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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第十章

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第二話 仔猫


「――この子は――?」


 蓮の声に、驚きの色が濃く浮かんでいた。

 当然だろうとは思う。月龍自身も驚いているのだから。


 仕事を終えた、帰り道でのこと。贈り物も拒絶され、遅く帰る口実も失えば市場にも寄れず、まっすぐ帰途につく。

 物音に気づいたのは、厩の前まで来たときだった。


 小さな、猫の鳴き声。


 普段であれば、無視していただろう。けれどこのときは何故か、やけに気になった。

 あまりに弱々しい声だったからかもしれない。怯え、それでも助けを求めるような声が、蓮を思わせたのだろうか。足を止めて、辺りを見渡す。


 最初は見つけられなかった。注意深く様子を窺って、ようやく馬房の片隅に泥と血にまみれて横たわる仔猫の姿を見つけた。

 小汚い、そう思わなかったわけではない。一瞬、不快のために眉をひそめたのは事実だ。しかし次には、ふっと憐れになった。


 野犬にでもやられて辿り着いたのか、迷いこんで馬にでも蹴られたのか。致命傷というほどの深い傷はなさそうではあるが、放っておけば衰弱して死ぬだろう。

 近づく月龍を警戒しているのか、怯えた目つきながらも牙を剥こうとしていた。だが傷のせいで立ち上がることもできず、暴れる力もないらしく、月龍の手にあっさりと拾い上げられた。


 ほとんど重さを感じないほど、小さな仔猫だった。拾われてからは、諦めたようにおとなしくなる。

 少し力を入れただけで、潰してしまいそうだった。そっと手のひらに抱いたまま帰り、帰宅と同時に蓮に押しつけた。


「拾った。怪我をしている。手当てしてやるといい」


 かなり簡潔に事情を説明すると、蓮の目が大きく開かれる。


「手当て、ですか」


 驚くのも無理はない。人間に対してさえ冷酷な月龍が、猫を気にかけるとは思えなかったのだろう。実際、いつもの月龍であれば見捨てていたはずだ。

 自分でもそう思うのに、蓮の中では月龍という男にはひと欠片の優しさもないのだと言われたようで、無性に腹が立つ。


「嫌か」

「いえ、そうではなくて――あの、食事の用意はこの子の手当のあとでも……?」

「構わん」


 優先順位など、考えなくともわかる。なのにわざわざ訊ねるのは、機嫌を損ねることを恐れたためか。

 そう思われていることが、気に入らない。


 素っ気ない返事に、けれど蓮の顔には僅かな喜色が浮かんだ――ような気がした。

 表情として笑みが刻まれたわけではない。けれどいつも怯えたように強張っている頬から、硬さが薄らいだかに見えた。

 改めて顔を覗きこむよりも早く、蓮は仔猫を抱えてそっと、だが足早に洗い場へと向かう。

 傷口を洗い、手当てをするには多少時間もかかるだろう。そこでふと思いついて、邸を後にした。



 月龍が戻って来たとき、仔猫の手当てがちょうど終わろうとしていた。血と泥で汚れていたときはわからなかったが、きれいな黒い毛並みの猫である。


「おかえりなさいませ。――あの、どちらへ?」


 簡易に誂えたのだろう。籠の中に毛布を敷いたものに、仔猫をそっと寝かせて蓮が振り返る。

 おそるおそる、といった質問だった。眉間の皺を自覚しながら、持ち帰った小さな壺を蓮に手渡す。


「牛の乳だ。わけてもらった。飲ませてやれ」

「――え?」

「そのままでは、仔猫には濃すぎるそうだ。少し水で薄めて、温めるのだと。自力で飲めないようなら、布に吸わせて口の中に入れるといいらしい」


 猫など育てたことはない。蓮も同じだろう。傷の手当は人間と変わらなくとも、餌はなにをやればいいのか、どう扱えばいいのかなど、まったくわからない。

 手当の間ただ待つのではなく、家畜を育てる農家を訪ねて、育て方を教えてもらったのだ。


 農家に知り合いなどいない。だがどこに居るのかくらいは把握していた。

 突然訪ねたにもかかわらず、身元を証明して事情を説明すると、色々と教えてくれた。宮中では「成り上がり者」にすぎない月龍でも、一般の民から見れば「偉い武官」だ。

 官位に負けたのか、訪ねたのがたまたま親切な人間だったのかはわからないけれど。


 ともかくその農家の主人は、仔猫のために乳を用意すると約束してくれた。これからは毎日、仕事の帰りに寄るのが日課になりそうだと、なんとはなしに思う。


「あっ――ありがとうございます。あげてみます」


 呆然と月龍を見上げていた蓮が、我に返ったように声を上げた。

 今度は間違いなく気のせいではない。蓮の頬には確かに、赤みがさしていた。


 ああそうか、と気づく。仔猫を拾ったのも、世話をするような真似をするのも、決して気まぐれなどではなかった。

 その仔猫を大切に扱ってやれば、月龍の中にも優しさや愛情はあるのだと見る目を変えてくれるだろうと、無意識のうちに考えたのだ。


 だとすればあざとい、とは自分でも思う。

 だが同時に期待せずにもいられなかった。これを機に、蓮との関係が改善され、また以前のように微笑みかけてくれるようになりはしないか、と。

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