1-10
東方公国は、ラウストリーチの東隣の国だ。
つい数年前までは東方王国として、権勢を誇っていた。
先の国王が事故死して以後、なにかとトラブル続きとなり、今ではリーデルハインド帝国の傘下となっている。
外務卿ハーリヴェル公爵は今年45歳。イェルヴァ公王の良き相談相手として信頼され、その穏やかな性格から、諸侯との仲を上手くとり持っている。
今回、帝都へ向かう途中ラウストリーチ公国にもより、公王にもぜひともお目通り願いたいという申し出があり、このたびの滞在となった。
「スフィルカール殿下。リュスラーン殿。しばし御厄介になります」
使節一団を引き連れ、人のよさそうな外務卿の笑顔が、スフィルカールとリュスラーンに向けられた。
「遠路はるばる。ご足労である。イェルヴァ大兄は御息災に有らせられるか」
皇帝は父。公王は兄弟。
歯の浮くようなセリフを口にしながら、スフィルカールはしげしげと外務卿とその後ろに控える使節達の様子をうかがう。
「息災にございます。スフィルカール殿下にくれぐれもよろしくと申しておりました。・・さて、此方が当国の者ですが、あぁ、君から。此方に来て殿下にご挨拶を」
外務卿はにこにこと他意のなさそうな笑みを見せながら、使者たちを紹介してゆく。
興味のなさそうな顔を見せてしまうと差障りが出るため、つとめてにこやかに、一人ひとりの使者のあいさつを受け、遠路はるばる御苦労であるとオウムのように繰り返す。
「ご滞在中、なにかございましたらご遠慮なくお申し出ください」
リュスラーンの声が、にこやかに響く。
ふん、調子の良い声だ。
外交向けの横顔をちらりと一瞥し、口の端を緩めたところで、使節団の一番端に立つ少年に目がついた。
大人の使者たちに並び、一番末席に立っている。
黒い真っ直ぐな髪をきっちりと束ね、黒い瞳の眦が涼しげに前を真っ直ぐ向いている。
ひょろりとした体格に剣を帯び、背筋をしゃんと伸ばした少年は、少しだけ、他の者とは違う違和感をスフィルカールに感じさせた。
・・・なんだか、妙だな。
何が妙なのかは、彼にもわからないが、なんとなく、どこかほかの者と違うような気がした。
「では・・・・・最後に、フィル、フィルバート。此方へ」
外務卿の声に従い、少年はスフィルカールの前に立つ。
きちんと礼を施す。
此方を見つめる瞳にどことない透明感があり、人形にでも見つめられたような気がする。
「スフィルカール殿下、リュスラーン閣下、ご拝謁を賜り、恐悦至極にございます」
「フィルバート・ハルフェンバック子爵です。最近家督を継いだばかりで、まだまだ未熟者でございます。帝国にて見聞を広めさせようと連れてまいりました。殿下とは御年も近いかと思いますゆえ、どうぞよしなに」
・・ハルフェンバック・・・どこかで聞いたような名前だが。
まぁ、これだけあれこれと名前を聞かされればそんな気にもなるだろう。
冷やかな表情で少年を見下ろし、スフィルカールは先ほどと同じように答える。
「遠路はるばる御苦労である」
「では・・今宵は歓迎会も催しております。田舎料理ではございますが、ごゆっくり」
「これは痛み入ります。では、わたくしどもはこれにて」
そんなやりとりを最後に、謁見の儀礼は済んだのであった。
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数週間の滞在、といっても此方が特に何をするでもない。毎日外務卿とあいさつをして、数日に一度茶やら食事やらに付き合う程度だ。
補給物資の手配や、観光の相手などはリュスラーンが程良く、対応しているらしい。
シヴァは当然のように、何もしない。
一週間程度過ぎたかという頃に、リュスラーンはとある資料を見せた。
「いやぁ、あの子の名前。俺、どっかで聞いたような名前だなって思ってて、ちょっと気になってさ。調べてみたんだよ」
どうやら、滞在中の東方公国の少年騎士について、リュスラーンも似たような感覚を持っていたらしい。
ルドルフ王
セオフィラス・リッテンベルグ外務卿
レオニード・ハルフェンバック侍官長
三人の名前がまず目についた。
「レオニード・・・ハルフェンバック?」
「そう。7年くらい前に、ルドルフ王が死んだ事故で一緒に亡くなっている」
「だから、どっかで聞いたような名だと思ったのか」
資料をぽんと放り、スフィルカールは、天井を見上げる。
ふむ。父親は事故で亡くしているのか。それは面倒がなくてうらやましい。
そんなことを思っているなどとはつゆ知らず、リュスラーンは頤に触れながら資料をパラパラとめくり、自らの記憶を手繰り寄せている。
「リッテンベルグ卿は俺よりひとつ年上で、なんだかんだでちょくちょく顔を合わせていたからわりによく知ってたんだけど。・・良い人だったんだけどね。人懐こい人でさ。王も気さくな人で名君として知られていてね。・・・人って、あんなにあっさりなくなるもんなんだと心底、思ったよ」
