転生したら恋人と名乗る男がイケメンすぎたので、記憶喪失のフリをすることにしました
「――エレナ」
どこか遠くで、誰かの声が聞こえた。
瞼越しに柔らかな光を感じ、私はゆっくりと目を開ける。最初に目に入ったのは、見覚えのない天井だった。身体には、ふわりとした上質な布団がかけられている。
ここ、私の寝室じゃない……?
ぼんやりとした頭でそう思ったところで、ふと気づく。そういえばさっき、誰かの声が聞こえた。
(……エレナ?)
全く聞き覚えの無い名前だ。私は首を傾げながら、声のした方へ顔を向けた。
そこにいたのは、淡く艶めく金髪と、宝石のような紫色の瞳を持つ青年だった。彫刻のように整った顔立ちに、思わず息を呑む。
「かっこいい……」
無意識に呟いたその時。青年は勢いよく立ち上がると、そのまま私の身体を抱きしめる。
「エレナ……!」
突然のことに、私は身体を強張らせた。
けれど、青年はそんな私の反応にも気づかないほど、安堵したように声を漏らしていた。
「本当によかった……。君が目覚めなかったら、どうしようかと思った」
その声には、心から私を心配していたような響きがあった。
でも、私はこの状況が全く理解できなかった。
(ここはどこ? この人は誰? そもそも……私は、誰?)
自分でもおかしなことを考えているのは分かっている。けれど、本当に分からないのだ。私は昨日まで普通に仕事をして、寝て……そして、起きたらこの状況。
目を覚ましたら、見知らぬ部屋にいて、知らない青年に抱きしめられている。
「……エレナ? どうしたの?」
しかも、私の名前は「エレナ」らしい。
青年は私の顔を覗き込むように、首を傾げている。
(いや……めちゃくちゃかっこいいんだよなあ)
こんな状況だというのに、私は青年の顔に見惚れていた。
だって、本当にかっこいい。こんな顔、現実で見たことがない。
(……いや、待って)
”現実”と言う言葉が妙に引っかかった。私は、ゆっくりと瞬きをして、考え込む。
昨日まで普通に仕事をしていたはずなのに、目が覚めたら目の前には見覚えのない美青年がいた。
そして、彼は私を「エレナ」と呼ぶ。
この状況って、もしかして――。
(……転生ってやつでは?)
そう考えれば、すべてに説明がつく……気がする。もちろん、何も確信はない。
でも、もし本当に転生したのだとしたら。
目の前にいる、このとんでもなく顔のいい青年は――もしかして、物語のヒーローなのでは?
それに、今の私は自分が何者なのかも、この場所がどこなのかも分からない。そんな状態で「私はエレナじゃありません」なんて言って、追い出されたら困る。
私は顎に手を当て、しばらく考え込んだ。そして、一つの考えに辿り着く。
目の前の青年をちらりと見て、心の中でそっと決意した。
(よし、記憶喪失のフリをしましょう!)
これなら、この状況でも何とかなるかもしれない。
そして、私は勢いよく顔を上げる。
「あの……あなたは誰ですか?」
すると、青年の紫色の瞳が大きく見開かれ、ぴたりと彼の動きが止まる。静かな部屋に、妙な沈黙が落ちた。
(流石に無理があった……?)
私は布団をぎゅっと握りしめながら、青年の反応を窺う。
やがて彼は、ゆっくりと口を開いた。
「……僕は、ユラン。君の恋人だよ」
「恋人……?」
思わず聞き返すと、ユランは穏やかに頷いた。
「うん。それに、僕たちは一緒にここで暮らしていたんだ」
……ん?
私は周囲を見回した。そして、ふと視線を落とす。
このベッド……一人用では?
