8-09
城壁に囲まれた、都の内側に、王城があった。
周囲を水堀に囲われ、いくつかの橋を通じて城門があり、内部に繋がって居るようである。
そのうちの正面ではなくて脇門にて、彼は門番にとある者の名を告げ、言付けを頼んた。
「ジ=ヴァルが来たと言ってくれないか?」
門番は、いかにも不審な様子でジヴァルを上から下まで眺めたあと、暫く待てと言い置いて中に消えた。
大丈夫ですか?とフィルバートが訪ねると、大丈夫だろうとジヴァルは気楽に答える。
「私の名前を知っている者は、あまり城にはいないんだ。可汗やテムルは、以前私を探しに来た使者から聞いたから知っているけど普通は諸外国の外交官も知らないよ。だから、騙りは少ない」
やがて、慌てふためくような足取りで一人の役人が現れる。
半信半疑のような表情が、近づくにつれて確信に変わっていった。
「ほ・・・・本当に、ジヴァル様・・・」
「うん、ちょっと予定より長くなったけど、一応帰ってきましたよ」
「ちょっとどころではございません! 良くご無事で」
まぁ、十年以上も行方不明なら、ちょっとどころの騒ぎでは無い。
「み、宮へどうぞ。何時お帰りになっても良いように、常日頃準備をしておりました」
「あれ? もうとっくに無くなっているかと思ってた。父上なら、そのくらいすると思ったんだけど」
「あの方が何を言おうとも、それだけは私が護ります故」
門番が目を見張っている側を、さあどうぞと通し、ジヴァルを中へと誘う。
後ろに続いて良いものかと、一瞬躊躇したフィルバートに気がつき、役人は目をむいた。
上から下まで、じろじろと見られて大変居心地が悪い。
如何したものか、とジヴァルに助けを求めようとした所で、役人が恐る恐る尋ねる。
「・・・・ジヴァル様、いつの間にこんな大きなお子様を」
「違うよ・・・・リ=ウォンの嫡子だよ」
「なんと!?・・・・・・」
役人があんぐりと口を開ける。
上から下まで、再度無遠慮な視線を向けられる。
父上の子だということがそれほど驚く事なのだろうか。
フィルバートは首をかしげた。
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案内された屋敷は、広く遠くが見渡せる空間を持っていた。
人口の池や庭木が落ち着いた印象で配置されており、フィルバートの実家の屋敷とも、ラウストリーチの城の庭とも、全く違うながらも美しい絵のような光景が広がっている。
そのうちのひと棟に案内され、内部に入ると、うわぁと思わず声が出て慌てて口を押さえた。
鮮やかな組み木細工のようにも見える天井に、重厚な柱。
石やレンガの壁になれた目を、艶やかな色材で塗られた木製の壁が刺激する。
天井を見上げていささか呆けるフィルバートに先んじてジヴァルは慣れた様子で部屋に入る。
二人を案内した役人に、フィルバートの部屋は要らないと告げた。
「この子も、私の部屋を使わせるから、そのように」
「そんな! 別にお部屋をご用意いたします故」
「彼は私の唯一の護衛だ。他の者では私が困る」
下がれ、との声で役人は恭しい動作を以て下がる。
部屋の扉が閉まると、やっとの事でジヴァルが息をついた。
「兄上の子を護衛扱いにしてすまないが、離されない方が良いだろう」
「それは私も同感です」
景色は良いが、慣れない所で離されるのは不安だ。
ジヴァルの護衛としては、常に側にいる方が良い。
フィルバートは、すぐに部屋の内部の様子や間取りについて確認をする。
中央の大きな部屋には左右に天井まで届く高い書架があり、びっしりと書籍が並んでいる。
見たことのない文字の本もあれば、フィルバートにもなじみのある本もあった。
「そこに小さい部屋があるだろう? 君はそこを使うと良い。使用人の宿直用で悪いね」
「あ、いえ。寝れれば良いので、全然構いません。ここはすごく綺麗で、面白いです」
「荷物を置いたら、お茶でも飲もう」
宿直用、といっても寝起きには十分な広さのある部屋で寝台も綺麗だった。
全ての調度品に細かな装飾が成されていて、興味深い。
とりあえず、寝台とおぼしき所に荷物を置き、埃よけの上着を脱いで椅子にかける。
宿直用、ということで主に護衛用なのかとフィルバートは思った。
ついで、隣が主人の寝室のようだと判断する。
天井まで届かない壁は部屋の奥の様子を全て覗うことができるような造りになっている。
扉は無い。布で部屋を仕切っているような印象である。
部屋を出て、中央の部屋に戻るとシヴァも同様に衣類を少し緩めていた。
机の上で何やら用意している。
フィルバートは部屋の内部を見まわした。
「随分と開けっぴろげな感じですね」
「そうだね、わたしの寝室は君の隣だから、一応覚えておいて」
指を指した方向を見遣り、やはりそうだとフィルバートは頷いた。
「はい」
「ここは、書斎。壁の本は、私の趣味。・・・西域のものが多いだろう?」
「はい、凄い量です。どうりで、我々三人が毎回課題に追われて頭をぐるぐるさせていたわけです」
今思えば、フェルヴァンス人があれほどの西側の教養を身につけていたのか、と驚愕する。
リュスラーンが、「あいつ何処で勉強したんだろう」とぼやく程度に東西幅広い古典に通じていた。
「厠や湯殿はあっち。あまり長居はしたくないけど、最低限の後始末まではここで過ごす事になるから。あとで使い方は教えるよ」
じゃあ、これに水をいれてきてくれるかい?
