3話 不眠公爵ヴィクター・グランハート③
夕食の時間になり、私は食堂へと案内された。
長いテーブルの上には、きらきらと輝く銀の食器が並んでいる。シャンデリアの光を受けて、美しく煌めいていた。
席に着くと、ヴィクター様もやってきた。相変わらず不機嫌そうな顔で、私の向かい側に座る。
やがて、次々と料理が運ばれてきた。
「わっ、このお肉美味しいです〜!」
一口食べた瞬間、思わず声が出た。
柔らかくて、口の中でとろける。ソースも絶妙で、今まで食べたどんな料理よりも美味しい。
スープも、パンも、サラダも。どれも美味しくて、止まらなくなる。
はじめて食べるものばかりだった。
「失礼ながら、ヴィクター様は召し上がらないのですか」
ふと気が付くと、ヴィクター様は前菜を少しだけ口にしただけで、一切手をつけていなかった。
「食欲がない」
ぼそりとそう言って、彼はグラスの水を口にした。
コース料理の皿が次々と運ばれてくるけれど、ヴィクター様の前には手つかずの料理が溜まっていく。
(も、もったいない……!)
私は少し迷ってから、小さな声で聞いてみた。
「じゃあ、残り食べて良いですか……?」
「は?」
ヴィクター様が、驚いたような顔でこちらを見た。隣に立っていたオリバーさんが、くすくすと笑いながら代わりに答えてくれる。
「良いですよ。どうせ、料理長とわけて食べるだけですので」
そう言って、彼は皿を私の方に寄せてくれた。
「最近、ヴィクター様が全く召し上がらないので、お腹いっぱいで大変なんですよ」
「えへへ。では、遠慮なく」
私は遠慮なく、ヴィクター様の分の料理に手を伸ばした。
魚のソテーも、付け合わせの野菜も、ポタージュのスープも。どれも本当に美味しくて、気が付けば全て完食していた。
「料理長が泣いて喜びますよ」
オリバーさんが嬉しそうに笑っている。
その傍らで、ヴィクター様は怪訝な顔をしていた。
「……お前、本当に貴族の令嬢か?」
「え、ええ。一応……」
私は口元を拭きながら答えた。
「もしかして、食べ方が汚いとか、そういうことですか」
「いや、そういうわけじゃない」
ヴィクター様は少し考えるように黙ってから、再び口を開いた。
「普通、初対面の相手の前でそんなに食べるか?」
「だって、とーっても美味しいですし。もったいないじゃないですか」
私がそう答えると、オリバーさんがまたくすくすと笑った。
「アリス様は面白い方ですね」
「コイツは面白いというより……」
ヴィクター様は何か言いかけて、やめた。
そして立ち上がると、そのままケーキが乗った皿だけ持って、食堂を出ていってしまった。……甘い物は別腹なのだろうか。
「……怒らせてしまいましたか」
「いえ、大丈夫ですよ」
オリバーさんは優しく笑って、食後の紅茶を注いでくれた。
「ヴィクター様、少し驚いただけだと思います。今まで、こんな風に振る舞う令嬢はいませんでしたから」
(だ、大丈夫なのかな、それ……)
私は紅茶を一口飲んで、一息をついた。
嫌われているのは確かだと思うのだが、なぜオリバーさんはこんなにもご機嫌なのだろうか。
全くもってわからない。
これからどうなるのかわからないけれど、少なくとも今日のところは、無事に乗り切れそうだと安心した。
◇
その日の夜中のことだった。
天蓋付きふかふかのベッドに横になった私だったが、全然眠れなかった。
(目が冴えてしまった……)
慣れない場所だからだろうか。それとも、これからのことを考えてしまうからだろうか。
いつもなら、横になってすぐに寝ることができるのに、妙な高揚感と不安が入り交ざって全然眠気が襲ってこない。
私は諦めて起き上がると、部屋着の上にガウンを羽織った。
少し歩いたら眠くなるかもしれない。そう思って、静かに扉を開ける。
廊下には誰もいなくて、月明かりだけが差し込んでいた。
足音を立てないように気をつけながら、階段を下りて一階へ向かう。
ふと、廊下の奥に明かりが見えた。
(誰か、いる……?)
オリバーさんだったら、話し相手になってもらおうと思い、私は、半開きになった扉の隙間から、中を覗き込む。
(あ、ヴィクター様だ)
机に向かって本を読んでいるものの、眉にしわが寄っており、相変わらず不機嫌な顔つきだ。
けれど、夕食の時と違って、その様子はどこかおかしかった。
ページをめくる手つきが荒い。時折、机を指で叩いたり、髪をくしゃくしゃと掻き乱したり。
椅子から立ち上がって部屋の中を歩き回ったかと思えば、また座って本を開く。
ずっと、イライラしている様子だった。
(どうしたのかな……)
私は息を潜めて、その様子を見ていた。
不機嫌そうな顔は、ただ性格が悪いからだと思っていたけれど。
もしかしたら、何か理由があるのかもしれない。
ヴィクター様は再び立ち上がると、窓の方へと歩いていった。月明かりに照らされた横顔は、ひどく疲れているように見える。
何だか見てはいけないものを見てしまったような気がして、私は、そっとその場を離れた。
部屋に戻ってベッドに潜り込んでも、ヴィクター様のあの様子が頭から離れないままだった。




