8-05
その日、帰宅するとクラウスはすでに自室に籠もったと聞かされた。
次の日の朝も、いつもなら声をかける前に起きて身支度を済ませているはずが、部屋に籠もったまま返事もしない。
たまたま治療院に行く日では無かったので、研究所の方は休みにすることにした。
休み、といっても特に誰かに届け出る必要があるわけでは無いので気楽なものである。
ルドヴィカは、初めて一人で登校することに少し不安を覚えたのか、護衛に連れられて後ろ髪を引かれるような表情で登校していった。
朝食にも出てこないクラウスの私室を前にしてナザールは声をかける。
「クラウス、入るよー?」
返事はない。
なくても入るつもりだったのでそのまま私室に入る。
クラウスは、部屋の入口に背中を向ける様にベッドに横になっている。
窓際に進み、カーテンをさらっと開けた。
冬の空がどんよりとした雲で覆い隠されている。
光が差し込んだ瞬間、クラウスは毛布を頭から被って隠れた。
「腹減ってない?」
「・・・・・・」
返事はない。
寝室の小さな椅子を少し動かして、ナザールは寝台の脇にすわった。
自分に背を向けて、頭から毛布を被る少年を横目に腕を組む。
「・・・・ハルフェンバック子爵を継ぐのってそんなに怖い?」
その瞬間がばっと身を起こしたクラウスは、無言で肩越しにナザールを一瞥すると、また背を向けて横になる。
「帝国だ北海領域だで騒いでいる奴に殴り込みかけたって、タダの八つ当たりだろ。・・・兄貴が他所に養子に行ったのがそんなに嫌だった? やっぱりカールの事が嫌い?」
数年前にこの街の屋敷でスフィルカールに初めて会った頃は、常に兄か母もしくはナザールの後ろに隠れていたこの少年の姿を思い出して口にすると、背を向けたままクラウスは首を振って否定した。
「・・・・嫌じゃない。養子に行っても、兄上は兄上で良いって母上も伯父上も言っていたし。この間に会った時も兄上は全然変わっていなかった。スフィルカール殿下の事は嫌いじゃないんだ。ただ、綺麗だから"いろんなモノ"に好かれやすそうな所がすごく怖くて、あのときは近づく事ができなかった。・・・きっと殿下を護るのは兄上にとって本当に大事な事になったから、だから兄上は他所の国の人になったんだ、それは仕方が無いって思っている」
やっぱり、独特だなぁとナザールは思う。
今までスフィルカールをそのように評する者はいなかった。
背を向けたままのクラウスは己の肩をぎゅっと抱きしめ、踞る。
「だけど・・僕、兄上みたいに出来ないよ。草原の皆は大好きだけど、馬の扱いだってまだ兄上みたいに上手じゃないし、第一魔術師や治療師じゃ、御爺様が期待する"ハルフェンバック子爵"になんかなれないよ」
「だから、進路白紙で出してんのか・・・」
ふう、とナザールは息をついた。
しばらく、部屋の空気が重く、じっとりと沈んでいるように思えた。
腕を組み、壁に背中を預けた状態で、暫く天井を見上げていたナザールは思い切って口をひらいた。
「俺さー・・」
一度、言いよどみ。
再度、自らの奥底を少し揺り動かす。
「俺さ、お前の兄貴、最初ちょーっと鼻につく奴って思ってた」
今まで誰にも言わなかったことを吐露した。
「俺とクラウスだけの秘密な。・・・あの歳で騎士になるって、あんまりいないらしいって聞いたし。剣術も上手くて城の騎士達が可愛がっていたし、勉強だってさらっとこなすし。・・・・・何が一番ムカつくって、魔法使いでもねぇのにさ、呪文だらけの魔術書さらーーーっと読んで、暗号パズルも解くんだぜ!? それお前に必要ある?って言いそうになったよ」
腕を組んだまま、クラウスの背中に浴びせるように吐き出す。
「だけどさ、親父さんの持っていた短刀、使い勝手が悪くても大事にしてたし、そんな大事な物俺に預けるって言ったときの顔がさ、・・俺、コイツひょっとして自分が魔法使いじゃないの気にしてんのかなぁって・・」
思ったんだ、と続ける。
