからない。
聞いても良いことなのだろうか、と思っているとジヴァルが椅子を促した。
皆が椅子に着くと、ジヴァルがフィルバートの疑問に答えてくれた。
「私が東方王国に行ったのは、兄上が皇太子で父が執着していることを伝えて、私を自由にして欲しかったから」
「宙ぶらりんなままだったからな。皇太子にもなれず、皇族として政務にも関われず、さりとて自由にもなれない。皇位継承権なんて有名無実の第二皇子で、国皇からはリオンの代用品のような扱いだった。・・・一生飼い殺しになる位ならと、一旦全ての人間関係を絶って東方王国のリオンの所に一人で向かったんだよ」
「・・・・・」
東方王国から、フェルヴァンスまでの道のりをたどってきたフィルバートには、あの道のりを一人の供も無く、孤独に旅したジヴァルの執念にも似た感情に触れた気がする。
「・・王都について、なんとか兄上に連絡を取ることが出来て。・・そこで、リオンに一度国に戻って国皇に会って欲しい、会って廃嫡を願って欲しいと頼んだんだ。その結果、私が皇太子になるとしても、もうお前に用はないと適当な爵位を貰って皇位継承権から外れるにしても、今よりは良いという判断だったんだ」
「父は・・どのような反応だったのでしょうか」
フィルバートのその言葉に、知らずジヴァルの顔が寂しく歪む。
「最初は、拒否されたよ。今さら自分になんの関係があるのか、と言われた」
歪んだ表情から、冷たい、父の言葉が聞こえてくる。
ジヴァルはそこで、少し息をつくとフィルバートとツァイそれぞれの前に置かれた茶器にお湯を注いだ。
茶器の蓋を少し揺らして、茶器の中の茶葉がゆらゆらと踊る様子を見つめながら、ジヴァルはさらに続ける。
「当たり前だよね。・・だけど、このままではあの国皇は何時までも貴方に執着する、そして国は虚ろの皇太子を据えたまま前に進むことを否定し続ける。貴方自身、あの国で姿を眩ました"不義の子"の侭で良いのか、貴方が味わった今までの苦しさの全ての根源の国皇に、母の苦悩も養父の失望も、貴方が被った理不尽の全てをあの人にぶつける権利はリ=ウォンにしか無いんだと詰め寄ったら・・・少し時間が欲しいと言われた。気持ちの整理がついて決心がつくまで、暫く待って欲しいと」
フィルバートの顔を一瞥して、ジヴァルは茶器の蓋を少しずらして茶を含む。
そこでようやく口元が少しだけほころんだ。
「それでね、・・・それまでは自由だと思って東方王国の王都で数年暮らしていたんだよ。楽しかったなぁ。兄の仕事を手伝ったり、あの王都のにぎやかな町並みを目立たぬように歩いてさ。遠目に見た君がさ、側付の者が悲鳴をあげるようなやんちゃをして兄に叱られている様子が、修道院で師父達に叱られていた頃のリオンを見るようで可愛くてね。"あのやんちゃぶりは草原の可汗譲りに違いない"って兄がぼやく度に、ルドルフ王と私で、なにを言ってるリオンのままじゃないかって大笑いしてさ。・・・そして、リーデルハインド帝国に向かう少し前に、兄に言われたんだ。この外交に一区切りがついたら、フェルヴァンスに行く。行って全てを終わらせると。・・・それなのに、あの事故に遭って記憶を失ってしまったんだ」
「・・・それで、10年以上帰って来なかったのか」
「そう。・・・そして、その事故で兄上も死んだんだよ。私を助けてしまってね」
「それ何時の話だ?」
「十年前」
ジヴァルの隣で腕を組んだまま、ツァイ武官は、そうかと呟いた。
「死んだのか。リオン」
「私には帰らないといけない場所があるからと、自分の方が望みがあるのに、私を優先してしまったんだ」
「そうか、そう言う奴だったんだ」
「そういう人だったんだよ」
少しだけ、湿っぽい雰囲気が部屋の中に満ちた後。
あれ?と武官は首をかしげた。
「・・っん? と言うことは、バトゥに剣を教えた"父"は誰なんだ?」
「あっ!!」
しまった。
一瞬、目が泳ぐ。
めざとくジヴァルに見つかる。
チラリとその表情に視線を向けると、どう見てもニヤけているとしか言えない顔をしていた。
「へぇ? 生きてる内はあんなに嫌がったのに?」
「他に言い様がないので・・・・・」
「リオンは魔法使いだろう?」
「・・・・リオンが死んだ後に、この子を見込んだ男がいてね。ちょっとばかり強引に養子にしたんだ。彼が生きてる間は、絶対父とは呼ばないと、頑なだったのに」
しみじみとした声に、そっぽを向いたまま、フィルバートはふてくされる。
「別に父じゃ無くても、悔しいほどに目標の剣士でしたので、尊敬するのには変わりがありませんし、呼び方なんかどうでも良いことです」
「素直じゃ無いなぁ」
しばらくの沈黙。
それをかき消したのは、フェルヴァンスの武官であった。
「へぇ? じゃあ、俺と手合わせしよ? うずうずしてきた」
既視感しか無い。
極東のサミュエル・ランドだ
フィルバートの中で、それは決定した。