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真っ暗な闇。
何処まで行っても、終わりがないようにも見え。
ほんの鼻先で壁が広がっているようにも感じる。
綾目もわからぬとは、このことだ。
ぞわり、と首の後ろを何かがはいずる。
ぞわり
ぞぶり
何かが頭の中を覗き込み、腑を揺り動かして笑っている。
目に見えぬその力が、ぞわぞわと己の内部を喰い始めている。
・・・・サア、コッチダ
ぞろりと腑がひっくり返されるような気味の悪い声が胸の奥を揺り動かす。
・・・・オマエモ、コチラニオチルガイイ
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「・・カール。ここのところ、毎日うなされているようだけど」
書類を片手に、鳶色の髪に灰色の瞳の男がスフィルカールの顔を覗き込んだ。
「・・うむ」
スフィルカールは一瞬眉根を寄せると、すぐに元の表情に戻し、軽く頷いた。
その表情に、男は軽く息をつくと視線を書類に戻す。書類をめくる指が再度動き始めた。
「この間の魔術師の術も効かなかったか」
「効かぬ。・・・リュス、もう魔術師を探しても無駄だとおもうぞ」
その言葉に、リュスと呼ばれた男は書類をめくる手を止める。視線をこちらよこさずに呟いた。
「そうか」
リュスラーン・ライルドハイト侯爵。この公国の政務を取り仕切る摂政である。
生まれた時に人相を見た予言者に「光の騎士」と称されたが、時が来るまで口外するなとも言われた彼の父が長らく己の胸の内の身にとどめ、伏せていた。
と、いう話を本人から聞いたのはついぞ数年前だ。とはいえその後はあまり感動的な流れにはならなかった。リュスラーン本人がそんな境遇にたいした感慨はなさそうだった上、スフィルカールも「どうせなら、わたしの人相を見た予言者も、口を閉ざしてくれたらよかったのに」と埒もない感想しか出てこない、と言ういささか冷めた展開でこの話は仕舞になってしまった。
自らへの予言と、それに伴う冷めた感情を思い出し、スフィルカールはずっしりと重い頭を抱えるように片手で支え、ため息をつく。
“光の騎士と闇の魔術師を得ればいずれ帝位を得る”
生まれたばかりの赤ん坊にそんな予言をして、いったいどうしようというのか。
国を混乱させたいだけじゃないか。
今予言者に会えたとしたら、きっそそんなことを言うだろうと思う。
結局、第4王子という中途半端な地位に生まれたスフィルカールには、帝家を揺るがし、秩序を乱すものというレッテルが貼られたのは当然であろう。
父の手の者により“15歳で闇に取り込まれて命を落とす”と呪いがかけられただけではなく、三歳で、王子位を返上し、このリーデルハインド帝国の領土でも当時一番辺境とされたラウストリーチ公国の王として封ぜられ・・もとい追いやられ、以来帝都に呼ばれた事など一度もない。
父皇帝からうとまれている王子についてくる諸侯もほとんどおらず、当時19歳のリュスラーンが摂政として付いてきた以外は騎士のフェルナンドと、帝国内での勢力争いから背を向けたわずかな貴族が数名のみであった。
リュスラーンが、己がスフィルカールを帝位に近付ける要素となる「光の騎士」であると知らされたのは、この国に来てからだそうだ。公言したところで仕方なかろうということで、彼はそのまま、その予言を伏せている。
彼にとっては、「予言」とはそんなものであるらしい。
予言なんて、参考にこそすれ、絶対ではないだろうに。頭から信じ切るのもどうかと思うよ、阿呆らしい。信じたところで、面倒事しか呼び込まないでしょ。
摂政の言葉に、そりゃそうだと納得したことを思い出す。同時に、では、予言を絶対にしてしまった父に呪われた自分はどうしたらよいのか、とも途方に暮れた。
呪いは、確実にスフィルカールをむしばんでいる。
14歳になった誕生日に最初の異変は起きた。
いきなり、目の前が真っ暗になり、そのまま記憶を失ったのだ。
次に気がついた時には、寝台に手足を縛りつけられ、傍にはリュスラーンとフェルナンドが疲れ果てたようにうつぶせで寝ていた。
聞けば、錯乱状態で誰彼かまわず剣を振りまわしたというから始末に負えない。
この数カ月で、記憶を失ったのはそのあともう一度だけだが、二度もあれば十分で、最近では使用人共がびくびくと自分を遠巻きに見ているのがよくわかる。