「出先でさ、すこしヤバい奴に出くわした時。フィルは3回見かけても、そいつが如何に危険か気がつかなかった・・・魔法使いじゃないからな。それで、カールを危険な目に遭わせちまった」
その時のフィルバートの蒼白となった顔面を思い出し、組んだ腕をほどいて手を見つめる。
あのとき、ガクガクと震えていた彼の手を思い出した。
「自分が魔法使いじゃないから、気がつかなかった。自分が魔法使いじゃないせいで、カールを危険に追い込んだって言って、ガタガタ震えてた。・・・・魔術書も、暗号パズルも、自分が魔法使いとして生まれてこなかった劣等感の表れだったんだ、ってそこで気がついた」
「兄上・・・それからどうしたの?」
いつの間にか、起き上がっているクラウスに、ナザールはすこし意地悪い笑みを見せる。
「え? 帝国騎士に"貴様はそれでも帝国騎士かー!"ってでかい雷落とされてた。出来もしねぇことガタガタ言う前に、出来る事を考えろ!って怒鳴られて、そこで覚醒」
その後は、ほら、と少し悔しそうに再た腕を組む。
「格好良いのなんのって。あっという間に敵に追いついて、カールを助け出してた。それからかなぁ、あいつ、魔術書一切開かなくなったの。なんで?って聞いたらさ、なんて言ったと思う?」
「・・・・わかんない」
「"魔法使いなんてクソ食らえ"だってさ。俺達に良くいうよ」
そこでようやくクラウスが噴き出した。
ようやく、そこで少し安堵の息をつき、後頭部を両手で抱えて軽く伸びた。
とん、と背中が壁にあたる。
「俺もな、出来もしないことでジタバタするより、自分に出来る最善を努力する方が格好いいよなって思えてきてさ。まぁ、まだ途中だけど。だから、お前も自分に出来ることをやれば良いんじゃ無い? 第一君らの親父さん、先代のハルフェンバック子爵は魔術師じゃん?」
それに、と意地の悪い一瞥をくれる。
「お前、自分が自動的に子爵になるって思ってるみたいだけど、ルドヴィカもいるんじゃね?」
「だって、ルイは女の子だよ?」
「お前と兄貴にできて、自分が出来ない事があるって、あのルイが納得すると思うか?」
その言葉に、クラウスもそういえば、と思い立つ。流石に双子だわかっている。
それに、あの土地の特殊さは、少しはナザールにも理解が出来ていた。
「そもそもハルフェンバック領はお前の母ちゃんが重要で、相手の男はどうでもいい・・いや、これは少し早いか、ええと、まぁ、父ちゃんはむしろ婿養子みたいなもんで、母ちゃんがいないと話にならない領土なんだろ? ルイが誰か兄貴みたいなのつれてきて"あたしが継ぐ"って言ったら、草原の爺さんも、それじゃあってなるかも知れないじゃん」
「ルイは、兄上みたいな剣術馬鹿は嫌だって。シヴァ様みたいに落ち着いて魔術がすごく上手い人が良いって」
「そこはおんなじ顔なんだから、兄貴って言っとけよ」
これはフィルバートには内緒にしておいてやろうと、ナザールは心に決めた。
「ま、そういうことだ。お前がそんなに重圧に感じるほどのことではないのかな、と思うよ。お前の母ちゃんも、兄貴も、クラウスがやってみたいことを応援しているとおもうよ?」
そうかな、と言いながらベッドにキチンとすわったクラウスのお腹がぎゅるっと音を立てる。
「ほら、腹減ってる」
「夕べも食べてないや」
「じゃあ、身支度して。朝飯用意してもらおうな」
「うん」
口の端の痣はまだ残っているが、ようやくクラウスに明るい声が戻って来た。
閑話休題
朝食を食べているクラウスの隣でそういえば、と気になったことを聞く。
「兄貴と比べて馬の扱いがあまり上手くない、ってどういう意味?」
「僕、まだ走っている馬の上でしか曲乗り出来ないもん。兄上なら全力で走る馬から別の馬に飛び乗れるけど」
「・・・・あ・・・・そう・・・・・」
「暫く草原に行けないから、腕がなまっちゃうなぁ・・・」
やはり、草原育ちのお坊ちゃんは、草原育ちのお坊ちゃんである。