どうみてもシングルベッドにしか見えない。
私がベッドをじっと見つめていることに気づいたのか、ユランが少しだけ苦笑した。
「ああ……ベッドのこと?」
「え、ええ」
「前に君が、寝るときもずっと僕にくっついていたいって言っていたから。広い方がいいんじゃないかって言ったんだけど、君がどうしてもって」
「そうなんですか……」
なるほど。
恋人同士なら、それくらい言うこともあるのかもしれない。私には全く覚えがないけれど。
「でも……覚えていないみたいだね」
そう言ったユランは、少し寂しそうに目を伏せた。
けれど、すぐに顔を上げる。
「大丈夫だよ。僕は君のことを大切に思っているから。無理に何かを思い出す必要もないし、変なこともしない」
そう言って、ユランは柔らかく微笑んだ。
「だから、安心してここで暮らすといいよ」
なんだろう。とても理解が早い。さすがヒーローかもしれない男なだけある。
それに、めちゃくちゃ優しそう。甘やかしてくれそうな雰囲気すらある。
こんなに顔がよくて、優しくて、私のことを大切にしてくれる恋人。
もしかして私、ものすごく当たりを引いたのでは?
「……ありがとうございます」
私がそう答えると、ユランは嬉しそうに目を細めた。
「ふふ。こちらこそ。よろしくね、エレナ」
こうして私は、ここに住むことになったのだった。
◇
やっぱりユランはめちゃくちゃ優しい。
「無理しないで寝てて?」
話を聞けば、私は三日間も高熱を出して寝込んでいたらしい。まだ病み上がりだからと、ユランは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
今だって、私の背中をタオルで拭いてくれているところだ。
(イケメンにこんなことをさせるなんて……)
なんだか申し訳ないというか、罰が当たりそうな気がする。
けれど、不意に視線を落とした私は、胸元にくっきりと残っている赤い跡に気づいた。
(なに、これ……?)
虫刺され? 痒くはないけれど……。
じっと見つめていると、すぐそばからユランの声が落ちてきた。
「じゃあ、次は前を向いて?」
「ま、まえ!?」
思わず声が裏返る。
いくら元の私がユランと恋人同士だとしても、今の私は全く覚えていないのだ。それは流石に恥ずかしすぎる。
「じ、自分でやるので……!」
「そう? そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」
ユランはそう言いながら、彼の指が不意に私の背中をスッとなぞる。
「ひゃ……っ」
ぞくりと背筋が震え、思わず小さな声が漏れた。
自分でも驚くほど反応してしまって、途端に顔が熱くなる。
「……ふふ」
耳元で、ユランが小さく笑った。
「ここにもね……あるんだよ」
「え?」
何のことだろう?
振り返ろうとしたけれど、その前にユランが柔らかく笑う。
「かわいいね」
「な、なに……っ」
「ふふ。じゃあ、前は自分でできる?」
そう言って、ユランは私にタオルを差し出した。私は慌ててそれを受け取る。
「……はい」
そのままユランから逃げるように背を向け、私は自分で身体を拭き始めた。
(あ、あんなこと……!)
心臓がうるさいほどに、耳に響く。病み上がりだからだろうか。
(いや、ユランのせいだ……っ)
私は熱くなった頬を両手で押さえた。
けれどその背後で、ユランがどんな顔をして私を見つめていたのか、私は知らなかった。
◇
ユランと暮らし始めてから数ヶ月が経った。
「ん……っ」
唇が重なり、ゆっくりと離れる。
そして、またゆっくりと重なり合う。
私はすっかり、ユランのことが好きになってしまった。彼は一日に何度も口付けを求めてくる。そのたびに私も応えるけれど、何度繰り返しても、この熱には慣れそうにない。
ユランは優しい。
いつだって私のことを気遣ってくれるし、私が話をすれば、嬉しそうに微笑みながら最後まで聞いてくれる。
何気ない仕草も、かけてくれる言葉も、その一つひとつから深い愛情が伝わってくる。
(好きにならない方が、難しいでしょう?)