フェルナンドとリュスラーンはなんとか呪いを解く方法はないかと魔術師を見つけては引き合わせるが、それも無駄だと思い始めている。
死んだ後、父を呪ってやれれば、それで良い。
気を取り直し、書類上でしか見たことのない父の名前くらいは覚えておこうと、机に目を落とした。
ふと、手に取った文書の標題に目をこらす。
「・・・東方公国の外務卿の外遊?」
「ああ、それね。来月くらいかな? 東方公国の外務卿が帝都にいくらしいんだけど。そのついでに此方にも寄って、ごあいさつしたいんだって」
こちらに目もくれない摂政はせわしなく書類をめくりながら口を動かす。
ふうん、と興味のなさそうな声がスフィルカールから漏れた。
「・・・帝都への外交使節団が此方に寄るとは珍しい。父のしかけた間者か罠か。」
投げるように書類を放ったスフィルカールに気がつくと、そうツンケンしなさんなとたしなめながら、リュスラーンは確認が終わった書類をトントンと机上で束ねた。
「俺も調べてみたけど。他意はなさそうだ。帝都への道すがら、数週間滞在して、馬と人を休めて、そうして帝都に行くってことらしいよ? まぁ、妙な動きを見せるようだったら、その時はその時、で。」
「ふん。平和ボケした東方公国の外務卿なら、父に聞かれるまま、わたしの様子を洗いざらいしゃべるだろう。顔色が悪かったとでも言えば、あの古狸も安心するだろうさ。」
机上で肘を突き、片手で顎を支えながら、スフィルカールは笑みを浮かべた。そこに、爽やかだとか子供らしい・初々しいとかそういった言葉は微塵も感じられない。
「お父上の事を古狸とか、隣の国を平和ボケとか、少々口が過ぎるよ? あちらは、国王が事故死したドタバタで、内政・外政ともに不手際が目立って、しょうがなく帝国領土に入らざるを得なかったんだから」
「それでも、戦うそぶりも見せずにあっさり白旗あげて。国王の縁戚が公王となって一件落着。経済的にも東方の守護としても、今やすっかり帝国一優秀な付庸国扱いじゃないか」
そういうと、するりと椅子から降りて立ち上がると上着を脱ぐ。
どうやら、書類仕事をさぼるつもりらしい君主に摂政が慌てて腰を浮かせた。
「あ、こら。また・・・」
「寄越された書類には全部目を通した。わたしが聞く必要がある話はその東方公国の件以外ないだろう?橋の補修工事とか道路整備とか、そういうのは聞くまでもなく必要な事なのだから、お前が処理しておいてくれ。」
上着を小脇に抱え、スフィルカールは不遜な顔を一瞬リュスラーンに見せると、執務室を出る。
ぐらぐらする頭を押さえながら部屋の扉を閉め、衛兵のへりくだった敬礼をちらりとも見ずに、廊下の中央を乱暴な足取りで進むと、端を通る使用人の一人と目があった。
「・・・し、失礼します・・・。」
「・・・・・。」
目が合った瞬間、肩をびくりとひくつかせて使用人は足早に主人の前から過ぎ去っていく。
どいつも、こいつも、人を化け物扱いか。
いらっとした感情をむき出しにして、宛てもなく城内を歩いて行く。
肩をいからせて、そうやってあてどもなくどの程度歩いた頃合いだろうか。
「カール様」
「なんだ、うるさい!」
急に声をかけられて、怒鳴るように振り返った先に立つ、屈強な体格の騎士の姿に気がつくと、スフィルカールはばつの悪そうな顔で視線をそらした。
「フェルナンドか。なんだ」
「・・・お加減が悪いのですか?」
「良くはない。が、悪いと言うことでもない。いつもと同じだ」
その言葉に、フェルナンドはにこりと笑みを見せる。
「しばし、街に出ましょうか?」
「街? 何ゆえだ?」
「城下の街で、最近噂の術師がいるそうですよ?」
術師、との言葉を聞きたくないとでも言いたげにわずかに目元をゆがめたスフィルカールに、フェルナンドは臆せず笑みを見せる。
「なんでも、どんな怪我でも病気でも、触れるだけであっという間に直す術師がいるそうですよ? まぁなにか仕掛けがあるんでしょう。気負わずに見世物を見に行く気分で探しに行きませんか?」
「・・・・。」
まぁ、どうせインチキ商売だ。
傍で見て、なにかおかしなところがあればそこを暴いてやれば憂さも晴れるだろう。
「・・・うむ。」
こくりとうなづくと、騎士は、ややほっとしたような表情でスフィルカールの隣を歩き始めた。