8-08
シヴァことジヴァルと、フィルバートがフェルヴァンスの都についたのは、その年の終わりに近い頃であった。
「あーあ、やな頃合で帰って来ちゃったなあ」
ジヴァルがうっとおしそうに城門を見上げる。
都市全体が城壁で囲まれていて、衛兵や門番が彼方此方からこちらを見下ろしている。
四方にいくつかの城門を構え、それぞれ各方面から人馬や物資が数珠つなぎで並んで入城を待っている。
ここで言う城は、都市空間そのものを指すそうだ。
王城はその中央にあるという。
「封印の前に間に合って良かったですね」
祖父の命令で随行してきた草原からの使者が笑うと、ジヴァルは嫌そうな顔で彼らを睨んだ。
テムルという者は、祖父の孫にあたる。
フィルバートにとっては従兄弟にあたるが、年齢も10ほど違う上、お互い祖母が違う。テムルは草原の東側を主な拠点とし、西側を拠点するフィルバートとはほとんど接点がない。
テムルの祖母は草原の部族の有力者の娘であり、テムルの母はフェルヴァンスの公爵令嬢になるそうだ。
テムルの父は、フェルヴァンスにとっては貴族の女婿で、駙馬と呼ばれている。
可汗は西でも東でも、そのようにして対外的な関係性を築いている。
「護衛って言っておいて。君たちは都合良く朝賀礼に間に合わせて来たんだろ」
「おや、我々がここに来たのはジヴァル様の護衛が主たる目的ですよ。そのついでに、良い時期なので定期的な行商と儀礼の挨拶に来たまでで」
「私を護衛してきたって、堂々と触れ込む積もりだな。あのくそ爺」
どうやら、祖父はジヴァルを護衛してきたことをフェルヴァンスの中枢に堂々と標榜するつもりらしい。朝賀礼とは、フェルヴァンスの国内でもっとも重要な行事とのことである。
周辺諸国の王や諸部族の長から派遣された使者が貢ぎ物を携えこの都に集まってくる。朝賀礼とは、年の初めに使者達がそれぞれの王や長に成り代わってフェルヴァンス国の王に挨拶することを言う。
朝賀礼に参加した国や諸部族の使者は、滞在期間中に様々な行事に参加したり、フェルヴァンスの物資を求め、貿易を行ったりするとのことだった。
やはり可汗は可汗である。
クラウスのため、と言いつつちゃっかり自分の外政上にもプラスになるように動いている。
ジヴァル様はフェルヴァンス国内で相当地位がある方なのだろうな
彼に対するテムルの態度から、フィルバートは察した。
そして、フィルバートを初めて見たテムルが一瞬だけ見せた表情の歪みの意味を理解出来ないまま、もやもやとした気持ちを押し隠してここまでついてきている。
ジヴァルの兄たる父。
その息子である自分。
ジヴァルは時が来たら話すと言ったが、まだ何もフィルバートに説明してくれない。
「封印とは、何ですか?」
フィルバートはようやく慣れてきたフェルヴァンスの言葉で尋ねる。
ハルフェンバック領都の屋敷に一度もどり、ウルカと今後のことを打ち合わせ、再度領都を出発して以降、ジヴァルは西域の言葉を使わなくなった。
フェルヴァンスに行くなら、言葉を覚えようか。
大丈夫、フィルならあちらに着く頃にはあらかた覚えるよ。
テムル殿にも協力していただこう。
"シヴァ様"らしい容赦のない笑顔で毎日課題漬けにされてしまい、スフィルカールとナザールが共にいてくれたらと心底思ったものである。
「朝賀礼に併せて来京する諸国の使節が京師に到着する期限ですよ。この日までにこの都に到着出来ないと、朝賀礼は勿論の事、各種儀礼に参加できないのです」
テムルが説明してくれたが、なにやら難しい用語があり、それ以上の理解に歯止めをかける。
フィルバートは暫く目を回した後、観念した。
「シヴァ様、すみません・・難しいです」
「おやぁ? バトゥ? 聞き取れなかったかい?」
「"京師"の意味が・・・・」
"フィルバート"は西域らしい名前でここでは誰が聞いても違和感を覚えるだろうからと、ジヴァルからはバトゥと呼ばれるようになった。
「"京師"は都だね」
「はい・・・ええと、封印の前に、都に到着しないと、朝賀礼、と言う儀式に出席出来ない、と」
「はい、よく出来ました」
馬上でにこやかに笑い声を上げて、ジヴァルは城門を見上げた。
「さてさて、帰って来ちゃったかぁ」
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テムル達は、草原の民がいつも使用する公館に滞在するという。名前を会同館と呼ぶとのことである。
一度場所を確認したいからついて行くというジヴァルにテムルが少々困ったような顔をした。
「先に王城に御案内したいのですが」
「いや? 数日後にはこちらの公館にご厄介になるつもりだから場所を確認したい。城には自分で帰るよ」
「え!?」
此の数ヶ月の道中、一度も見なかったような驚いた顔でテムルが首を振る。
「あの! 貴方が会同館にご滞在されるのは流石に問題になろうかとっ」
「大丈夫でしょう? 十年以上も行方不明だったから、今更帰っても、もう私の宮なんてないよ。こそっと帰ってさっさと後始末したら、ここに戻ってくるから置いてくれない? 君たちが行事や貿易を終えて帰るまでの間はバトゥと京師を見学したいんだ。なにせ、私の甥には初めての父の祖国だからね、見せてあげたいところがいろいろあって」
「・・・バトゥがジヴァル様の甥御・・・」
結局、ジヴァルが何者で父が何者なのか、さっぱり説明してもらえないままなので、テムルの蒼白の表情の意味はフィルバートにはわからない。
おそらく、可汗はフィルバートの父がジヴァルの兄であるとは言わずに、ジヴァルの護衛に"西域のバトゥ"を加えるという程度しか言ってないのだろう。クラウスの件も含めて、あまり関係性を公にはしたくないと見えた。
「可汗からは、礼部に私たちの到着を知らせるのと同時に貴方を御案内するように言われていたのですが」
「そんなことだろうと思った。目立って良いことなんか無いよ。なにせ"可汗の孫"が"わたしの甥"なんだから。そっちがその気なら、可汗はいままで"私の兄"のことを知ってて、あえて国皇に言わなかった、なんて法螺吹いたって良いんだよ?」
「そ!・・それは流石に・・・・」
「でしょう?」
しょうがないな、とテムルはため息をついた。
「あとで、可汗には申し開きしていただけますか?」
「勿論。可汗はわたしが朝賀礼に出るつもりも、王城に戻るつもりもないことはご承知のはずだよ。ちょっとばかり自分の目論通りに正面から帰国しなかったからといって、君に責を負わせることはしないように言うさ」
そんなことを言い合っている内に、テムル達の滞在する公館にたどり着く。
先ほどから、建物や風景すべてが珍しくきょろきょろしがちなフィルバートは、やはりぽかんと目の前の屋敷を見上げた。
「綺麗ですね」
「まぁね。外交使節一行が滞在して、中で出入りの商人が貿易をしたりする場所だから」
では、私たちも移動しようか。
テムル達が物資や荷物を公館に運び出している側を、自分達の荷物を持ち通り抜ける。
「テムル殿、では後日また伺うとするよ。もちろん、バトゥは私と一緒だ」
「バトゥが貴方の甥と聞いて、それをお止めするつもりはありませんよ」
すこし、悔しそうなテムルに、大変良い笑顔を見せてジヴァルは手を振った。