今ではもう、彼と離れることなんて考えられなくなっていた。
目の前にある紫色の瞳は、熱を孕んでいる。
もしかしたら、私はこの身体に憑依をしたのかもしれない。いつか元の世界へ戻ってしまうかもしれない。それがどうしようもなく怖いのだ。
……それ以上に、ユランと離れることが怖いのかもしれない。元の自分に嫉妬さえしてしまいそうだ。
再び、唇が離れる。お互いの吐息が漏れて、見つめ合う。頭まで溶けてしまいそうな甘いひととき。
「ねえ、ユラン」
「ん? どうしたの?」
「前の私は……どんな人だった?」
ユランは少しだけ目を細め、懐かしむように微笑んだ。
「そうだね……眩しいくらいの笑顔でね。君が笑うと、こっちまで幸せな気持ちになったよ。明るくて、とても素直で……可愛い人だった」
「そう……」
知らない自分の話を聞いているようで、なんだか不思議な気持ちになる。
そして、ユランが少しだけ困ったように笑った。
「でも、たまに……僕を困らせることもあったね」
「困らせる?」
「うん。君はお茶目な人でね。かくれんぼが好きだったんだ」
「かくれんぼ?」
「そう。僕が探しても、なかなか見つからなくてね。まあ……そんなところも愛おしかったけど」
その声は、まるで懐かしい思い出を語るようだった。
「……今の私は、ユランを困らせてない?」
何気なく尋ねると、ユランは一瞬だけ黙ったけれど、すぐにフッと微笑んだ。
「ふふ。うん……そうだね」
その答えの意味を考えるより先に、私は彼の胸元へ顔を寄せた。
「ねえ、ユラン」
「うん?」
「私……あなたが大好き」
ユランの腕が、そっと私の身体を抱き寄せる。そして、耳元で優しい声が囁かれる。
「僕もだよ。愛してる」
そうして私たちは、再び唇を重ねた。何度も何度も……お互いの存在を確かめ合うように。
◇
いつものように口付けを交わし、互いの愛を確かめ合ったあと、エレナは疲れたように眠りへ落ちていった。
その寝顔をしばらく見つめていたユランは、ふっと頬を緩める。
「ふふ……。眠ってしまったね」
そう呟きながら、エレナの髪をそっと撫でる。
そして、ユランは静かに立ち上がる。そのまま、部屋の隅に置かれた机へ向かうと、ゆっくりと引き出しを開ける。
そこには、いくつかの小さな道具がしまわれていた。
手錠と、足枷。
ユランはそれらを手に取ることもなく、しばらく眺めていた。
やがて、ふっと微笑む。
「……これは、今は必要なさそうだね」
小さく呟いた後、ゆっくりと引き出しを閉じた。
そして再びベッドへ戻ると、眠っているエレナの隣に腰を下ろした。
「……僕は、今の君の人格も好きだよ」
眠っている彼女に語りかけるように、優しく囁く。
「たくさん甘やかしてあげる」
エレナの頬へ手を伸ばし、その柔らかな肌を指先でそっと撫でる。
「君は本当に、真面目で……そしてものすごく愚直だ」
そして、愛おしそうに目を細める。
「君は、自分が変わってしまったと思っているみたいだけど……」
「それは、違うな。君は何も変わっていない」
その声には、確信すら滲んでいた。
「そういうところが……本当に愛おしい」
ユランは眠るエレナを見つめたまま、くすりと笑う。
「ふふ……可哀想にね」
そして、エレナの首元へゆっくりと顔を近づけると、そのままかぷりと噛み付いた。
顔を離したユランは、舌先で自身の唇をなぞる。
「ずっと一緒だよ」
そう囁いたユランは、何事もなかったかのように微笑んでいた。
倫理観ぶっ飛んでてすみません。
一応、ちゃんと二人には裏設定あります。
ヒントは「エレナは何も変わっていない」と「タイトル」です。
お読みいただきありがとうございました!