「今はリッテンなんとかの話をしているわけではないが」
「だって、俺ハルフェンバックって人の事ほとんど知らないんだよ。・・・だから、名前聞いてもピンとこなかったんだけど」
ああ、それから。
リュスラーンはパラパラと当時の資料をめくっている。
「先代のハルフェンバック子爵はフェルヴァンス王国出身だったらしいよ」
「極東生まれ? あの閉鎖的な国で、諸外国との関係なんてほとんどあってないような国の?」
「間に草原地帯があるからねぇ。けど、フェルヴァンスからの移民って東方王国には、珍しいけどいないわけじゃない。フィルバート君の顔つきが他の人と雰囲気違うのはそのせいだね」
「どうりで、なにか人形にでも見られているような感じがしたわけだ。目が透明というか・・」
ぼそぼそと呟くと、リュスラーンが身を乗り出した。
「興味あるなら、一度くらい話してみたら?」
その言葉に、きょとん、とスフィルカールは目を丸くする。
「は?」
「は? じゃないでしょ。同じくらいの年頃だし、お時間がありましたら一度剣の御手合わせなど、なんて公爵から声がかかっててさ。彼、公爵の甥に当たるそうだよ。お母上が公爵家の養女なんだって」
「・・剣か」
「まぁ、これも外交活動の一環として、お付き合いしてみたら? カールは同年代の子と交流無しだからねぇ。シヴァからもそのあたりに気を配れと言われていることだし」
「何故、そこでシヴァが出てくるんだ」
口をへの字にしたところで、リュスラーンの顔がすこし硬いことに気がついた。
「大人にばかり囲まれて頭でっかちになってるから、変なもんに巣食われるんだ。あの闇があそこまで膨れ上がったのは、お前にも多少の責があるぞ、ってな。魔術師に会うのが嫌だってことも、本当なら身近な大人に相談すれば済むはずなのに、色々な事情を知りすぎて、言えない状況にしてしまったのは問題だって。そういうのも、闇につけ込まれる要素だって、フェルナンドと一緒に叱られたよ」
あまり二人を責めないで欲しかったが、シヴァにしてみればそういうわけにもいかなかったのだろう。
片方のこめかみを軽くかきながら視線をそらしていると、とんとん、とリュスラーンが手もとの資料を整える音が響く。
「背伸びをさせているのは、ちょっと自覚していたから、シヴァから話をされた時は堪えた。それに、あの街で過ごして、迎えに行った時のカールの顔が全然違っていたのも。・・・今まであんな顔みたことなかったから、俺は今の今まで一体何をやってたのかって正直思ったからな」
「そんなに顔が違ったのか?」
「俺にはそう見えた」
少しばかり、空気が重い。
資料の上に乗せられた手を軽くトントンと叩いてこちらに意識を向けさせると、いつもよりすこし強気な顔で偉ぶってみた。
「では、この話は終い、もう言いっこ無しだ。子供の絵本のなかにもあったぞ、失敗は成功のもとだそうだ。この場合失敗したのは、私もお前も一緒だからな。・・・今度からは、ちゃんと相談する」
「なんか偉そうだけど・・・大体どこで絵本なんて読んだの」
「孤児院で3冊の絵本を2晩2回ずつ読まされた」
「・・・・ぶ」
緊張感がほぐれたのか、硬い表情が和らいだところで本来の話に戻す。
「で、私はもう少し同年代との接触を図った方がいい、と」
「接触というか、こう・・・まぁ、だからさ。今まで他人の事なんか興味なかったのに、最近じゃナザール君のことを気にしたり、フィルバート君に関心を持ったり。・・・そういう所は良い傾向だと思うから、俺はシヴァが来てくれてよかったと思う。まぁ、全然仕事手伝ってくれないから、宛てが外れたけどな。あぁ、そうそう、仕事と言えば」
「なんだ?」
その声に、リュスラーンの顔が困ったようになる。
「シヴァに、レセプションとか、歓迎会とか、そこらへんちゃんと出ろって言ってくれよ。あいつ、気がついたら何時も逃げてるんだよ? 侯爵なんだから、ちゃんとしてくれないと、他所様に痛くもない腹探られて困ると言ったら、なんと言ったと思う? “そんなもんか?”って空っとぼけたんだぞ!」
「・・・・」
「俺が言っても、聞かないから、カールから言ってくれよ」
・・シヴァが来てから、リュスラーンも少し変ったような気がする。
ああ、そうかとスフィルカールは思う。
一人で、わたしに関するすべてを抱え込んでいたのが、すこし軽くなったのか。
誰かに仕事をしろだと、今までは絶対言わなかったのに。
19歳で摂政と言われてからのこの12年、リュスラーン一人でこの国とスフィルカールを抱えて重くのしかかっていたものが、すこし軽くなったのかなと思う。
「・・わかった、言っておく。その、ハルフェンバックについても、お前に任せる」
スフィルカールは、にこり、と珍しく笑みをみせた。
シヴァについて不満を漏らすリュスラーンがどこか楽しそうに見えたのを、少しだけ嬉しいと思った。