鉄で出来たポットのような形状のものを渡される。
「飲み水は、あそこ」
「はい、井戸が近くにあるなんて良いですね」
書斎は、庭に続いていてすぐ脇に井戸らしいものもある。
やり方は草原とそう変わらないのですぐに水をくむことが出来た。
少し、口に含んでみると、西の水よりいくぶんまろやかな気がする。
「流石に毒は無いよ?」
「一応、味見です」
言われたとおり、鉄のポットに水を入れて渡すと、シヴァは机の脇にある陶器の調度品の上にそれをおいた。徐々に部屋が温められていくようで、冷えた指がじわじわと痺れるように温もりを覚えていく。
「これが茶器ですか?」
「そう、お茶はこちらの方から西に渡ったんだよ」
「でも、茶葉の香りが違いますね」
「すこし製法が違うからね」
不思議な茶器が並んでいた。小さな蓋がついた取ってのないカップが小さめのソーサーにこじんまりとおさまり、フィルバートの前に置かれていた。絵付けの焼き物らしく、つるりとした表面に文様がゆるゆるした筆致で描かれている。
やがて、鉄器からしゅいしゅいと音が聞こえる。湯が沸いた頃合で、ジヴァルは茶器にお湯を注ぐ。清涼感のある香りが鼻腔をくすぐった。
「蓋で、茶葉を避けながら飲むんだよ」
そう言うと、ジヴァルは器用に茶葉を避けながら茶を飲んでいる。
「難しいです、でも良い香りです」
まねをして茶の香りや味を味わっていると、急にジヴァルは西の言葉で小さくつぶやきはじめた。
『ここは不思議な国だろう? 10年経っても、変わりなく部屋が使えて、茶が飲める』
『よほど貴方様のお帰りを待たれていたのかと思いましたが』
フィルバートの言葉に、ジヴァルは自嘲気味に笑みを浮かべる。
『変化しないことが大前提の国なんだよ。歴史も文化も。何一つ変わらずに伝統的なものが維持されていてこそ繁栄の象徴だと捉える』
『・・・ジヴァル様は、この国の王子でいらっしゃいますか?』
とうとう、フィルバートは自分で聞くことにした。
その言葉に、暫く黙ってお茶の香りに目を細めて。
『そうだね。不在の皇太子の代わりにもならない中途半端な第二皇子だね』
ちょっとだけ棘のある返事をした。
父に対する少しだけ複雑な感情も垣間見えて、フィルバートはお茶の香りを少し等閑に付すことにする。
『私の父が王太子になるのですね』
『そう、でも君の父は、それを知る前に修道院・・ここで言えば"寺院"から出奔したから、全く知らないままだったよ。・・・わたしが、あの国に行くまでは』
『私の憶測ですが』
膝の上に置いた手が自然と拳を握る。
『此の国では、魔法使いの男性であることが王位継承の条件なのですね。だから、私よりクラウスに注意が必要だと』
『その名前はこれ以上口にしてはならない』
人差し指がついとフィルバートの鼻先に向けられた。
緑碧の瞳が緊張で揺らいでいる。
フィルバートは素直に謝った。
『迂闊でした。申し訳ございません』
『国皇は、より自分に近い者に執着している」
茶器の蓋のつまみをもてあそびながらずらして、ジヴァルは一口茶を飲む。
『より強い魔力を持つ血統の女性との間に子をなし、より自分に近い者を求めた。・・・・私と兄のそれぞれの母同士は双子の姉妹でよく似ていて、そして力のある魔法使いを多く輩出する家の出自だ。あの皇は、妃とした私の母だけでなく、とうに他家に嫁いで子をなしていた兄の母までも己の目的のために利用した。・・・兄の母の夫にはたまったものでは無かったろうね』
そこまでしたのに、私たちが受け継いだものは、少し違ったよ
ジヴァルは庭を眺め、そちらに向かうように息を吐いた。
『兄は、魔力の質も、その見た目もより父に近い。わたしは、少し魔力の質が違って、さらに黒い髪で王の望む姿をしていない。・・・だから、皇は兄に執着している。探し続けて、待ち続けて、第二皇子である私を飼い殺しにしても、君の父を皇太子とすることに固執した。・・・・兄が、わたしを"彼"の名付け親にした理由はもうわかるだろう?』
フィルバートは、頷いた。
父は、弟を王の執着から逃すために、なるべく自分の魔力に似た質を受け継がないよう、尽くせる手を尽くしたのだ。
『だから、ここでは兄の子は君だけだ』
その宣言に、フィルバートは深く頷いて、ようやく茶器に手を伸ばす。
すこしぬるくなったお茶を勢いよく飲み、口の端に茶葉が入り込んで思わず舌を出した。
「・・・ジヴァル様、ちょっと苦いです」
「だから、避けて飲みなさいって言ったでしょう?」
ようやく、ジヴァルから少しだけいつもの笑みが戻った。
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その夜。
初めて使う寝台の寝心地に慣れる間もなく、部屋の周囲から感じる違和感にフィルバートは音を立てずに起き上がった。
枕元にある短刀をそっと掴む。
そろりとした動きで隣の部屋の入口まで移動する。
じりじりとした気配が近づいてくる。
その気配が、本格的に動き出すその瞬間に先んじて、動き出す。
「!」
相手が部屋に侵入する瞬間に膝でみぞおちを蹴り、馬乗りになる。
短刀で首から鎖骨まで押さえ込んで、そのまま太い血管をかっ切ろうとした。
『やめなさい! フィルバート!! 敵では無い!』
『え?』
思わず西の言葉で制されて、フィルバートは短刀を押さえつけたまま首をかしげる。
「は・・・・速え・・・」
押さえ込んだ相手は。
冷や汗を流しながら、フィルバートを見つめていた。